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  高校入試でターイセツなこと、って何だ?!
§38 わからない、ということについて VOL.3
<わからないの5番目と6番目>
 
 今回は下の5番、6番について触れます。

 時系列的に並べてみると、
1.新しいことを学んでる際に、どうもいまいちわからないところが出てくる。
2.宿題をしてる際に、これ、わからないや、が出てくる。
3.以前に習ったことが出てきて、忘れてしまってわからないになる。

 気持ち的に並べてみると、
4.例えば、数学の文章題や図形の問題を解く際に、文の書いてある内容がよく
 わからない、また簡単にわからないと考えてしまう。
5.間違いを指摘されて、その誤りの説明がわからない、ことがある。
6.本当に難しい問題を解く際に、さっぱりわからない、という気持ちになる。

 5番の「間違いを指摘されて、その誤りの説明がわからない、ことがある」ですが、これはどういうことかと言うと、教わる生徒側より、教える側に「わかっていないなあ」と感じさせる場面が多々あるということです。

 例えば中3の英語で、その具体的場面を書いてみます。
 中3の不定詞の文法を勉強する前に、中2の不定詞のおさらいと確認をしました。ご存知のように、不定詞には3用法があり、名詞的用法・形容詞的用法・副詞的用法ですね。中2でたっぷり演習しました。その後もいろんな文法に混ぜ、反復しました。中3での、want(ask・tell)+人+to 不定詞との違いを明確にする為、再度、中2の不定詞の用法と意味、特徴を説明。

 例によって胡散霧消、知識の痕跡も残っていない平然とした顔の生徒も中にいるので、声を張り上げて解説する。漸く基本の全体を想い出したかのような生徒の顔。それから中2の不定詞の基本演習をし、答えのチェック。次の授業で、中3の不定詞の演習に入る前に、宿題の答え合わせをした。中2の基本的な不定詞の英作問題。

「私の姉は病気の人々のために何かしたいと思ってる」
 <生徒の答え>
・My sister want something to do for sick people .

私  :「?・・・(おいおい、2箇所も間違ってるぞ) 主語は何? 」
生徒:「私の姉は」
私  :「何人称?」
生徒:「3人称の単数」
  <この基本中の基本である主語の確認は、時制と文の形と併せ、中1から徹底して指導して   る為、何十回、何百回とミスをした後、殆どの生徒は出来るが、この生徒は中3からの入塾   で、それさえまだ頼りない>
私  :「じゃあ、言い直して」
生徒:「My sister wants something to do for sick people .」
私  :「(ふーっ)基本を守れ。次に、something to do って、何用法?」
生徒:「副詞的用法」
私  :「?? 違うだろう、この前、確認しただろう、形容詞的用法!じゃあ、
   something to do の訳は?」
生徒:「?・・・」

 しまったと思っても、もう遅い。直截に日本文との対比で、間違いの修正をしてゆけばよかった。つい3日前に、詳しく3用法の復習したものだから、その確認で軽く聞いたのだが、この生徒はまったくわかっていないのだ。正解へ導くどころか、どんどん離れていく。そのあとの問答は、まるで泥沼に足を突っ込んだ状況だ。しかたない、黒板に一から噛んで含んだように説明。答えの、「My sister wants to do something for sick people .」の名詞的用法の英作文に辿り着くのに、30分以上費やした。お蔭で、授業予定はがた狂い。

 間違いを指摘し、正解を言うだけなら10秒で済む。それでは90%以上残らない。あくまで生徒自身がどこが間違っていて、何がわかっていないのか、更に何をしっかり考えてやらねばならないのか等を、生徒自らの頭で確認できて反省し、覚えない限り、本当には身につかない。しかし、この作業は本当に心身ともに疲れる。

 間違いの説明をされて、少なくともその説明の土台になる言葉ぐらいは理解、覚えていてもらいたい。多いですよ、このレベル。しっかり復習して、考えなさい、としか言い様はないですね。

 最後の6番です。「本当に難しい問題を解く際に、さっぱりわからない、という気持ちになる」
 これは誰しも勉強していて出会う自然な感情ですし、私も随分経験しました。これは問題のレベル抜きにして論じられないのですが、結果からいうと二つあるわけで、それは、さっぱりわからないという気持ちを抱いたまますごすご引き下がったか、さっぱりわからないのをあれやこれや考えている途中に手がかりを(論理的に、また偶然に)発見して、それをきっかけに解けたか、のどちらかです。

 そのどちらも数々体験してきましたが、途中ですごすご引き返すのは単純に気分がいいものではなく、逆に、さっぱりわからない壁を突破したときにはとても爽快、心地よい疲労感と少しの自信を味わって、気分のいいものです。特に、この心境は数学に多いわけですが、中学生にとっては、英語の入試長文に対しても、社会の表とグラフなどからなる資料問題でも、また理科の電流の応用問題についても、国語の古文の読解に際しても、さっぱりわからない、という気持ちを抱くかも知れない。

 しかし、本当に難しい問題というのはそうそう身の回りにはあるわけではなく、学校はもちろん基礎ばかりで(もう少し入試に絡んだ、やや応用までやるべきだと思いますが)、塾にしても超難関私立高校を専門に目指してるならいざ知らず、公立高校進学を主体にした塾の特進クラスでも、格別難解な問題を取り扱ってるわけではない。

 難しいなと思ってる問題の大半は、実は本当に手におえない高度なレベルの問題ではなく、多少は修練と背伸びが必要だけど、努力して考える習慣を持続してゆけば、なんとかなる問題なんですよ。しかしこの6番は、全ての生徒に当て嵌まることではなく、足元の基礎が充実していないのに、徒に応用レベルの問題をしても逆に効果が薄い、却って害をなすことが多いので、その辺は慎重にしたほうがよいと思います。

 以上、長々と3回に亘って、「わからない、ということについて」というテーマで述べてきました。まだ、「わからない」という位相はあるかと思いますが、普段生徒の勉強に接してきて、絶えず考えさせられる問題を中心に書いてきたつもりです。自立学習という言葉がありありますが、それは2番から6番までの少なくとも4つは最低クリアーした生徒の姿ではないでしょうか。

 単純且つ純粋に見れば、現在の公立中学の学習過程における限り、「わから
ない」という感懐、場面が出て自然なのは、1番か6番の二つである。もしこ
の二つのどちらかが、自分でやっていてどうも上手くいかないのならば、塾に
行ったり、家庭教師について勉強するのも一つの方法ですね。

 けれども現実の生徒の姿は、複雑で混沌としている。言われたことはするがそれ以上のことは決してしないというか、自分のことなのに何か人事のような、それでいて人の手助けを待つ姿勢が観えるというか、習えばあとは自らの頭と足で進んでいこうとする気概を持ってる生徒がどうも少ないような気がする。
 
 2番から5番までの「わからない」という悪癖は、出来うる限り中学の間に排除しないと、高校に入って自ら一人の力で勉強していかなければならない時になって、大いに難渋する破目になりかねない。人によってこれらすべて当てはまる生徒もいれば、二つ三つ心当たりがある生徒もいるだろう。これは直したほうがいいなあと思うものから、大至急改善していくべし、ですね。
 
「わからないところから勉強は始まる!!」と思うんだけど、生徒を視ていると、その学習風景は、わかるところまでしか勉強しないようにみえる。この感懐は私だけではあるまい。