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  高校入試でターイセツなこと、って何だ?!
§207 質問をする、ということについて VOL.1
<マズい質問>

 今回と次回に亘って、「質問をする」ということについて考えてみます。

 いい質問とマズい質問が、やはりあります。
「それはいい質問だね」と、別に先生でなくとも、誰しもが、いやかなり多く方が言った経験があるかと思います。もちろんその内容は問いません。勉強に関してもあれば、仕事関係や遊び、趣味のなかで、またさまざまな人間関係のなかで、それは使われます。しかし、そう滅多に出遭うものでもありませんね。滅多にないが故に、より真剣にまた熱意をもって応えるのでしょうが、まあ大
抵はふつうの、いいと感じるでもなく悪いと思うものでもない質問が大半、またいちいちそんなことは考えもしません。

 ところがマズい質問というのは、もちろんいい質問と同様、それは多分に受け手の主観に依拠するところ大ですが、そして客観的な規定もいまする気はないのだけど、発するほうはそうはまったく思っていないわけで、その質問の深刻さの程度に関係なく、受け手としてはとても困る、また大儀で鬱陶しいもの、対応に苦慮することになります。少なくともわたしの場合は、そうであります。

 世のなか広いもので、わたしがはたはた困るマズい(?)質問の類いでも、立て板に水の如くすらすら闊達に応える方もいます。その種のメルマガやホームページもあちこちに見受けます。もうそれは能力というかもって生まれた才能というか、あきれるくらい理路整然と、しかも親身に、問題解決の提案やアドバイスを軽々とされています。わたしにはとても真似ることができない芸当
(?)です。また頑固一徹(いい面と悪い面がありますね)、見倣う気はつゆもありませんが。

 そしてまた、その“話”にご父母の方も納得されていることが多い。いや、むしろこのやりとりのほうが、インターネットの世界では主流かもしれない。なにか大手塾のボリュームのゾーンの本質に、ある意味似ているかな、と思わないでもない。

 質問には悩みがつきもので、その悩み自体、質問するその行為そのもので別に解決への糸口が見つからずとも気持ちが軽くなる、相手に伝えるだけでいいのだという側面もなかにあるかと思いますが、それはそれとして、このいま取り上げているマズい質問の場合、その問題点の傷口は深く複雑、ひとつでないケースがほとんどで、実際に直接教えても、それがどこなのか、突き止め判断するのに時間はかかるわけです。しかもそのあとの絶え間のない細かな問題点の指摘と注意を‘与え続けねばならない’、かつ適正な学習リズムを守れるようにもって行くのに、3ヶ月ぐらいは普通、なかには半年もかかるのです。

 またもうひとつ、質問をされる方は当事者本人からの場合もなかに在りますが大半は、そのご父母からのケースであるわけです。問題は当事者、つまり生徒に在ります(ときに父母の場合もありますが)。このマズい質問のケースでは、幾ばくかのアドバイスをしても、それが正しく質問者に伝わるかどうかはわからない。たとえご理解いただいたとしても、そのことがさらに次の当事者
に伝わるかどうかは、甚だ不安定でか細いものであろう。そして実際、問題解決の端緒は、まさにその先にあるのでしょう。

 何でも理屈ではわかっても、いざ実行となると、意外にこれが難しい。そしてその継続こそがなにより大切になるわけですが、取り組む最初の意思のかたさから日々の気持ちの揺れをコントロールし、安定するよう努力し、またいろいろな障害を抜けていかねばなりません。マズい質問には往々にして、これらの問題点とこんがらがった解決への道が背景に在りますから、一から応えることは、時間的にも精神的にも到底不可能なのです。

 その一からにつきましては、「学習のしかた」なるページで、200以上の題名でこんこんと書き連ねています。駄文や参考にならない箇所も多分にあるでしょうが、まずはどうぞ、そのなかの必要な内容を読んで、自分なりに判断をされ、よくよく咀嚼され、いいところだけを吸収、また応用してもらえば、と願っております。

 難しいことを、否定的な面を列挙する形になりましたが、視方を変えれば、これらは何のこともない、ごく当然の勉強への姿勢です。そのことがきっちりできている生徒やその父母からの質問は、極めて具体的、かつ部分的な問題です。たとえば、A,B,C,D,Eの分類があり、その中にさらに1,2,3,4,5の分類があるとすれば、Cの3番についての質問、といった具合です。これには微力ながら、お応えのしようがあるわけです。

 次は、インターネット上でよく見かける質問とその回答例。
「これからの入試勉強のしかたを全体的に教えてください。」<中3生>

「<中略>数学はまず教科書やワークをマスターしましょう。わからないところは絶対にそのままにせず、友達や先生に質問しましょう。多くの問題をこなすとよいです。<省略>」

 これはご存知の方も多いかと思いますが、質問者に対して、複数の回答者、学生から一般の方、なかに専門の方までが、それぞれの視点から自由にアドバイスなどをする形式です。中傷や欠点の貶しあい、かといえばよいしょの褒め合い、阿諛追従の文句が目立つ掲示板などから較べれば遥かに良質、その回答者の懇切丁寧な助言のなかには、ときに感心させられるものもあります。

 それゆえ上の質問内容(適度に変更はしていますが)は、回答者の真意が伝わらないものになり恐縮するのですが、まあよくある形式として挙げてみました。

 これは、質問者が本人である点で、回答者と直に繋がっていますから、まだしも何らかの役立つ情報があるかも知れません。が、わたしの場合、この種の質問には答える気がまったく起こりません。

 その理由の第一は、既にあらゆる角度から、また生徒のさまざまな実情と実力に合わせて、「学習のしかた」で具体的に繰り返し言及しているからであり、次に、質問内容があまりにも漠然としていること、そして質問者の成績、学力の位置の情報がまったくわからないからです。

 これはあとで述べようと思っている「質問のしかた」と深くかかわりのあることなのですが、この回答者はいったい生徒のレベルをどう想定して助言しているのか?! 別に批判をしようとは思っていませんので、そのつもりで。

「数学はまず教科書やワークをマスターしましょう」
 これはこの時期(中3の2学期以降)、成績下位の生徒には有効も、上位の生徒にとっては実践的ではなく無駄なこと。

「わからないところは絶対にそのままにせず、友達や先生に質問しましょう」
 わからないところは絶対にそのままに残すのが、8割以上の生徒の常。この現実をどうする? またそれを友達や先生に質問する生徒がいま、一体どのくらいの割合でいるんでしょう? きれいごとに過ぎないか?

「多くの問題をこなすとよいです」
 これも極めて曖昧な指摘。どのような問題を多く解けといっているのか? 易しい多くの問題を解いても、まったく応用問題を解く力は育たない。さらにたとえ入試レベルの応用問題を解こうとして、その解答をみてわかるだけでは実際には何の意味もない。意味あるものにするために、どうすればいいか? その突っ込んだ指摘と対策こそが問題であろう。
 
 大雑把な質問は、大雑把な答えしか返ってこない。つまり、マズい質問はできるだけ直せ、ということ。

 次回、他まだあるマズい質問と「質問のしかた」について、もう少し考えてみたい。