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  高校入試でターイセツなこと、って何だ?!
§153 小学生の社会と理科の学習についてVOL.1 
<公地公民って?>

 E-juku1st.Com で出している問題集は、その対象が中学生用です。国語以外の、数学・英語・理科・社会の4教科をなんとか現在揃えることができ、発売しております。それに加えて小学生向けの算数(図形問題)の問題集があり、また今後、高校生対象の英語(文法)問題集を付け加えていく予定でおります。

 ご承知のごとくこれらの問題集は、すべてわたし自らの手作りで、その製作に至る苦労と困難はつまらぬ話題ゆえここでは差し控えるとして、目指すところはシンプルに申せば、「いい問題集」でありたいということ、そして願いはただひとつ、これを使ったことにより「実力がついた」、という結果にあります。

 また、問題集の使い方とその方向性も厳密に区分けして製作しているつもりで、数学と英語に関しては、各学年の基本と入試ヘ向けた実力を日々の演習の中で培うよう構成した通年用教材、実力テスト対策を目指してその補強と学力の核となる問題に重点を置いた実力対策問題集、英語の中途半端な理解と力を立て直すため、トレーニング的手法で学力の回復と実力の基本を身につけるREVIEW 問題集、数学の入試へ向けた応用力を徹底して鍛える入試図形の攻略問題集などがあります。

 これに対し、社会と理科は、問題の切り口と攻め方の配列方法がまったく180度異なるのですが、どちらも高校入試そのものに一貫して焦点を定めて作っているところは同じです。

 なぜにこのような問題集の説明をざっと最初にしたかといいますと、小学生のお母様から使ってみたいという声を、時折いただくからです。

 ご利用できるのは基本的に、算数の図形問題集のみと考えております。それにあえて付け足せば、英語の中1問題集になります。いわゆる先取り学習ですね。しかしこれは、できましたら本人任せではなく、お母様なりお父様がある程度ついて一緒に勉強してあげる形がいいかと思うのですが。

 さて、社会と理科の問題集を小学生から使えるか、また活用できるかというお問い合わせがままあるのですが、はっきり申して「まだ無理である」というのが私の率直な見解です。

 それだけの学習と内容を当然まだ小学生で積んでいないということ、生徒自身が吸収し切れていないということ、またこれは説明しづらいのですが、日々の学習の積み重ねを経験せずにいきなりまとめなる問題に入ることは、学習上好ましくはない欠点を身につけていまう可能性があるということ、型に嵌めた集約した知識なるものは復習に於いてこそ効果があるのであり、予習や先行学習には適さない上にまたそれは最後の学習法であるということ、さらに系統的に学ぶ知識の基盤と素地がまだそれこそ十分に備わっていない、という3つ4つの理由からです。

 では少し検証。
 たとえば社会。或るお母様からのメール。<注:他の方の質問も入れ、こちらでかなり編集してあります>

「学校では、大昔縄文から始まって今鎌倉幕府の学習まで終わっています。ところが、息子はさっぱり解らないというか解ろうとしない。自分の側に社会が引き寄せられない。彼の嫌いの言い分は、人名では同じ名前が多くて、時代考証もまた覚束ないというのです。
 難しい言葉が多すぎる。公地公民、班田収授の法、荘園など字が難しいだけでなく、公地公民、班田収受の法って、どういうことだった? 荘園って何? 公地公民から荘園へ変わっていく過程が全くわからない。」

「学校の先生は、‘年代’の暗記より、その時代に誰が何をしたか解れば歴史が出来るようになる、また、時代の流れと社会的背景をつかむことが大事だ、といわれたといいます。学校のノートを見ましても白紙同然です。上手にまとめ上げることが出来なければ、指導するのが家庭の役目だと悟りました。」

 これは小6の生徒を持つ親御様の話を中心にして書かれていますが、中2生に置き換えても(中2で歴史を学ぶとして)事情はそれほど変わらない、またその後の2年間の成長と進歩も殆ど見受けられないというのが、多くの実情のような気がします。

 一般論で以後お話ししますが、腹立しさをいつも覚えるのはですね、教える側の、その教える力の程度の低さ、見識のあまりにもお粗末さ、にあります。もっと磨け、といいたい。

 まず教えたことが、生徒にうまく伝わっていない、理解も出来ていないじゃないか、ということです。教えたことがほんとうにうまく生徒まで伝わって、その知識が生きているか死んでいるかの判断は一つに、この場合でいいますと、最初に縄文時代を習い、弥生、大和、飛鳥、奈良、平安、鎌倉と進んだあとに、つまりそこそこ学習が溜まったあと過去を振り返るときに、それは視えるものです。

 このなんでもない基本的視野が実は、教える側に相当わかっていない者がいる。いま目の前にあるものとその周りの部分だけを、ていねいに苦心して教える。それがわかれば、わかったと認識する。ばかな、物事はたった一度でわかり得るものではない(ごくごく一部の、きわめて優秀な頭脳を持っている生徒を除いて)。それはわかったことの3割に過ぎないだろう。集中していなければもっとひどいのは、いうまでもない。では、残りの7割をどうするか、どう詰めていくのか? このことはあちこちで触れており、また今回の論点から逸脱
しますので、ここで省きます。簡単にいえば、教える側の追求がまだまだ足りない点と、生徒自身の学習が5割不足している、ということですが。

 上の生徒は、(そして中学生にもなって多くの生徒が、)次のように言っています。
「難しい言葉が多すぎる。公地公民、班田収授の法、荘園など字が難しいだけでなく、公地公民、班田収受の法って、どういうことだった? 荘園って何?」

 生徒側の問題点はあとで書くとして、教えるほうはこれをどう捉えているんだろうか? 教える際の技術、工夫、また理解するための小さなヒントなども、果たして織り交ぜているのだろうか?! いや、結果から観て、そうではないのは明らかだ。間接ではなく直接私自身が、この事例をうざるほど観てきているから。

 たとえば公地公民。漢字そのものが答えであろう。そのことが生徒にはわかっていないし、また教えてもいないのだ。公の訓読みはおおやけ、おおやけとは朝廷、政府(国でもいいね)のこと。地と民は、土地と人民。おおやけの土地、おおやけの人民。つまり、土地と人民は朝廷、国のもの、という制度、考え。それまでの豪族(物部氏・蘇我氏・大友氏・・・)が各々支配していた土地と人民を、朝廷、天皇(この頃は未だ大王だけどね)の直接支配のもとにおく、というまあ大胆な政策。これに似た言葉で、明治維新のときの版籍奉還<
1871年>もあるね。

 班田収授(の)法も、一体どういうことだ? なんだっけ?となるが、漢字を見据えると、次第に(or直ぐに)想いだす。また想いだすだけの勉強時間と思考と理解と暗記を、そのときに十分煮詰めていなければならない。 

 班田と収授の漢字。班は1班、2班の班でしょう。そこからグループとか、組、まとまりとかを想像すればいい。田んぼを班にすることか、ぐらいで構わない。収授とは、収めると授ける。この授(さず)けるの漢字が読めん生徒が多いぞ。中学生でも半数以上は読めんね。国から田んぼを授けられて、死ねば国にまたその田んぼを収める。
 
 それを教科書あたりでは、6歳以上の男子には口分田を2反、女子にはその3分の2を分け与える、死ねば国家に返す制度、とか書かれているはずだ。中学生ならこれくらいすらすら暗記もしておかねばならないが、さてそれがいえる生徒は・・・。小学生なら、受験を目指すならこれくらいのことは常識となるが一般に、「田んぼに関することで、えーっと、口分田を与えられて死んだら国に返さねばならないことです」くらいは、いえる力が欲しいと思います。

 ついでに荘園も説明を少ししたいのですが、それには社会的背景を少し混ぜなくてはならず、この社会的背景という言葉が学校の先生はとても好きなようですが、そのあたりの矛盾、既にここまででかなり矛盾しているとは思うのですが、生徒側の問題点にもまだ言及はしておらず、長くなりそうなので、中途半端な状態を我慢して、今回はここまでにさせていただきます。次回