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  高校入試でターイセツなこと、って何だ?!
§95 勉強に関するノウハウ本って?!・・・
<あまり先のことを見ずに、十歩先に見えるものを大切に>

 いま、世間の一部を騒がせている(?)本、「公立小中高から東大に入る本―本当の学力が身につく勉強術」について、一言、二言、三言、もの申してみる。

 特に買って、詳しく読んだわけではない。書店で少し、立ち読みしただけだ。1300円だか1400円だか知らないが、この本、というより、雑誌にお金を払ってまで読む気はしない。ネット上でさも大事そうに、また秘密のノウハウが一杯書いてあるかのように、大の大人が喧伝しているのを散見するにつけ、そして、いかにも今風の時流に則ったあからさまなネーミングにつけ方に、一体どう神経と学識の持ち主なんだ?と、少しく興味を抱いたものだから、気分が悪くなるのを覚悟しつつ、突っ立ってぱらぱらページを捲った次第。

 案の定、「いいこと」が一杯書いてあった。でもね、いまその内容を憶いだすに、数多あるノウハウ本と同じく(ああ、これまでどれだけ多くのその種の本を読んできたか・・・)、わたしのあまり出来のよくない、脳内の海馬なる貯水池には、例の如く殆ど残っていないんですね。では買って精読したとしても、やはりこの種の本、雑誌は、感銘を受け印象に残ることがあるかといえば、また触発され、啓発され、その中で何かしら実行に移すべき教訓を汲み取ることがあるかといえば、わたしの場合、恐らくないのも容易に想像できる。

 わたしがそうだから、皆様もそうだろうと、おこがましくも予測を立てるつもりは毛頭ない。が、しかし、著者が灘中、灘高の私立一貫校で実践してきたこと、そして東大の理靴某奮悗靴┐紳慮海髻△修梁仂櫃鮖篶生に向けて発信するのならわかるのだが、たとえ塾経営で公立生を間接指導、地方の公立高校のごくごく一握りの優秀な生徒を東大へと合格させてきたとしても、それを営業戦略にのせて拡大解釈し、畑違いの、それこそ不特定多数の公立小・中学・高校生とその父母に、これこれの学習方法と奨める教材をやれば誰でも行ける的な、心地よい幻想と妄想をたとえ一瞬なりとも抱かせる内容と主旨には、そこら辺の安物の新興宗教にも通じたもの、即ち似非と欺瞞を大いに感じてしまう。

 その「いいこと」は20も30もあったと思うのだけど、わたしなんか、10の「いいこと」と1の「悪いこと」を目の前に並べられたら、1の「わるいこと」に目を奪われてしまうだろうな。話はここでおおいに脱線するが、先日、コンビ二で、安土茂著の『続・実録!刑務所のヒミツ(破獄11回「脱獄王」の全貌)』なる文庫本に目が留まり、このストレートで飾り気の混じらない題名と本文の予想外の字の多さに惹かれ、興味本位というかまた暇潰しにでもなるかと軽い気持ちで買って読んでみた。筆者自身もと受刑者で、獄中生活15年の体験者である。

 随分感動したし、勉強にもなった。ふーん、そういうものかと、唸ったこと数知れず。また、文体というか、文章の力も相当修行されており、感心することしばし。まあ内容はここでは控えるとして、偶然とはいえ、「続――」から読んでしまったわけで、最初の本をどうしても読みたくなり、コンビ二はもちろんあちこちの書店を捜しまくったけど、どうしても見つからない。二見文庫なので、そうそう置いていないわけだ。ついに根負けして、或る大きな本屋では店員の人に、これこれしかじかの本はないかと訊ねるも、要領を得ず。

 流通経路と出版社の大きさ、また力の入れ具合が大きく違うだろうが、片や誰の目にもすぐ留まるところに、どっさりこれでもかと置かれ、片や・・・、いや、そのようなことはどうでもいいことだが。

 話を戻す。その前書きに、わたしの言うことを「信じて」やるならば、とか、「信じて」云々と、2度も「信じる」という言葉を用いていた。確かに「いいこと」を10も20もしなければ、とても合格への道を歩めないとしたら、また例えば、中学からスタートしたとして最低6年後のわからない将来を見据えるとしたら、信じなければとてもとてもやっていけないでしょうね。わたしの場合、この言葉が安易に載ってる本は、まず信じないといいますか、拒否反応を起こしますが。

 99%無理で、また実行不可能ですが、残りの1%に賭けてみる気があるのならやってみてください、とか書いてあれば、多少なり信じてみようかなという気が起こるかもしれませんが、そのような神経と良識は、まず煽情的な本の題名からして、まずないでしょうね。

 自分のいいところだけを見せようとする人は、自分にとって都合のいいところだけを選び、また恣意的に作り出そうとするのが常で、それは個人であれ、組織であれ同じこと、政府なんかもまさに典型か(厚生省然り、外務省然り、農務省然り、文部科学省? まさに、語るにおちる)、この種の本から塾のチラシ広告、新聞、雑誌、テレビ、ラジオなどのマスメディアの情報、また最近
のインターネット上の情報など、少なくともその90%以上は虚妄か、要らぬ情報だろう。

 知識と情報はもちろん大切なものだが、それだけにわれわれは、歴史的にかつてない未曾有の情報の洪水の中で、必要な情報と正しい情報、知識の入手が、以前にもまして困難になってきた。それに比例するかのように、受け取るわたし達の感覚の麻痺と鈍化、主体性の欠如、低下、ものごとを認識し判断する力の劣化というか幼さには、いまや目を覆うものがあるといえる。

 この種の本を手にして読むのは、恐らく生徒自身より、その父母が大半を占めるのではないかと推うのだが、行なうのは子供であり、もしその子供の、根本のこころのあり方が定まっていないで、遠くにあるものを求めようとすれば、
 ――木に縁(よ)りて、魚を求むるがごとし。
 の、虚しい結果に繋がりかねない。
 
「成功者は、自分で考えてから、他人の知恵をもらう。それとは逆に、他人の知恵をもらってから考えるので、失敗するのである」
 と、或る本に書かれていた。なるほど、と思う。

 成功者はいいとして、殆どの場合、人は後者、他人の知恵をもらってから考える、のであろう。この場合、それが知恵ならいいのだが、「いいこと」の殆どが、単なる受験ノウハウ、テクニックに類するものであるという点で、知恵とは無縁のもの、それだけにより一層、失敗の可能性が高いのは否めない。

 確かに、わたしの意見は今回、否定的なものばかりで、建設的なものは何もない。何事も、批判するのは簡単だ。それは重々承知している。しかし、このようなものが脚光を浴び大手を振っている現象が、いまの日本の民主教育の停滞と迷走ぶりを映しているようで、なんとも白々しく、また、無分別にそれを持ち上げている一部の大人のあり方に、いい加減目を覚ましてものごとを観たら、といいたくて、書かずにはいられなった。

「学べることは、教えられず、教えられることは、学べない」