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§63 年号の覚え方と暗記の術について
◎<ムクドリとティ>
「ソルガクタニ、ソルガクタニ、ソルガクタニ、ソルガクタニ、・・・」
この言葉を、何度覚えたても、記憶できない。いや、覚えたつもりでいても、一日経てば、すっかり頭から消えて、目を瞑り、うんうん唸って思い出そうとするのだが、頼るきっかけ、糸口が見つからず、うんともすんとも出てこない。
何で覚えねばならのかの理由はない。よし、覚えちゃろっ、と思ったから覚える気になったからに過ぎないのだけど、これがなかなかどうして、一筋縄でいかなかった。
チンギス・ハーンの嫁さんはボルテといい、彼の息子には4人いた。長男はジュチ、次男はチャガタイ、三男はオゴタイ(オゴディともいうらしい)、そして末子はトゥルイ。高校の世界史で、本拠カラコルムのモンゴル帝国のほか、中国では元帝国を、そしてチャガタイ汗国、イル汗国、キプチャク汗国をモンゴル征西でアジア、ペルシア、ロシアに作り上げたのは学んだ。受験用の知識
ですね。
その後、チンギス・ハーンを主人公とする小説やモンゴル史の書物を気侭に読みすすめているうちに、何で二代目の皇帝に三男のオゴタイがなり、長男のジュチがならなかったわけや、モンゴル征西では抗う国を次々滅ぼし、屠り、こちらで20万個の首で、あちらで30万個の首で、見せしめの為人間ピラミッドを作ったと読んでは、ひえーっと驚き、猛将のジェべ、スブタイなどの人物も識った。
その過程のなかで、長男ジュチの息子のバツーがキプチャク汗国を建設し、末子トゥルイの息子の長男がモンケ・ハーンといって四代目の皇帝(因みに、三代目はオゴタイの息子のクユク・ハーン)になり、その弟であるフビライが中国を征服(チンギス・ハーンの孫ですね)、末子のフラグがイル汗国を作ったのを記憶した。
しかし前にも書いたけど、自然に頭に入る、なんてフレーズがあるけど、そんなことは記憶に措いて殆ど信用は置けず、あっても100のうち5ぐらいなもので、殆どは意識して覚えなければ覚えられないものだと思うよ。
比較的スムーズに暗記できるものがあれば、そうでもないものがままあるわけで、ソルガクタニはその典型かな。ソルガクタニは女性の名で、モンゴル帝国二代目の皇帝、オゴタイの正妻の名なんです。3日経っても1週間経っても容易にその名は、脳裏に浮かんでこない。何でなんだろう? 自分の頭の出来の悪さは別にして、それの大きな要因は、馴染みが薄いことにあるようだ。
言葉の響きというか、語感というか、日常のなかの日本語、英語、そして私の中に蓄積されてる言葉、語彙とあまりにも異質というか、かけ離れてるからなんだろう。で、どうしたかというと、もうしかたがない、最後の手段。念仏を唱えるべく、熟から家に帰るまで、バイクに乗りながら、ぶつぶつ、ぶつぶつ声に出しながら10分、彼女の名を繰り返した。あーあ、そうしてやっと、ほんとにやっと、覚えることが出来ました。まったく苦労するね。別に暗記したからって、どうってことないのにね。
これを書いてる途中、よそ見をしてNHKのテレビ「アジア古都物語」を観ていたのだけど(見られた方もいると思いますが)、インドのヒンドゥー教の聖地べナレスの特集をやっていて、死んでゆくものとその家族の描写のなかで、ムクティ・バワン(バワン?が定かでない)<解脱の館>の言葉が耳に残った。最初、ムクティという言葉の解説があり、それが「解脱」という意味を知り、
ふーん、そうか、と納得したのはいいのだが、死にゆく父の世話をする家族、特に息子の姿に感動し、ふと気付くと、解脱の言葉「・・・」が頭に浮かんでこない。
ありゃー、しまった、と思ってると、またその館が出て来て、再度、ムクティ・バワンの言葉が述べられた。ヒンディ語でムクティというのは、解脱の意。「ムクドリとティ」ね、ふむふむ、何の脈絡もないが、大体が私の暗記方法はそんな程度。でもね、経験上、これが意外に効果がるんだね。1週間後覚えていれば、ずっと大丈夫だな。
さて、歴史の年号暗記。今回のテーマは、年号の覚え方と暗記の術について、なんだけども、これといって特に素晴らしい暗記方法なんてないよ。所詮コツなんて、そのコツを見つけた人にとっては有効なんだけども、他人が真似をしても、効果があるとは限らないよね、それどころか殆ど役に立たないのではないかな? つまり、コツは苦労して自分で見つけろ、ということ。
―鳴くよ(794)、うぐいす平安京― だから、どうしたっていうんだ?! これを最初に唱えた人は素晴らしいけど、じゃあ、その種の言い回しを何個覚えてるかというと、私はこんなの興味がなく、殆ど知らない。この種の言い草を10個覚えたからといって、150個も覚えられないよ。想像しただけでうんざりだし、そもそも面倒くさいね。それよか、私なら、「鳴くよ、桓武、平安京」とでも覚えるなあ。
いいころ(1156年)保元の乱、いいごく(1159年)平治の乱。保元と平治の混同(どっちが先?)があるので、ここで楔を入れて、「ほうへい」と覚えてる。テストで出るのは、平治の乱が殆どだけど(これで、平清盛が実権を握る。頼朝のお父さんの源義朝は負けて、頼朝は伊豆に流罪。中学では関係ないけど)。いいむな(1167年)、平清盛、太政大臣になる、兵庫の大和田の泊で日宋貿易。いいやご(1185年)、頼朝、全国に守護・地頭を置く(鎌倉幕府を開く前ですね)。
いよにや(1428年)、正長の土一揆、徳政令要求(借金の棒引き)。いよむな(1467年)、応仁の乱、この頃足利義明の東山文化。いよやご(1485年)、山城国一揆。いよやや(1488年)、加賀の一向一揆。などなど。
いやむや、いくいに、いくふろ。何のことかわかりますか? 明治、大正、昭和、です。1868年、1912年、1926年。いやくし(1894年)、日清戦争なら、10年足せば、日露戦争(1904年)、さらに10年足せば、第一次世界大戦(1914年)てな具合。
挙げれば切りがないのでこの辺にしますが、要するに直截的に語呂合わせをして年号を覚えてるだけ。しかしね、単純で手前勝手な語呂合わせをしていないものは、単に西暦で覚えてるようなものは、記憶がぐらつきますね、私の場合。例えば、1965年(? 1967年かな?)、日韓基本条約(これは私立入試用)。
小学校のとき、先生から年表を自分で作ったら、年代が覚えられるよと言われ、単純な私はそうか、そういうものかと、拙い年表を作った。中学の折も、別に誰からも言われず、世界地理と日本地理を画用紙に描いて自分の狭い勉強部屋(な、なんと、3畳半。でも贅沢はいえない、マイ・ルームだもな)に貼った。もちろん中2では歴史年表なるものを作成したね。
単純に年表を写すのは面白くないから、自分で重要頻度を考え、色分けして覚えた。自分で苦労して作ったものは愛着があるものだから、何度も見たね。顔を捻れば目に入るものだから、教科書の裏に貼ってある年表とは違い、これは随分役に立ったと思う。へたな問題集3冊やるよりはずっと頭に残ると思うけども。
以上、私の歴史年号の覚え方を4通り書きました。えっ? 二つじゃないの。勝手気侭な語呂合わせと自作の歴史年表と。見落としてますね、それは。最初に書いたでしょ。究極の手段、ぶつぶつ唱えるのが。そして、「ムクドリとティ」が。
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