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  高校入試でターイセツなこと、って何だ?!
§209 質問をする、ということについて VOL.3
<本人自身が水を汲むべきかと・・・>
 
 前回の続き。そのまま脱線して。

 いまから憶うに、我が父からの無言の訓えというものは、土・日は自由に過ごせ、気儘におもむくまま、のほほんとしておれ、というものでした。気がつけば読書の世界に嵌りこんでいたわけですが、それ以外は好きな野球に、その熱もさめてくれば、日曜日は決まって父とともに、近くの山に散策に出かけ、また飯盒炊爨も厭きるほどした。雨降るなか、雨合羽着て、六甲山脈の縦断をしたのも懐かしい。

 その影響を享けてかどうか、娘、息子には、小学生の頃は日曜日になると決まって、いやがる嫁さんも無理やり仲間に入れて、あちこちと引き摺りまわしました。奈良の東大寺、法隆寺、薬師寺、蘇我馬子の石舞台、飛鳥寺などその他一杯、京都は南禅寺、清水寺、天竜寺、仁和寺、醍醐寺、もちろん銀閣寺に金閣寺、三千院に寂光院、義経の鞍馬寺、比叡山の延暦寺、宇治の平等院、和歌山の高野山の金剛峰寺、滋賀の永源寺、多賀大社など、思いつくまま書いているのでまだ随分取りこぼしていますが、お寺関係だけでもかなり周りました。

 父とのようにすべて行程は徒歩で、というものがなかったのは悔やまれるところで、軟弱でしたが。また夏休みともなると、海。とにかく海。福井の越前海岸には足繁く、また鳥取や島根の日本海に、瀬戸内海の小豆島に、足を伸ばして沖縄へと、勉強は二の次にして行きました。

 斯様なありさまなので、小学時代はふたりともまったく塾なんて無縁、通信教育も英会話などいっさいなし、ましてや中学入試受験の世界なんて親も子も素知らぬふり、近寄りもしませんでした。それでもまあ、なんとかふたりとも国立の大学に進みました。ふたりの小学時代の成績は、そんなものはまったく当てにも参考にもならないわけですが、飛びぬけてできている、きらっと輝く
ものを秘めてる、親に似てこういう修飾文句に、とんと縁のない子供だったかな、と思っています。

 姉に較べて弟のほうは、出来のよさを感じさせるものが算数の図形にチラッとその力を予見する以外になにもなく、まあ中高で中途半端な力なら、板前かコック(これは誤解されると困るのですが、むしろいいなあと憧れているもので)になってその道を修業してくれと、気持ち半分にしても肚はくくっていました。

 その息子も京都大学の工学部に入り早や4年、この夏、できの悪さをなんとか取り繕って、まるで9回裏逆転ホームランの如く院試に受かり、まだもう少し勉強(?)するようです。いやはや、わからん。親としてはうれしい反面、もういい加減授業料を払うのは勘弁してくれ、頼むからはやく自分で稼いでくれ、とつくづく思っているのですが・・・。

 脱線ついでに余計なことまでついつい書きましたが、小学生のご父母からの質問にお応えできぬ事情と理由が、少しくお解かり願えたでしょうか? その質問内容の殆どのケースで、お母様たちの考えや意見と、わたしの考えの立脚している位置と視座の違いが小学の場合は却って大きく、またあまりにも多様だからです。

 まだ小学3年生なのに中学の英語問題集を英会話の延長で使ってみたいとか、5年生で高校入試用の社会の問題集を利用したい、それにはどのように使えばいいのか教えてほしいとか、それは有難い話しながら、でももっと足元を固めるほうが先であろうと、どうして勉強という狭い範囲で、先に先に学習して行く必要があるんだろうかと思います。縦に伸びることばかり考えるより、学年に適う横の拡がり、つまりいろんな体験をし、またできるだけ多くの本を読んで、そこから得る知識と雑学を肉付けするほうが、先のことを考えてももっと大切ではないのか、というのがわたしの基本的な考えです。

 また別の例としては、勉強の手段と課題を、あまりにもたくさん子供に与えすぎる方がいます。○会or○ゼミに○文、そして英会話、さらに市販の問題集をさせ、計算や漢字ドリルの訓練も毎日課す、など。これはまた違うところで別の観点から述べたいと思っていますが、短くいうなら、植物や花に水をやりすぎるとその生育によくないように、その量は適度であるべきでしょう、あるいはもっと積極的にいえば、本人自身が水を汲むことでしょう。

 そんなことは十分わかっているはずなのですが、実際には気付かず、周りの受験勉強の影響を多分に受け、また辛抱をできずにどんどん多量の水をあげているのです。これは以前にも一度書きましたが、アランの言葉「重要なのは気分に打ちかつことであり、意欲することを学ぶことである」の学習方法に較べれば、雲泥の差があるといわざるを得ません。

 受験のなかで大学をひとつのゴールとするなら、公立であろうと私立であろうと、最大のポイントは高校での学習です。そこでどれだけ活き活きとして勉強を進めることができるか、自己の力をさらに目標へ向けて高めることができるか。それまでに学力の限界を迎える勉強のしかたやお仕着せは厳に慎むべきであろうと、そして精神的にバテる、また伸びきってしまう過度な学習量は、ごくごく一部の強靭な意思をもつ生徒を除いては、早くから採るべきではないだろうと、ここに余計なお世話ながら助言させていただきます。以後は、この種の話題に触れることは差し控えたいので。

 さて、テーマが「質問をする、ということについて」だったのですが、今回のVOL.3では前回の流れのまま脱線し、小学関係の質問には対応できない理由を、私的な体験を含めて述べさせてもらいました。要旨は統一されていませんが、マズい質問例の3つと併せ、なんらかの参考となる点があればさいわいです。