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  高校入試でターイセツなこと、って何だ?!
§198 塾にも行かずに公立トップ校を目指そうとする生徒へ VOL.1
<時代の流れに・・・>

 塾にも行かずに公立トップ校を目指そうとする生徒へ、というテーマで今回から数回、気の向くまま書いてみたい。

もちろん塾に通っていて、E-jukust.Comの問題集を併用している勉強している生徒とそのご父母の皆様にも、また全然そんなことは関係なく、意味ある情報(いつもながら甚だ心許ないわけですが)なら取り入れようと考えられている方にも、どこか参考になるところがあれば。

 初めに少し、ネット上で見つけた意見を勝手に拝借(ご免なさい)。専門家ではない一般の方の、ある種の識見の穣さとその独特な視点、分析に感心させられたといいますかあまりに正鵠を射ている(?)ので、敢えて載せさせていただきました。

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 経済の先行きが見えない。
 私たちの生活の先も見えない。
 これは当然だが、今まで、脳天気で毎日過ごしてきた私たちは、子どもをそ
こそこの学校へ入れておけば、なんとなく安心してきた。

 私立中学高校は金がかかる。公立中高は安い。
 しかし、公立は授業程度が低い。だから、仕方なしに学習塾へ行かせる。
 結局、公立学校の必要経費プラス学習塾の月謝と、私立学校の月々の支払い
と、比べるととんとんだと、ある知人が言っていた。
 だとしたら、環境も内容も良い私立が断然お得だ、と考える人もいる。

 この判断は、難しい。
 一流私立ならともかく、私立の大部分は、二流三流である。
 今でこそ、お粗末な指導要領と総合学習大好きの文科省の大失策との「おか
げさま」で、公立が潰れた。
 公立が沈没した反動で、私立が相対的に評価が良くなったものの、以前は私
立二流校なんて、通わせているだけで恥だった(とのことである)。

 それが、今や、人気校になっている。これは文科省と私立二流校の経営者が
裏で手を組んだのではなかろうか?

 だとしたら、CIAも真っ青の作戦である。うまい。<略>

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 飾らず本質だけ突いた、歯切れがよい短い表現で、きれいごとではなくみんながわりと多く抱いているかと思われる意見を、鋭い分析(?)のもと論理的に述べられています。

 公立が潰れた・・・。もちろんこれは、歴史と伝統また実績を誇ってきたかつての名門公立進学高校のことだが、そしていまも全国には、さいわいにも潰されることなく脈々と生き残って健闘している公立校も数多く(?)あるけれど、全体的な公立の地位の地盤沈下には目に余るものがある。わたしの出身校も潰されたその端くれの一つだけれど、なんとも歯痒いやら寂しいやら・・・。

 公立擁護派のわたしとしては、私立に通う中高生に負けずに頑張れで、いつも書いているつもりでいます。私自身、中高公立、大学国立、我が娘もまったく同じ、息子は中学公立、高校私立(ん? 公立は不覚にも見事失敗)、大学国立と、ケチケチ路線でやって来た。いや、それしか取るべき道はなかった。

 まあ結果、どうにかこうにかふうふう言いつつ、いや、ひいひい悲鳴を垂れつつ、そしてたぶんに偶然の要素も重なりあって、なんとかこれたというのが真相に近いかも知れないが、それだけに私立中高の環境のよさやその充実した授業内容の恩恵にはいっさい無縁である。

 いや正確にいうと、息子は私立高校に通ったわけで無縁とは言い切れないのだけど、入学式に一度足を運んだだけで、それも生徒とは別の、狭い校舎のなかの或る一室というか会場に、何百人という父母だけがぎゅうぎゅうに押し込められて、校長以下の簡単な挨拶と自校宣伝の長々とした説明を拝聴する破目になり、味も素っ気もない式が終わると、這う這うの体で逃げ帰りましたが。

 駅まで自転車20分、電車で30分、さらに次の電車に乗り換えるのに歩くこと数分、地下鉄に14,5分乗り、そしてわけのわからない道をくねくね歩き回って地上に出ると、学校まで当然数分歩く。なんやかやで計片道1時間半、往復3時間。これは都市部では(いや、地方でも結構あるか)ごく標準的なものなんだろうが、わたしはこれだけで悲鳴をあげた。おい、なんで隣の町の志望校に受からなかったんだ?!と、こころのなかで喚きましたね。おまけに、いや、大きなことに、ばかにならない高い授業料を払わされて、これでは踏んだり蹴ったりだと。

 わたしの場合、私立中高の環境のよさなんて喧伝されている割には信用しておらず、問題は授業の質と教師のレベル、そして生徒の資質と勉強への姿勢なんだろうが、それとて絵に描いたようには行かない、ものごとには表裏があり、表のきれいな部分だけ見せられて、その裏にはきれいでない事実や動き、矛盾も結構在るのだということも、認識と把握に違いはあれ識っておいても別にいいのではないか、と思っているわけです。なにやら奥歯にものが詰まった言い方ですが、私立の批判をする気など毛頭ないので、具体的な言及は差し控えます。そんなことすればいまのご時勢、流れに棹をさすにも似て、また勝手に自演するだけでその揚げ句、窮鼠猫を噛む状態に陥らないとも限らない。

 公立と私立の対比は次に譲るとして(といっても、たいしたことはまだ殆ど書いてませんが)、それも中学生に留めて書き進めますが、時代の流れに乗ることがいいのやら悪いのやら、現在では小学校から、まして中学ではさらに多くの生徒が塾通いをしています。

 通う事情、その動機や目的もさまざまでしょうが、そんななかでわたしがいつも奇異に感じ、首を捻って、うん?・・・と感じてしまうのは、私立難関中学受験は別にして、たとえば「中学になるからどこか塾を考えねば」と、そこになんの逡巡や躊躇いもなく大手や近くの塾を比較検討したり、また評判や大事な要素となる実績も調べたり、説明会に参加して熱心に情報を蒐めたりと、それはそれで大切なことでしょうが、「勉強はまず自分でするもの」という基本の太い柱のようなものがまるっきりない、またそういう発想が最初から根本的に欠落しているんではないの?!といったことが、その言葉や質問の節々に随分多く見受けられる、ということです。

 いままでに何度も触れていますが、「学習は、学習するものが学ぶことによってのみなされる」という真理、つまり「勉強は自分でするもの」=「学ぶ」の関係が成り立つ生徒は、塾なんか特に行く必要はないんですよ。

 この言はいまの時代、かなり誤解と不信を招く表現にもなりかねませんが、しかしほんの一昔前なら、ごく当たり前のことでした。さらにさらに一昔前なら、上の学校なんて行って勉強する暇があるんなら、内の家業を少しでも手伝え、と、そういう親もたくさん日本にはいました。よいわるいではなく、時代とともに、世の中の常識も変わるということ。

 しかしその時代の常識にみえることが必ずしも正しいというわけでもなく、公立トップ校を志望するならなおのこと、基本の学習姿勢の形成と自分の力の把握だけは常に怠りないものにしておくべきだと、そしてもう少し自立した形での「学ぶ」という意味を中学時に体現しておくべきだと思うのです。

 この続きは、次回に。