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  高校入試でターイセツなこと、って何だ?!
§208 質問をする、ということについて VOL.2
<うーん、応える気が・・・> 

 いい質問とマズい質問。
 マズい質問のひとつを前回、最後のほうでご紹介しました。質問する側の情報が漠然としていると、受け取る側の回答者のアドバイスも、たとえていねいに詳しく述べられているかに見えても、実際よく読むと的を外した意見になっていたり、あるいは誤った情報が結構盛り込まれていることになる、というものでした。

「英語の勉強のしかたがわかりません。どうしたらいいんですか?」
 なども、まったく生徒の同種の質問ですが、まるで学校の授業で質問することと同じスタンスで気軽に問いを発している。どこの誰で、また現在何年生で、定期や実力テストの学力状況、また普段の勉強の有り様なども書かれていない。これではまったく判断のしようも対処の方法もないのです。くどくなりますが、それは十二分にホームページの「学習のしかた」に載せているので、自分に合ったものをまず実践すること、そこから生まれる部分的な問題には、部分的に明確に応えることが、ある程度はできるわけです。

 さて次に、ご父母の方からいただくマズい質問の例2つ。
 先に述べておきますが、上の生徒の例も含め、なぜこのような話題を取り上げるかと言いますと、その意図は、いい質問例から学ぶことより、マズい質問例から学ぶことのほうが、むしろ役立つことが多くあるわけで、またそれは一般に、質問する場合の相手への配慮とよき印象を得ることにも繋がる材料にもなるかと思えるからです。

 申し上げるまでもないことですが、このことをすでに十分持ち合わせているは多数おられます。また、二度目以降の質問では余計な配慮や過度の情報は要らない場合も、結構あります。あくまで初めての場合の、唐突でまったく相手が見えない、何のことだかさっぱりわからない状況下の問題です。

 マズい質問例、その2。
・状況説明が詳しいのは構わないのですが、問題点があちこちと飛び、整理されておらず、そしてやたらと質問事項が多いといいますか、細かな点に質問の?マークがついている質問です。

 いちいちそんな細かなことぐらい自分で判断し、結論を下せばいいだろうと思えること、靴下履くに、右足からがいいのか左足からがいいのか、そんなの勝手にしてくれっ、と思える質問まで含めて訊かれる方がなかにいます。勘弁してくれ、わたしはそこまで暇人ではないと思いたくもなるのですが、それ以上に、肝心の、中心になる質問(であろうと思われる)に対しても応える気力
が萎えてしまいます。

 質問はただ一点、一番知りたいことに絞ってまずは訊くべきではないか、と思います。そのために必要な情報はもちろん詳しく盛り込んで。

 マズい質問例、その3。
・「・・・<中略> 塾にも行かせました。家庭教師にも習いました。しかし成績はさっぱり上がらず、近頃はやる気もまったく失せてしまいました。 どうすればやる気が・・・<省略>」

 この質問を、読者の方に、すっかり丸投げにしてみます。少しだけでいいです、考えてみてください。あなたならこの問いにどうされますか? どういう具体的なアドバイスができますか? 「やる気」という、実体のない、目に見えない精神的な対象に対し。この種の質問は本質的に、プロだからできる、素人だからできないというものではありません。

 これでもほんとうのところ、生徒本人が果たしてどこまでやる気が失せているのか、また何をきっかけとして立ち直るのか、それは大袈裟にいえば天のみぞ知る、わかったものではありません。じつに、直接指導してみて、小さなことから始める以外にはないのです。つま本人を見ずしてメールや言葉で、とても説明や助言を与えられる性質のものではありません。

 どれほど難しい質問でもときに答えられるものと、この種の質問のように、根本的に対応できない質問があります。もちろんこのことがすべて、事実の全体を占めているわけでもありませんが、質問をされる場合は当然相手の、専門的な領域と役割というものを、予め見定めることは必要でしょう。

 このことに関して付け加えます。ホームページや作成している問題集の内容をよく観てもらえばわかることなのですが、わたしの専門領域は中学です。よって、中学生の日々の勉強から高校入試まで、それにまつわるあらゆる情報と細かな問題点、ある局面などについて、それも知悉している範囲に留めて、少しでも役立つことを心がけて述べています。

 小学校や高校に関しても必然的に述べねばならないことには言及していますが、あくまでそれは、中学を基点に置いた視かたと意見であり、小学校を中から、また下から見上げたものでは決してありません。それを間違えて、あるいは混同して、小学生の問題点や悩みなど、まさにその土俵でご相談や質問をされる方がなかにおられます。これは、しようにもできないのが実情です。その理由は、以下。

「疑を以って疑を決すれば、決(けつ)必ず当たらず」
 というのは、荀子の言葉です。その意は、あやふやな根拠にもとづき、あやふやな心によって判断を下せば、必ず見当外れな結果が導かれる、ということ。

 まあ、わたし個人の小学に対する、おおまかな警めみたいなものです。主義一貫とまでは行きませんが、むしろ反対に、小学校段階ではもっと遊べ遊べ、やること済んだら気楽に、自由に、のほほんとしておけよ、というのが、わたしの無理しない普通の意いといいますか、それをもし信条といえるなら信条みたいなものです。これとは殆ど相容れぬものばかりなので。

 ただし、「やること済んだら」の意味は、いまの小学教育のカスカスの内容をそのままやっておけばいいというのではなく、もう少しまともで上質な算数と国語の力と、そして社会と理科の幅広い知識をそれなりに身につけておくこと、それも他人の手を煩わせずに自分の力だけで習得すること、このレベルを指しています。

 話はさらに脱線して、あらぬ方向に・・・。それは、次回に。