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  高校入試でターイセツなこと、って何だ?!
§200 問題集を作る裏側の話
<地理の問題集> 

 目下地理の問題集の制作に没頭、沈没しておりまして、その他のことは一切目に見えない、見えても目を閉ざす、またいろいろ頭に浮かぶことや考えることも地理に関係なければその思考を途中で停止、放擲するということを繰り返していまして、「塾にも行かずに公立トップ校を目指そうとする生徒へ VOL.3」は一時中断、問題集が完成してからまた書きたいと思っております。続きを読みたい(?)と思われていた方には、深くお詫び申し上げます。

 もうなにぶん地理の問題集(通年用)は、いろいろと手にあまるやっかいな代物で、これまでにも作成してほしいという有難い言葉も何度か頂戴していたのですが、いまの教科書の内容のまちまちさや学校の教える内容の統一性のなさを第一に、そしてそれらに対応すべく(or無視すべく)問題構成する作業の煩雑さ、そしてグラフや資料など統計の面での慎重な処理など、問題集を作る上で複雑な諸問題を前にして、口をあんぐり、とても億劫で腰が引けている状態が長く続いておりました。

 まあそんなことより一言でいえば、作る気、やる気がなかったということです。このやる気なるものは、ないときはどうしようもないもので、自分で自分をあれこれ鼓舞してもおいそれとは生まれてきません。おい、作らんと命はないぞ、といわれても、へそ曲がりですからえいっ、勝手にしてくれい、と投げ遣りな言葉を吐くかも知れません。まったく内から突き上げてくる衝動と、あれこれ思案し醗酵してモチベーションがふつふつ蟠りつつも昂ぶってくるまで、じっと動かず耐えるだけ。

 それが、歴史の通年用問題集を完成したはいいがもう一方がないことと、或る方に地理の問題集も今後作りますと私的にですが申し上げたことにより漸く、後ろ向きな気持ちを宥めすかし、なんとかやる気が出てきた次第です。もう取り掛かって1ヶ月、でも最初の1週間は何も手につかずダラダラと想念の漂うまま無為に過ごし、具体的に形になって出てきたのが10日目くらいから。全部で17項目に分類してあるのですが、ひとつひとつがテーマが違うものですから、単純な連続とはいかず、まるで真っ白な1枚のキャンバスに絵を描き上げるかのように(使い古された陳腐な表現だけど、なんともピッタリなので)、1枚1枚のプリントをていねいに、集約した密度の高い内容を腐心しつつ、また相当な時間と気力を費やして創り上げている、いま途中です。

 よって、寝ても覚めても社会の地理のことで頭がいっぱいであり、メルマガは書けません。集中力が途切れますから。やる気なんて、昨日はあっても今日あるとは限らないもので、今日は無事に持てても明日また同じ強さであるとは限らない、はかないものです。それを強くもない意志で繋がねばならない。集中力をとにかく完成するまで持続する長い息継ぎが、今回の問題集にはいままで以上に必要なのです。

 毎日毎日10時間以上は現在作成中の地理の問題集のことを考えており、なすびはやれ高知平野だ、ピーマンは宮崎平野、白菜は茨城県だと、また成田空港は現在横浜港や神戸港(昔2位がいまは5位)を押しのけ貿易額では1位を占め、電子部品(集積回路)や電子機器の輸出入が多く、またさらに、魚介類の輸入もとても多く、その魚介類の輸入で第1位を占めるのが、マグロや蟹、さけ・ますでなく、えびであるということ、その輸入先の円グラフではインドネシア、インド、タイの順番であるという知識や雑念(?)などが、頭のなかをせわしくぐるぐる飛び回っております。

 10時間費やしても実際形になって現れるのは、つまり問題プリントとなって物理的に目に見えるのは2,3時間の作業の結果であって、残りの7,8時間は何をしているかというと、問題の吟味と取捨選択、独自な地図の作成、資料漁り、構成・配列の検討等など、また歴史のようにある程度固定している内容とは違って地理の場合、統計やグラフなどがとても重要なのですが、その数値や割合が年度によって変わるのが当然である側面を持ち、そこにも細かく注意を働か
せねばならず、しかもそこそこ普遍的(?)に通じるといえば言い過ぎですが、記憶すべきポイントと法則を表出せねば問題作りの意味をなさないと考えているので、そのあたりにも十分気を配らばなければなりません。

 入試問題の動向と傾向を十二分に掴み、その攻略のために地理の分野では何が必要で、何が必要でないのか、そして同時に、生徒は「実力」としてどれだけの知識を持ち続けておれるのか、また胡散霧消していくものなのか、その実態を知悉しているだけに、覚えるべき対象はあくまで的を逸らさずシンプルに平易に、しかも必要不可欠なポイントと攻略の武器となる知識に絞り込んだところで問題構成と表現をしなければ、独自性を打ち出すことは出来ず、また同時に、ほんとうに生徒の実力を支える問題集にはなり得ない。

 市販のまた熟専用の問題集も、それなりにきっちりやり遂げれば、十分価値があるかと思うのですが、では、きっちりやり遂げればとは、どういうことか?・・・。これは、ほんとうは実に曖昧なことなのです。学習範囲の問題をていねいにし終えて、詳しい内容を覚えたり、あるいは数冊の問題集を併用して多く演習を重ねたり、そして定期テストで80何点かの、または90何点かしかの
点数を取ることができたとしても、そのよくやった、努力し頑張った結果と、時間が経過したあとの、そして習った全範囲の知識を問う実力とが結びついているかといえば、必ずしもそうはいえない。そうはいえないのが大半であることに、そしてその大半であるなかに自分も紛れもなく居ることに気付くのは、いつも遅い。

 これは生徒の目やご父母の目、また学校の教師の把握と違うのですが、長年の経験則でわたしは、その成績のほとんどを「実力としては」基本的にまったく信用していないのです。1,2年で社会を教えないのですが、しかしその定期テストの結果はすべてチェックしており、中3になりようやく直接生徒を指導して、いざその地理と歴史の知識と実力に触れてみると、それも80点以上は取ってきた生徒に限っても、コツンとその所有している実力にぶち当たる感触を抱ける生徒は10人中1,2人おればいいほうで、その殆どは、カスカスのあるいは穴ぼこだらけの知識しか持たない生徒に出遭うわけで、もうこれは、教える側からいえば、ほんとにうれしくない、信用の置けない状況に立たされることになるのですね。

 数値を使って、その実力の具体的イメージを書いてみましょうか。
 ひとつの定期テストで50問出題があるとします。1問2点とわかりやすくします。50問中40問は基本、あと10問はやや詳細的な、または先生によるそのときの時事問題、教科書以外の偏向的(?)な問題もほんの少し混じっているとします。

 教科書で習ったテスト範囲の知識はもちろん多いわけで、いま仮に200とします。テストに出なかった大切な知識もあるでしょうし、問題集によればもっとさらに詳しい関連知識や、こんなくだらない問題や知識はいらないでしょうというものまでありますが、それらも少し加味して全体で250の知識を覚えてテストの臨んだとします。その結果が、46問できて92点だった、と。よく出来ています(しかし、よく出来ているのは、ここまでだ)。

 では、単純に計算しますが、年5回のテストで地理と歴史の2年間の総合は、個々にテスト前に覚えた250の10回分を掛けて2500です。実際はこれよりもっと多いはずですが、ここでは控え目に書いております。さあそれでは、上の92点取った生徒はどのくらい覚えているのでしょうか? まさか2500の0.92倍といった非常識なことは言いませんが、そしてこの尺度で表現できないところも残してはいるのですが、実力としては1000を、つまり定期テスト50問の2倍の知識を10回分持ってれば、まずまず十分な実力があるといえるでしょう。それが現実、2年間の集積となると600や700くらいの知識しか所有していないわけですから(通常の成績が良い生徒でこの有様ですから、悪い生徒はもうまったく一からきれいにやり直しです)、2500から比してなんとも頼りない、信用するに足りない力であるなあと思うのです。
 
 その原因を簡単にいいますと結局は、テスト範囲だけに囚われ執着した、その場限りの、広範囲だが表面的で底の浅い知識の暗記しか身につけていない学習のしかたと、覚えた内容が漫然としたまま自分で深く覚えるべきポイントの把握と再整理が徹底していないこと、言い換えれば、どうでもいい部分は削る作業、逆に膨らませたり掘り下げるところはとことん掘り下げて、確実に暗記しておかねばならない内容の選択と追求ができていないからです。

 途中ですが、この続きは次回に。