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  高校入試でターイセツなこと、って何だ?!
§357 入試社会の勉強のしかたについて(続の続)
<年号の暗記>
 
「先生の今回の歴史のテスト2回息子にやらせてみたところ、どちらも年代の並べかえ問題ができませんでした。他の問題はほぼできておりましたがどうもこのタイプの問題は苦手にしているようです。本人も社会はけっこう得意のつもりでいて、学校でもいままで95前後は常に取っておりました。やはり年代は記憶した方がいいのでしょうか。どうかアドバイスをよろしくお願い致します」
 といった内容(一部略)のメールをいただきました。

 そこで今回も、社会に関するメルマガ(入試社会の勉強のしかたについて)を続けて書いてみることにします。「やはり年代は記憶した方がいいのでしょうか」という、ただ一点の主題に絞り込んで。

 このご質問の背景にある学力は、
「ふだんの社会(地理も歴史も公民も)の定期テストはできる。→実力テストもまずまずできる。→入試問題もほぼできる→ほぼできるに対し、ではそのできないところはどこか?→年代の並べ替え問題(ただし、難レベル)」 と、いったものであるかと思います。とてもよくできているので、だからこそ厳しい書き方をしてみます。

 わたしの感覚からいえば、「やはり年代は記憶した方がいいのでしょうか」といった質問自体に、困惑と違和感を覚える。歴史の勉強をするのに、まるで空気を吸うように年代もあわせて覚えるのは当たり前なのである。空気を吸うことは必要ですかと言われたのと同じで、このごく当たり前のことを理屈をつけて説明するのは、しばしば徒労に終わる。わかってくれる人はいいですがそれでもわかってくれない人はなぜかとても多く、なかなかしんどいのである。このご質問者が、という意味ではない。むしろ、とてもよくわかっていただける方だと直感している。あくまで「一般的に」、という意味で書いています。

 会津武士道というか旧会津の藩校日新館の心構えに、有名な規則「什の掟」なるものがありますね。「卑怯な振舞をしてはなりませぬ。弱い者をいぢめてはなりませぬ」云々です。その最後に、「ならぬことはならぬものです」という言葉があります。大事なことは、理屈をつけて説明するものではない。これこれの理由だから、年代を暗記するのがいい、とはいいたくはないわけです。

 そんなものは、歴史の勉強を進めていく上において常識であろうと捉えているわけです。小学校で歴史を習い、中学校で歴史を習い、年代はいわれテストにも表記され、教科書には載っており、問題集、参考書にも当然年代は載っている。イヤでも目に触れるわけです。すこし真面目に歴史の勉強に取り組むと、年代は覚えてほうがいいことに、「自然に」気づくものではないでしょうか。知識がより強固になり、正確に覚えられかつ持続し、‘結果として’せまい範囲のテストだけでなく広範囲のどのような実力テストでもよくできることに、思い当たるのです。

 ついでながら書きますと、わたしの場合それがわかったのは小学6年生のときだったのですが、ただ気づいても自然に頭に年代が暗記できるものではなく、意識して覚えようとしないことにはなんともなりません。歴史年表を手作りして覚えましたし、中学になってもさらに新しく作って覚えました。もちろんこれだけではダメなんで、知識というものは何度も塗り重ねることで深まるもので、年代というのはその一環のひとつにすぎませんが、教科書以外に問題集や参考書、またその他の本や雑誌などからも補強したように思います。

 これは特別なことでもなんでもない。ところが、いまの生徒はどうもそれに「自然に」気づかないケースがほんとに多い。それどころか教師の生ぬるい指導、そのくせ妙に理屈っぽい教え方の方針があるのか、年代は暗記しようとはしませんね。むしろ暗記しなくていい、時代の流れやその社会的背景をつかむことが大事、とかなんとか、わかったようでよくわからないことを言いたがる教師も多いようです。

 これはですね、たとえば次のような入試問題には対応できるかもしれません。

(問1)次のア〜エで、年代の古い順番に左から並べて書きなさい。         
 〔  〕→〔  〕→〔  〕→〔  〕
 ア 輸入された宋銭を使って、市での取引が行われるようになった。
 イ 貨幣が大量につくられ、全国に通用したので、商業も盛んになり、両替
   商が活躍した。
 ウ 日本でつくられた和同開珎は、都やその周辺でつかわれたが、地方では
   流通しなかった。
 エ 中国から輸入された大量の銅銭が使われ、都市では高利貸しを営む土倉
   や酒屋が増えた。

 もちろん入試からの問題ですが、このタイプは学校の実力テストや塾のテストなんかでよく出る、まあ上でいうところの、時代の流れをざっくり捉えての、経済に関する問題です。ポイントになる言葉で判断すればいいわけで、アは宋銭と市(定期市)で鎌倉時代、イは両替商で江戸時代、ウは和同開珎で奈良時代(正確にいえば、708年に日本で鋳造された銭貨)、エは大量の銅銭(明銭で、永楽通宝が有名)と土倉・酒屋で室町時代になります。よって、〔ウ〕→〔ア〕→〔エ〕→〔イ〕が答え。

 現実、鎌倉と室町どちらが古いかもわかっていない歴史音痴の生徒もいるものですが、まあはっきりいって小学生レベルの問題。それでも正答率は50%くらいか。つまり、「時代の流れやその社会的背景をつかむことが大事」ってことは、このゾーンの生徒に対しなんとか歴史をもっと勉強しろよいっているようにしか聞こえないのである。ところで、歴史の流れを大まかにつかむのと、その社会的背景をつかむのとでは、知識のレベル差は隔絶しているほど違うけれど。

 さて、では下の2問は、どう解くのだろう?

(問2)次のア〜エで、年代の古い順番に左から並べて書きなさい。         
 〔  〕→〔  〕→〔  〕→〔  〕
 ア 弘安の役
 イ 御成敗式目の制定
 ウ 平治の乱
 エ 六波羅探題の設置

 テストの最中に、歴史の流れをぐだぐだ時間をかけてはっきり憶いだせる生徒は、まだいい。しかしその結果、間違ってはなんともならないが。この時代の様子、流れ、社会的背景を述べろといわれれば、最低でも原稿用紙3,4枚は要りそうである。書く意味がないし、読まれる方も疲れるだろう。それゆえやめますが、年代を暗記しとかなくていったいどうやってこの問題の正解を出すのだろう? それもデタラメにではなく根拠をもって、てきぱきと。

 後鳥羽上皇の承久の乱のあと、京都に六波羅探題を設置して、その後最初の武家法である御成敗式目の制定をした、と考えるのか。弘安の役は元寇のひとつで鎌倉後期、平治の乱は平清盛が源氏に勝利した乱で平安末期、と生徒が考えてくれれば、〔ウ〕→〔エ〕→〔イ〕→〔ア〕が出てくるけれど。

 しかしこの解釈も、生徒が知識にひとつでもあやふやな、また間違った記憶や忘れてしまった内容が混じっていれば、まったく成り立たない。わたしからいえば、こんなものは重要暗記年代の必須知識であり、むしろ単純に年代暗記ができていれば、なんてことはない問題である。正確にゆっくり解いても、1分もかからないではないか。弘安の役(1281年)、御成敗式目の制定(1232年)、平治の乱(1159年)、六波羅探題の設置だけは暗記年代ではないけれど承久の乱が1221年だから、そのへんか、と。

(問3)次のア〜ウで、年代の古い順番に左から並べて書きなさい。         
 〔  〕→〔  〕→〔  〕
 ア 自由党が結成される。
 イ 内閣制度がつくられる。
 ウ 西南戦争が起こる。

 これはたった3つの並べ替えである。4つよりやさしいはずであるが、流れからわかるのか? 社会的背景からわかるのか? もしそれが説明できるのなら、その学力はずば抜けて高いといえる。

 出題側はそんなことはつゆも考えてないだろう。もしそうなら、そういう出題の設定をするはずである。しかしそういうのは過去一度も見たことがない。ただ単純に、歴史上のたいせつな出来事を、歴史順に覚えているかどうかを問うてる問題にすぎない。この問題に対応して正答するためには、ただ単純に、年代を覚えておくのが基本であろう、ということである。

 板垣退助が自由党を結成する、1881年。伊藤博文が内閣制度をつくり、初代総理大臣になる、1885年。西郷隆盛の西南戦争は明治10年、つまり1877年。よって、〔ウ〕→〔ア〕→〔イ〕。ただこれだけのこと。これだけのことが、できない生徒がほんとにどれほどいることか?!

 これになぜ理屈をつける必要がある? 所詮教科書に載っているような知識なんてものは、中学であろうと高校であろうと、歴史のほんの表層、また断片にすぎないではないか。この段階は、歴史をほんとうに学ぶための、あるいは学びたい人のための必要最低限の知識獲得の場面なのだ。

 しかしこれを読んで、なんだ、たった1問のために手間と時間をかけて年代を暗記しなければならないのか、億劫だな、2,3点をとるために勉強するのはとても効率が悪いやと、敬遠したりあきらめたりする生徒も実に多いのが現実であろう。それはそれでしかたない。直接指導では問答無用、その目的も理屈も述べず強制的に教えたものですが、「ならぬことはならぬものです」の精神をこのようないっぺんの文章で伝えきれるものでは到底ないのだから。

 ただ中・高の段階、歴史の必要最低限の知識を頭に入れ、その骨組みを構築したいのなら、あるいは高校に入ってのさらに詳細になる日本史に対し、その基礎になる骨組みを中学のうちに正しく形成しておきたいのなら、年代暗記は歴史勉強のなかで当然の作業、とわたしは考えている。

 歴史年表は教科書の裏や参考書のまとめ部分に閉じられてしまってあるのではなく、自分のあたまにしまってあるべきである。これはどういうことかというと、たとえば次にような感じである(中学生レベルの歴史として)。

1.<たとえば8世紀>
 701年 大宝律令
 710年 平城京遷都
 743年 墾田永年私財法
 794年 平安京遷都
 
2.<たとえば17世紀>
 1600年 関ヶ原の戦い(正確には、1601年から17世紀だけど)
 1603年 江戸幕府
 1615年 武家諸法度(これが一番有名。各将軍ごとに出されるけれど)
 1635年 参勤交代の制 徳川家光
 1637年 島原の乱 
 1639年 ポルトガル船の来航禁止 鎖国の完成
 1649年 慶安の御触書
(1687年)徳川綱吉の生類憐みの令 元禄文化

3.<たとえば1870年代>
 1871年 廃藩置県
 1872年 学制の発布
 1873年 地租改正・徴兵令
 1874年 民選議院立建白書 板垣退助
 1875年 樺太千島交換条約、江華島事件
 1876年 日朝修好条規
 1877年 西南戦争

 時代ごとの区分だけではなく、世紀ごとの区分で自分の頭のなかに年表が、折りたたまれているかである。

 1.<たとえば8世紀>では、実際は上記に関する問題以外、740年代から50年代にかけての聖武天皇の天平文化、国分寺・国分尼寺、東大寺の大仏建立など、また鑑真の唐招提寺などがとてもよく出るけれど、それらの年代は高校でいいとして、中学レベルではあくまで上の4つくらいであろう。

 2.<たとえば17世紀> 暗記年代としては、7,8つである。5代将軍綱吉のころ元禄文化が上方中心に栄える、と知っているけれど、では元禄時代とは何年ごろかといえば、1680年代から1700年代初めころ(1688年〜1703年)である。また、江戸中期、徳川吉宗の享保の改革の頃とは、いったい何年なんだといえば、1716年から1745年までの治世であり、1772年からの田沼意次の政治(これは老中になった年で、正確には1767年から1786年まで)、1787年からの松平定信の寛政の改革と続くけれど、キーとして暗記しておくべき年代をもっていないと、漠然としたものだけでは難度を高くしたテストの問題に対応できないことがある。

 3.<たとえば1870年代> 19世紀ではない。江戸末期、具体的に1850年代からそして明治維新からは、各10年ごと覚えるべき事柄はにわかに密集しており、ご覧のようにそれまでの1世紀分の暗記事項が各10年分のそれと同じくらいの量になることを知っておきたい。

 とまあ、これはほんの例であるけれど、年代をみればその年に起こった重要な事柄がわかり、逆に主な出来事をみればその年代もすぐに出てくる、つまり「歴史年表は自分のあたまにしまってあるべきである」とは、こういう状態を指しています。

 さて、このように一方的に文章で書くとなにか難しいように感じられる方もおられるでしょうが、そう捉えられればわたしからいえばとんでもないことで、なんらむつかしいことではありません。単純な暗記そのものであります。中学3カ年英単語およそ1000個を暗記する勉強量と比較すれば、せいぜい多くてその10分の1くらいのものではないでしょうか。

 こうした勉強はみんなしたほうがよいと勧めているわけではありません。あくまで必然のなかで出てくるもので、年代の暗記の大切さを意識しえた生徒は、もっと続けてみよ、深めて固めてみよ、そうすればこの種の問題だけにとどまらず実力はより高まるであろう、といいたいだけであります。


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