高校入試でターイセツなこと、って何だ?!
§194 国語に関する質問につきまして
<認識のずれが・・・>
 
 国語に関しての質問を時々受けるのですが、これはとっても困るんですね。国語に関するご質問や助言の要望には、どうにもお答えできません。

 わたしの専門とする科目は英語と数学です。ですから、英語と数学の勉強のしかたやその問題点についてはわかる範囲でお答えしております。また同様に、社会と理科に関しても多少知識やノウハウがあるもので、英・数に較べやや厚みや拡がりに劣るものの、その範囲でならなんとかこれも、ある程度お答えしている状況です。

 しかし国語は、まったくの門外漢であります。助言など、以てのほか。まあ、いまどきの生徒の国語力のひどさには、数・英、ときに社会を教えていても、うんざりするほど日常的に、かつ恒常的に体感してきましたから、そして至るところにその穴は口を大きく広げ、生徒にとっては学ぶ上での障害に、そしてこちらは教える上での数多くの障害にひどく悩まされ且つ苦悶苦闘してきまし
たので、その現実を知悉しているだけになおさら、もう勘弁してくれ、いえ、勘弁して欲しいとただただ願うばかりなのです。

 中途半端にその原因と実情を知っているのなら逆に、理想的で観念的なことをあれこれと、わかったような顔をして楽に書けるのですが、如何せんそれは、生徒の次元に立てば殆ど実効性に乏しいことが、いまでは痛切にわかっております。

 人が求めるのは殆ど、即効性のある学習のしかたであり、あるいは多少時間がかかっても、目に見えて効果があると先に保証されている方法かの、結局はどちらかでしょう。しかしながら、国語の科目というものは、本質的にそのどちらも受けつけてはいません。これは意見が枝れるところでしょうが、わたしはそのように把えています。

 それゆえ、国語の成績がよくない、勉強していてもテストで思うような点が取れない、実力テストでも国語が足を引っ張る、どのように勉強すればいいのかなど、その適したアドバイスをして欲しいといわれても、それは多分に前者の即効性のある学習のしかたであるから猶のこと、ほとほと困るのです。

 その質問自体はじめからして、こちらとの認識のずれ、距たりが大きくあるのですが、ご父母の多くが実は、国語を他の4科目と同列に捉え(もっともなことです。それが一般の常識だから。しかし、わたしはこの見方に合点がいかない)、また勉強のしかたと努力次第によっては、簡単とはいえないまでも成績が上がると見做しているでしょうから、わたしは返答のしようもありません。
 これらのことを一々説明するのも、正直煩わしい。なぜなら、非常に長く時間をかけて説明をしなければなりませんし、たとえ説明をしたとしても、それは、決して相手に納得してもらえるものではないことは、重々承知しているからです。
 
 今回の内容もそうかも知れませんが、不毛に思われることが関の山です。また「お答えできません」というのも、それ以上に不親切にみえてしまうわけで、事実答えることはできないのだけど、このあたりどっちに転んでも損な役割を突然被ることになり、Oh, my God ! ということになります。

 そもそも質問するところが違うんだけどね。本来、国語に関することは、国語を専門とする教師やその道の専門家に訊ねるべきであり、また、その原因と結果を延々と作ってきて、なんとも素知らぬふりをしている、まさにその当事者たちにこそ質し、問い詰めるべき難題(?)だと思うんですが。

 ただ、目に見えて効果があると先に保証されている方法には、受験国語の知識として技術的に学んだら点数を上げられる、解答を論理的に見いだせる、といった指導が、世間にはいろいろあるかと思います。大学入試で威力を発揮されている出口氏の「論理エンジン」などは、有用性においては数少ないなかのひとつのいい例かも知れません。(最近は小学生レベルまで拡げているとのことですが、さて・・・。)

 しかしこれとて、ある水準の基本の能力が備わっていてその上に成り立つものであって、そしてそのなかの何分の一かだけが、吸収し活用できるものであろう。つまり、すべての者が成績が上がるといった保証はどこにもない。

 ましてやいま問題となるのは、そのレベルではなく、もっと基本の中学生段階、それもせめてこれくらいのことは知っておろう、また小学校の4年から6年で学習した、そして中学校の3年間でさらに学習した、当然の基本知識なるものを、驚くほど多くの生徒が習得し切れていない実情を目の当たりにして、まずはそれらが大丈夫なのだろうか、と逆に訊きたくもなります。

 真に役に立つ助言は、数多ある中でほんの僅かなものです。またそれは、たまたまその生徒の実情に合ったものかどうかに拠るところが大であるし、「合理的に納得のいくものか」・「自分が実行可能か」のふたつの基準だけは、最低限持っていて、判断していくものでしょう。これは何も国語だけに関することではありませんが。

 論旨をここで無理やり枉げてしまいましたが、国語に関してはその点で、わたしには「具体的方策」のあれこれを語る知識も材料もそれほど持ち合わせていません。その点をできればお判り願えればさいわいに存じます。以上の内容とはまったく違う見解を別に持ってはいますが、これ以上続けるとさらに話の筋道が紆余曲折してしまうで、この辺で。

 具体的方策をささやかながら提言できるのは、また具体的実行材料としての問題集を明示できるのは、英語と数学、そして社会とほんの少しの理科であります。具体的方策とその実行手段である問題集を持たずに、ただ言葉の上だけで勉強のしかた云々を論うのは、わたしの信条からは逸れてしまい、潔しとするところではありません。どうも、硬い表現になりました。