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  高校入試でターイセツなこと、って何だ?!
§182 数学の応用問題について VOL.4
<水が出てくるまで掘らなくては>

 BとCの生徒の違いについて。
 どちらの生徒も定期テストでは常に、92,3点かまたはそれ以上を取っている。それなのに、<T>(わたし)の各質問に対するBとCの答え方や答えには、雲泥の差が出ました。それがつまり、二人の実力の差になります。わかりやすくするために、少しデフォルメしましたが、現実的なズレはそうないと思います。

 もちろんこの割合は、3:1くらいでBの生徒が多い。Bは基本の部分でも一部忘れている。それ以上に問題は、前回の内容を見てもらえばよくわかるのだけど、わざと大まかに言った質問に対し、厳しい指摘になるけれど、その具体的な問題内容の説明を求めたり、また解答の一部しか答えられないのは、逆に、普段の学習の中で、絞込みの作業、要するのなんだ、という、ポイントの押さえ込みと把握が表層に留まり、もっと深めねばならない自分での勉強が、実はまだ中途半端な状態で不十分なことを物語っている。それは、わざわざ「一言でいえ」という条件を課した質問に対し、だらだら文章にして答えている点にもよく表れている。

 このことはまさに、孟子の次の言葉(以前にも一度書いているのだけれども、あえてもう一度)に符合する。
「なにごとも、やりとげなくてはだめだ。たとえば、井戸を掘るにしても、水が出てくるまで掘らなくては、いくら掘っても、結局、井戸を捨てたことになってしまう」

 5科目の中で特に数学は、このことが当て嵌まる。基本の井戸は浅い。応用の井戸は深い。その浅い基本の井戸を底まで掘り下げなくてどうするんだ?!と言いたい。水が出てくるまで掘り下げたものは、決して忘れはしない。また、そこまで到達するのに、何が重要で何がいらないかをしっかり見究めているわけで、そして思考を重ねているから、自分の言葉としても、ポイントを口にできるのである。

 現実のなかでは8割以上を占めるAのような生徒の指導に腐心するわけですが、BやCの生徒にも、もちろんそれなりの注意を払い、指導すべき点は多々ある。どちらの生徒も定期テストでは、5科目総合で450点以上は取っている。まあでも、もう少し詳しく言うならば、テストの内容や学年の学期にもよりますので、実際は低いときで440点、いいときなら465点ぐらいになるでしょうか(ときに480点近くにもなる)。ただし、これは、中2の後半から中3の1,2学期を想定して書いています(中1の点数はまだ甘いですから)。

 なかなかよく頑張っている。努力も多いにしていますし、とても優秀です。1教科に70点なんか混じっていると届きませんし、5教科まんべんなくできていないと取れない点数です。それは十二分に認めた上で、もう一度書きます、十二分に認めた上で言うのですが、それがしかし、必ずしも比例して、実力とは繋がらないのが、いや、繋がっていない生徒がこのレベルでも半数以上いるのが、理科と社会、そして数学なのです。

 数学の場合、総合的な実力という観点より、応用問題だけを特に把えると、上述したように半数ではなく4分の3ぐらいになるのが、長年の経験則と曇らない目(?)で視た、わたしの判断です。もちろんこのBの生徒を、Cの生徒のようなレベル、深さに持っていこうとするわけですが、ことはそう単純ではなく、相当に難しいところがありますが。

 VOL.1からVOL.4までに亘って長々と、いまの公立中学生の、数学の持てる力の現状と問題点、また教わる学習内容の低さとスケジュール的な矛盾など、そして通常の成績はよいのだけど、さて応用を学ぶための、その力の土台は備わっているか?で観たときの落差・乖離などについて述べてきました。

 現実は応用問題に突入する前に、既に斯くの如きさまざまな様相と問題を孕んでいるわけで、現象からその問題点に立ち返って改善する、または結果から遡って原因を掴むに際し、以上の記述のなかで参考になる点や、注意すべき学習上のヒントなるものがあればさいわいです。

 さて、どうしても書いておかねばならない内容。応用問題を解いたあとの作業と心得について。いいたきことは、次の1点。「自分自身の力で解けなかった応用問題は、そのあともまず解けない、と思え!」

 応用問題といってもさまざまあるわけで、どのレベルの応用問題を指しているのかを、或る程度定義しなければなりませんね。実際、形式からいっても、単独問題でいきなり応用的な問題もあれば、公立入試の図形問題などでよく見られように、1番、2番、3番と段階的に難しくなる作りもある。旺文社の正答率50%以下の問題集で、たとえば23%の正答率の問題でも、確かにこれは応用の基礎レベルだなあというものがあれば、8%の正答率の問題でも、これが応用に入るかな、単に生徒の弱点分野と理解不足が原因の問題ではないか?と思える問題もあるわけですが、とにかくここでは、正答率は少なくとも5%未満、偏差値68前後と規定する。

 さて、そんな問題(殆どは大問の中の小問、最後の問題)、まず自分で解いてみた。しかし、5分考えても、解法の糸口も見出せない。どう解くのか、どこから攻めていけばいいのか、さっぱりわからない。そこで解答を見て、ふむ、なるほど、こういうことか、こんなふうに考えるのか、なるほど・・・。または、塾なんかで、先生の解法の説明を聞いて、そうかあ、そこがポイントだなあ、それを使えば解けるのか、よし、わかった・・・。そのあと、ノートやプリントの余白に解法を写す。

 まさかこれで終わりではないだろうね。当然、家に帰って、自分で再度復習をする。しかし、どう復習するんだろう? ノートに問題を写して、もう一度と解いてみる。えっ、それでまさか終わりではないだろうね? それでは、水が出てくるまで掘っていないではないか。その井戸を捨てた状態だよ。だからBのままなんだ! 
 
 このあとの勉強だろう、大事なのは! その問題の解法のポイント、それもただ1点、ぎりぎりの短い言葉で捉えきらねば、別の言葉で言えば、その応用問題を解く鍵を自分で見つけて、今までに掴んだ鍵に追加して懐にしまわねば、まだその知識と解法は単なる借り物だよ。そんなのすぐに消えて失せる代物だね。上から井戸の底の水を、眺め下ろしているに過ぎない。単にわかっただけだろう。

 そんな学習のやり方だから、自分自身の力で解けなかった応用問題は、そのあともまず解けない、と言っているのだ。ほんとうにその応用問題ができるようになりたいなのなら、その気持ちに必死なものがあるのなら、自分で再度、井戸を水が出てくるまで必ず掘らねばならない。その解法の鍵を、自分の手で確かに掴んだという感触を得るまで考えることである。

 その応用問題がぼんやりしたものではなく、はっきり鮮明に自分の目と頭で見えるまで、そして目を瞑ればその問題内容と解法の道筋が浮かぶまで、追求すればいいのです。問題レベルにもよりますが、なかには1日に5分、10分見直して、鮮やかに脳裏に浮かぶまで1週間もかかる応用問題もあるでしょう。しかし、そうして自分の身体に入ったものは決して忘れるものではないし、借り物ではない確かな応用力として、他の問題に活用できる能力として身につく筈です。これこそが、いや、これだけが、応用問題に対応する真の実力といえるかな、と思います。

 応用問題はまた、いたずらにたくさん解けばいいというものではない。解く能力と土台になる知識が十二分にあれば、たくさん解けば解くほど深く身につき、またそのスピードも正確さも上がるのは間違いない。けれどもこの学習に対応できる生徒は、私が観る範囲、いまや公立中学生の2%ぐらいだ。それよりはまず、いい応用問題を精選しつつ、丁寧に粘り強く自分のものにしてゆく勉強とその集積が、入試応用問題の対応力だと考えます。それはしかし、一朝一夕に培えるものではありませんね。長い目で見るべきです。