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§113 計算が遅い生徒達・・・
<なんなんだ、その計算力は!>
――計算が遅い生徒が増えてきている。
ここ10数年ほど、抱き続けている感懐である。みんなで赤信号渡れば、怖くない。みんなで計算遅ければ、怖くない。そんなふうに穿って観えてしまうほどだ。いや、計算が遅い生徒が増えてきている、というのはまだ控え目な言い方で、ほぼ全員の計算スピードが落ちていると感じている。
成績のいい生徒も、目立って計算が速いわけではない。平均前後の生徒は、吁々、とても遅い・・・。下位の生徒ですか?――計算がそもそも成り立っていない。
以前は、計算が異常に速い生徒がいた。そんなに多くはないが、速くかつ正確である。しかも計算ルールは、きちっと守る。別に○文とか、算盤を習っていなくてもだ。本来、筋がいいのだろう。
また、小学校できっちりした計算ルールとそのコツを身につけてこなかった生徒(大半ですね)でも、中1から徹底してその基本を叩き込めば、そしてミスをできるだけ防ぐ計算演習をとことん積んでいくとかなりの速さと緻密さを身につけるようになったし、計算が乱雑、自分勝手で混沌としていた生徒でも、口やかましく矯正し基本を指導するなかで、それなりに正しい計算の姿とスピードを収得していったものだ。
ところがここ最近、どうもそうはいかなくなってきた。中3ではいま、式の展開、因数分解、平方根など計算中心の単元を学習しているわけですが、どうも計算が、いまいちとろいのである。2年間もやって来たわけだから、基本は流石に守る。ある程度型に嵌めた解き方を指導するものの、教科書や一部の問題集みたいにあまりに丁寧、またわかりきった式を書いていくことはしない。ミスをしでかすところは慎重に堅く守り、部分的に暗算しても大丈夫な箇所は大いに暗算させる。
その暗算部分が、どうも弱いんですね。たとえば平方根でいえば、次のようなことである。
√12=2√3(12は2×2=4で割れるから、2を出して、4で割る)
√18=3√2(18は3×3=9で割れるから、3を出して、9で割る)
√24=2√6(24は2×2=4で割れるから、2を出して、4で割る)
などは、できる。
では、√72になると、一気に6×6=36で割ればいいんだけど(6√2)、2×2=4、3×3=9で割ったりして、少し手間取る。もちろんその前、こうするんだ、こうして計算を進めると速いなど、例題をたくさん出して説明とあれこれ注意点をいうわけだが、すんなりとはそれらを吸収してくれない。
√96はどうだろうか? 2段階で割ってもいいね。2×2=4で割って、2√24、さらに2×2=4で割って、4√6 。しかし、一気に4×4=16で割りたい。このあたりの計算スピードが遅いのだ。また計算の勘もいいとはいえない。割算をするということは、掛算もすることなんだけど、それがどうもいままで頭のなかで練れていないように思える。
√98はどうだろうか? 7×7=49で割る(7√2)のが、なかなか出てこない。
√25=5 25、50、75、100、125、150などは、25の倍数ですね。つまり25で割れる。100は25の4倍、200は25の8倍、150は25の6倍。では、
√150=5√6になるわけだけど、このあたりの瞬時の計算がどうもできない。いちいち時間がかかるし、手間取っている。
11の2乗=121、12の2乗=144、13の2乗=169、14の2乗=196、15の2乗=225、
16の2乗=256、17の2乗=289、18の2乗=324、19の2乗=361、25の2乗=625
(これは学年に関係なく、暗記しよう。小学生もできるね。)
九九は81までしか言えないのが、公立中学生の大半だけど、こちらから教える前に、自ら進んで上の10個を覚えている生徒に残念ながら出遭ったことはない。11×11、12×12、15×15、25×25、の計算なんて、小学時の計算で、或いは図形や文章題のなかで使ったりまたよく出てきた筈なのだが、さらに中学でも時折お目にかかっている数値なのだが、改まって訊くと、これが容易に生徒の口から出てこない。
何故なんだろう?と悠長なことは中3にもなるといっておれない。まったく、「自然」には生徒の頭に残っていないことが、つくづく思い知らされる。さらには、こんなもん、いちいち計算するのは面倒だから遊びで覚えてしまえ、なんて気の利いたことを考える生徒がいまではいないものだから、「自然」とは反対に強制的、無理やりに覚えこませるようにしている。なぜなら、平方根ばかりか2次方程式、3平方の定理などの計算でもしばしば使うのだから。
あえて「強制的」「無理やり」という言葉を使いましたが、これはもちろん言葉の響き、そこから連想するイメージはわるい。逆に、自主性、尊重、最近流行り(?)の、ゆとり、なんて文句は、言葉の美醜からいえば美しく、正しく、何かしらそこにはプラスαなものがあって、少しく期待を抱かせるのだが、その言葉の実践で踏み込んだ追求がなされた事例を、これまでまず見たことも聞いたこともなく、有耶無耶なまま消滅してしまうケースが殆どではないだろうか?!
ほんとうに教える、いや、教えきらねばならないとしたら、キレイごとではすまないんですね。
「これは便利だから、しっかり覚えておきましょう」とか、「このことは大切だから、家に帰ってもう一度復習しておきなさい」 なんて、生徒の自主性に委ねていると、永遠に埒はあかない。だから目の前で、くり返し教えていかねばならない。目の前で、生徒の暗記にくたびれるほど付き合わねばならない。
それでもまだ、現実は脳細胞にのっかっているだけで何ら刻まれていないから、深く染みこむよう宿題に出す。そして次回に再度チェック。ところが、頼り無い、また手抜きの生徒もいるわけで、さらに指導。そして1週間後、訊くと、ありゃあ、またところどころ暗記が抜け落ちている。そこでまたその穴を詰める。
こんなもんです、8割以上の生徒の暗記力の正体は。「強制的」「無理やり」というのは、ここまでの追求、指導を強いられる。
さて、しかし、何事も単に覚えたからといって、使いこなさねば意味がないわけです。たとえば√242は、どうなるだろうか?(これは汎用性のない問題ですが) 242は11×11=121の倍数なんですね。11は素数だから、これより小さい数の2乗では割れないことになり、11の2乗=121を暗記していなければ、11√2の答えは出てこないことになる。問題は、242が121の2倍であるという数字感覚なんですけど。
また因数分解でいえば、X^2−X−72=(X+8)(X−9)ぐらいはできても、3桁になると、生徒の大半は急激にその計算力は鈍り、見えない大きな壁が立ち塞がっているように映る。そのごく1例を書くと、X^2−X−156=(X+12)(X−13)の場合なんかです。156が12と13の積であることに気づくのが非常に遅い。限りなく、遅い。
ついでに、ちょっとその仕組みを書いておきます。
最初に−156をみて、異符号の数の積であることがわかり、その場合は2数の引き算をすればいいわけで、次に−Xをみて、差が1である2数の組み合わせを捜せばいいことになる。積が156ということは、暗算で1つが10なら、もう一つは15.6になるわけで、差は5.6。じゃあ、もうちいっと上の数であることは明快。11で割れそうにないわけで、12で割れば?と考えるのが自然な流れか。暗算でも13が出てほしいね。なんたって中3なんだから、それくらい。
数学的センスという言葉があるけど、計算センスもその補助的位置として重要であることはいうまでもありませんね。そのセンスが、いや、そのセンスですら、いまや学力低下とともにどこへやらほっぽりだしかのようで確実に喪われつつある。たかだか計算、されど計算、なんですけどね。
「鉄は熱いうちに打て!」 そう、つくづく思います。熱いうちとは、小学時に他ならず、中学ではほぼ固まっているでしょう。その固まった状態も以前なら、中1から打ち直し、徹底して基本を指導すれば、つまり強引にも悪いやり方を矯正し、拙い部分を補強すればなんとかさまになったのですが、いまはダメです。
ダメという文句はあまり使いたくないけれど、そのダメにした原因、指導はどこにあるんでしょうか?! 目に見えない計算の根本部分における微妙な暗算力とある一定のスピード、そして頭のなかに構成されている計算網がどうも十分には発達しているとはいない、昨今の平均的な中学生。塾に行けばなんとかなる? なんとかしてくれる? いやいや、そんな問題ではないでしょう。
では、どうすればいいんだ? 計算力の低下をくいとめるべき手立て、計算センスがもう少しまともになる方法はあるのだろうか?・・・。
長くなりましたので次回、この問題をもう少し考えてみたいと思います。
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