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§297 中1学習について new
<予備知識として>

 中1の勉強を進めていく上で、予備知識として持っておきたいこと、また注意しておくべきことを下に、箇条書きにして羅列してみました。ただし、いまの公立中学の枠内に限定し想定して。

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1.1学期の授業スピードは、とてもゆっくりしたものである。
 
2.中学になると、新たな内容をまっさらな状態で学習していくということではない。

3.英語も数学も2学期の学習が大事である。

4.国語力は教科書のなかに在るのではない。

5.実力の正体がはっきり見えてくるのは、2学期の後半からである。

6.理科と社会もできてこそ、数・英の成績のよさが多少とも誇れるのである。

7.数学のほんとうの力は、中1の教科書、学校の授業及び塾の授業で形成され
 はしない。

8.復習の大切さ、繰り返し学習の必要性、そして暗記の大切さなど、ほんとうに
 わかって勉強していきたい。この学習姿勢と習慣は、なんとしても中1の1・2学期
 のあいだに形成されるべきである。
 
9.成績表――。一応信用しても、信頼はするな、ってとこでしょうか?
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 以下すこし、補足説明を。ただこれはあくまで概略にすぎず、詳しくはこのHP上で
ひとつひとつについてかなり述べていますので、より深い内容はまたそれらを参照してみてください。

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1.1学期の授業スピードは、とてもゆっくりしたものである。
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 公立中学の場合、特に英語と数学について、1学期の授業スピードはとてもゆっくりしたものである。このゆっくりムードで勉強して、理解も容易にでき、テストでもいい点数がとれる(とれるように1学期は作ってあるのがふつう)と、ああこんなものかと楽に考えてしまう生徒が多く見受けられる。

 なら、なんで2学期・3学期に進むにつれてテストの平均点が、たとえば英語で中1の場合、88点(1学期)→72点(2学期)→60点(3学期)と、例外なく決まったように下がってしまうのか? その主原因はいままでに詳しく述べているのでここではもう言及しませんが、付随する原因のひとつとして、このゆっくりムードの、あまりにもとろい学習速度に伴うデメリットの部分、その陥穽に嵌ってしまうこともあるのではないかと思っている。

 ゆっくりなら、ゆっくりでいい。その代わり、自己の学習スタイルをその間に確立せよ。中2や中3になって、勉強のしかたがわかりませんと言うことのないよう、真剣に試行錯誤して見つけよ、である。数・英ばかりに気と時間をとらわれず、理科や社会、国語の勉強にもしっかり時間を振り向け、その学習スタイルを確立せよ。すでに苦手な科目があるのなら、それはたいてい小学校から引きずってきているわけだが、それを補い埋めることに、この余った(?)時間を使え、といいたい。

 下の7でも指摘しているけれど、一応基礎の学力がある生徒は、もっと図形の勉強をせよ。どんどん先の勉強を進めるのもいいけれど、それは習ったことがほぼ完全に身につく生徒にいいことで、しっかり自分の力をみつめれば、やるべき事はいっぱいあるんではなかろうか? 

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2.中学になると、新たな内容をまっさらな状態で学習していくということではない。
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 英語はすこし条件や背景が異なるけれど、数学も国語も社会も理科も小学校で学んで吸収したであろう知識と学力の基盤の上に、中学での学習が成り立っている。

 どこでどう仕入れたか直接その著書の言葉に触れたものではないので定かでないことを書くのは気に染まないが、わたしのメモに、おそらく養老猛氏の言葉(?)と推うのだけど、なるほどと感じた次のような文句があります。

 〜自分の頭の中にすでに「わかるものだけのもの」があるときに初めて、理解が成立するのです。〜

 また、出処はまったく違うものとして。

 〜読みながら自身がすでにもっている知識と、新しく得た情報とを組み合わせて知識を再構築している。〜

 この、2つの「理解」と「知識」の指摘はそのまま、中学の勉強をしていくことにも当て嵌まる。

 下の8でも言及しているが、たとえば数学の正負の数。
 5+2×4=5+8=13 これは小学時で学んでおく学力である。
 それが数学になると、 5−2×4=5−8=−3 

 頭のなかに、小学時の四則計算のルールがきちんと入っていれば、新しい情報である負の世界の意味を理解し、それを組み合わせた計算ルールも知識として再構築できる。

 しかし、5+2×4=28としてしまう生徒は、5−2×4=12としてしまい、教えてもなかなか理解が捗らないし、知識を再構築するのも覚束ないことが多い。

 ひとつ知っていてほしいのは、誤った知識から正しい知識へ一気にすぐ直せるものではない、ということ。誤った知識をいったん消し去るまでに、時間と苦労を要するのだ。それでゼロの位置である。ゼロから新たに正しい知識へ再構築する。つまり、二段階の理解と勉強が要る。

 こうした学力の生徒は公立中学の場合、なんと半数近くはいる。塾に通っているから大丈夫というものでもないのである。じゅうぶん注意されたい。これは数学に関して、その問題点をほんの少し触れたにすぎない。他の科目にもいっぱい問題点があるといえる。

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3.英語も数学も2学期の学習が大事である。
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 書いているとおりで、なんら説明は要らないであろう。その理由の半分は、下の5で述べています。あとの半分は、2学期なって肌で感じればいいのかもしれない。とにかく大事である。

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4.国語力は教科書のなかに在るのではない。
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 国語力を構成するなかで最も基本となるのが読解力だと思うが、これを培い、育てるのは、なにより自分自身である。それにほんのすこし道筋と光を与えてくれるのが、教科書とその授業であろう。この授業が上手い先生もいれば、下手な先生も当然いる。もし上手い先生に出遭えれば、それは僥倖というもので、そのようなことを期待する前に、まず自分自身で自分を鍛えるべきであろう。その場は、読書である。教科書の厚さの数十倍は、1年で読みなさい。読むことを学びなさい。そうお勧めする。さてしかし、できるか・・・。昔の日本人はかなり多く、これをしてきたのだが。

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5.実力の正体がはっきり見えてくるのは、2学期の後半からである。
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 これは、英語と数学である。1学期の成績は、ほぼみんないいのである。そういうふうにできているし、評価もとても甘い。それはそれですべての生徒のモチベーションを高める意味でとても大事だし、大いに結構なことである。

 ただ2学期になってあるいは3学期になって、成績が下がってきたと判断するのは、ちょっとおかしいのである。プラスマイナス0の位置にいた生徒が、たとえば1学期はプラス20の位置にいきなり(?)上がった状態(作為的に上げてもらった状態?)で、それが自分の力の位置0に戻ったにすぎないのである。といえば、あまりに冷たい、厳しい言い方になるだろうか。たぶんに顰蹙を買う表現だと重々承知しているが、そうはなってほしくはないからあえて書いているのです。

 1学期の成績や評価に、決して甘んじていてはいけない。なにもしなければ、いや、1学期と同じ感覚と気持でさして努力もせず勉強に取り組んでいれば、2学期以降成績が下がるのは、当然の帰結といえよう。

 この生徒本人側の問題点と教えられ学習してきた知識が、2学期半ば頃に、ようやく増えだすのです。正しく蓄積されてこなければならない知識とノウハウ、それらをつねに整理整頓し、正確な理解と暗記の積み重ねが適正に行われていない勉強のしかたでは、その歪と欠陥が、この頃に露呈することになる。じゅうぶん注意してもらいたいと思います。

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6.理科と社会もできてこそ、数・英の成績のよさが多少とも誇れるのである。
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 よく、います、数・英の成績はじゅうぶんにいいけれど(といっても、2割前後か)、理科と社会となるとてんで力のない生徒が。さらに定期テストでは90点以上とれているのに、実力テストになると興醒めするような点数をとってしまう生徒が。特に後者の場合、見かけの力か本物の力か、その見極めが大事なんだけど、残念ながら半数以上は、見かけの力である。理科と社会が本物の力であるよう、時間も手間もかけ勉強したい。

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7.数学のほんとうの力は、中1の教科書、学校の授業及び塾の授業で形成されはしない。
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 中1数学の単元、「正負の数」「文字式」「方程式」「関数と比例」「平面、空間図形」「資料の整理」の6つ。これから何がわかるかといえば、1年の3学期になってやっと、ほんとにやっと図形の学習があるということ。計算や文章題ができるようになっておくのは当然とここではしておくが、それが数学の力ではない。数学を支える土台の力である。

 ほんとうの数学の力は、その上にある。中学数学に限定するが、その最大のものは図形力である。なにより証拠、入試数学の半分は図形問題であろう。1年のうち3学期の、それも実質2ヶ月やそこら、その内容も昔なら小学校で学んだことが半分も占める図形学習をして、逆にいえば、残り10ヶ月も図形の頭を練ることもせず、いったいどうして数学のほんとうの力を形成していくことができるのだろうか?! お粗末に過ぎる。中1の教科書も学校の授業も塾の授業も。図形の勉強というものは1年を通して、少しずつでもやっていくのが、図形能力を高める、真剣で確かな方法だと思うが、さてどうか。

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8.復習の大切さ、繰り返し学習の必要性、そして暗記の大切さなど、ほんとう に
 わかって勉強していきたい。この学習姿勢と習慣は、なんとしても中1の1・2学期
 のあいだに形成されるべきである。
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 習ったことは忘れない勉強をせよ。

 ケアレスミスはどうしたら無くせる?だって。こんな質問はよくありますね。ケアレスミスはなくなりません。そうではなく、ケアレスミスを「最小限に食い止める」勉強を、ふだんのなかで見つけろ、である。ケアレスミスもしっかり観察すると、いろんなタイプがあるのだけど、あきらかに演習不足、理解不足から起こるものがある。そんなものは、テストでケアレスミスをしたという代物ではなく、甚だ甘ったれた認識不足にすぎない。ふだんの勉強、豊富な演習のなかでやって、そこでそれをしない方法を考え、また改め、その穴を埋めていくものであろう。

 たとえば数学。正負の数。累乗の計算ミス。

 (−2)^3=(−2)×(−2)×(−2)=−8<^:ここでは累乗の意味>
 なんでこれが、−6とかになるミスを起こすんだ? なんで−2×3=−6となってしまうんだ? こんなものを、うっかりミスとはいわない。ただ、できない力にすぎない。

 累乗の意味を説明して理解できたから、累乗の意味を納得したから、計算ができるようになると必ずしもいえないのが、生徒の現実である。習ったら、今度は自分の頭で復習せよ。頭の理解に止まらず、繰り返し演習して、身体のなかに染み込ませよ。そしてこんなよく出てくる計算は、(−2)×(−2)×(−2)なんて最初だけの、ちんたらした途中式なんかは書かず、瞬時に頭に浮かぶよう暗記しておけよ、である。

 一方、「5+2×4」という計算では、「途中式」を必ず書いて計算を進めるのが基本中の基本であろう。5+2×4=5+8=13 なんで「5+2×4=28」と間違える生徒が、続出するのか?! 

 「途中式」は必ず書いて計算を進めていく場合と、省いてよい場合と、ふたつある。その違いは何か、またその区別を厳密に教えていくべきだし(実際はあまり教えていないね、教えたとしても中途半端だね)、生徒はきちんと守ることが求められる(つまり、守らない生徒があまりにも多い)。

 なお余談ながら、「累乗」とはどう意味か? ‘乗’は、‘乗’法の掛け算であることはわかるとして、‘累’は、累(かさ)ねると訓む。すなわち、掛け算を累(かさ)ねる、という意味で、(−2)^3は、(−2)を3回重ねて掛け算する、ということになる。こうした説明はすべての生徒の頭に残るわけではないが、一部の生徒には記憶にくさびを打つことができる、ともいえる。プラス?の雑知識もできれば取り入れたい。

 何度も何度も書いているが、「わかること」と「できること」とは違うってことを、中1生なら早目に、よくよく自覚できるようになること。

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9.成績表――。一応信用しても、信頼はするな、ってとこでしょうか?
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 これは余計なことかもしれない。また、こちらの真意も伝わりにくい表現かもしれません。ただ、中1の学校の成績、また塾などの学力評価の偏差値に一応の目安や判断の基準を置くのはもっともなことだ思うけれど、それは信用程度であって、信頼までは置くのは如何なものかと思う。いままでの実力はさておいて、これからつけていく実力に期待を寄せるにしても、つねにしっかり足元をよくみておきたいものである。その観察の眼は、上の1から8にああります。以上です。