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  高校入試でターイセツなこと、って何だ?!
§287 問題集への直接書き込みについて 
<愛着をもつ努力をすること>

 この前、コピー機の入れ替えをしたのですが、その折に、用紙はいまA-4サイズが圧倒的に主流で、B-4サイズの流通はずいぶん減ってしまいました、と担当者から聞かされました。

 たしかに仕事で使う報告書や事務用紙、そのファイル管理の利便性を考えれば、そしていまの世の中でさまざまに使用されている用紙のサイズを想像すれば、A-4サイズのものばかりといってもいいかもしれません。

 とまあ、いささか時代に乗り遅れた鈍感なことを書いていますが、でもやはり、勉強という場面では、A-4の用紙を使う割合が増えたとはいえB-4サイズが断然いいのである、と個人的には思っています。

 そのわけをつらつら書いても、統計的根拠がないどころか多分に感覚的なもの(いや、これが大事なんだと思うけれど)に近く、あまり説得力がないように思えるので省くとして、ただ小・中学時の、まだ勉強の作業やしかたを習得し切れていない段階では、B-4サイズの広さとその用紙の世界が、勉強する上で馴染みやすいことだけはいえるのではなかろうか。

 さて私事になってしまうのですが、わたしの問題集は98%以上B-4サイズで作られており、それをご利用いただいているお母様より、年に何度か次のようなご質問を受けることがあります。

「問題集に直接書き込む方法で勉強すればいいのでしょうか? でも間違えたところやできなかったところを復習させるには、別のノートにやって勉強を進めたほうがいいとも思うのですが、いかがでしょうか?」

 これは、ひと言で答えれば、書き込まなきゃ意味がないっ、と思っているわけです。そのためにB-4サイズにしているのです。ふつう問題集はB-5版かA-5版、大きくてもA-4版ですね。書き込みがあきらかにできない問題集もあれば、できるように空白をとってある問題集もあります。書き込みのできるスペースがない問題集は、ノートにやりなさいというメッセージが無言のうちにあるわけですが、問題は後者のほうの、どうぞ空白部分を利用して書き込んで勉強しなさい、という問題集です。

 実際に使えばわかることですが、そしてわかってらっしゃる方もおられるでしょうが、これには2種類の不満(?)があります。

 ひとつは、書き込みができるといってもそのスペースが意外に小さいもの。
 理科や社会のような科目ではそれでもある程度対応できるのですが、英語や数学の場合、解答や直しに余白が足りず雑に書いてしまうケースが生じます。これを生徒に当て嵌めれば、その成績の良し悪しにさほど関係もなくカオス状態になることだってあります。勉強はしているが、おそらくそこから多くのものを吸収しえていないなあ、と判断できる書き方になる率が高いのです。不親切な問題集といえるでしょうか。

 もうひとつは、書き込みのスペースはけっこう広くとってあるのですが、それが一律であるもの。一見書き込みの余白がじゅうぶんあって勉強しやすそうな印象をもつのだけど、いざ実際に使ってみると、おかしなことに気づくというか、違和感を抱くことがある。たとえば数学の場合、基礎的な問題は、式も計算もそう多くのスペースをとることもなく処理できるのだが、応用問題になると図を描いたり式も計算も長くなるケースが珍しくもないのだけど、それが基礎的な問題と一律に同じスペースで区切られていると、これは当然窮屈な解答スペースとなり、はみ出したり計算式を省いたりと雑に処理することにも繋がって、ミスを誘発する原因にもなりかねないわけである。

 あるいは計算問題にしても、2,3行の式転換ですむ簡単なものから10行前後きっちり式転換していかないと答が正しく出てこない(orミスがでてしまう)問題まであるわけで、それはなにも計算問題だけではなく入試レベルの図形問題ともなると意外に出てくるわけで、極端な場合、わたしの問題集「入試図形の攻略」でいえば、たった1問(入試の大問ですが)に、問題と解答及び説明
を入れてB-4サイズの用紙1枚全体を使ってしまう問題もあるんですね。つまり問題のレベルや種類によって、書き込みのスペースはたとえ広くとも一律であることはおかしいのです。

 このことは特に数学について顕著にいえますが、英語にだってある程度は当て嵌まります。わたしの問題集の場合、それが不満でもあるので、数学も英語も問題によって実際に書き込んだ場合の必要なスペースをひとつひとつ考えて作ってあるので、直接書き込んでください、という方式をお勧めしているのです。

 次に直接書き込んだほうがいい、二つ目の理由。

 直接書き込まなければ別のノートに解答を書くことになりますが、この「別の」というものが曲者です。別のノートするってことは、距離が生じるんですね、問題とノートの解答に。顔を左右に振らねばなりません。その微妙な隙間といいますか、時間と解答作業の間に注意力と集中力が鈍る可能性があります。問題のすぐ下に直接書き込んでもまだ演習段階というものは、理解が不十分なところ、まだまだもっと問題を見つめ考えねばならないところがたくさんあるわけですから、注意力と集中力が少しでも途切れる危険性のある動作は避けたほうがいいと思うのです。それでなくとも生徒はふつう、さまざまなタイプのケアレスミスをするのですから。

 過去に、わたしのやり方に反して、問題集への書き込みをせずにノートにやっていた生徒がいました。それは英語だったのですが、その生徒の英語の学力は平均よりすこし上ぐらいの程度でした。教えてすぐだったものですから、どうも守れなかったようです。その生徒の前の塾では、こういうやり方を指導されたとのことでした。字もていねい、きちんとノートに書かれています。しかし、どうも違和感がある。それはキレイに学習されているだけで、ノートにほんとうに勉強した指紋が残っていないのです。

 ほんとうに勉強したとは、まず消しゴムを使ったあとが残っているものでしょう。単に問題を解くだけでなくそれを通じて考えた跡とは、肉筆の字や文章には不調和なところ、またなにかしら揺らぎがあるものだと思います。それらがまったくない。整然と書かれている。これは学習上おかしいのである。さて焦点を合わせて生徒のノートをじっと見ると、そこには単語のスペルミスはあるは、文法の誤りはあるは、そして上で指摘したように、問題集からノートに文を移動する際の、写す作業のミスもしていました。これでは英語の成績がいままで並であったのも、むべなるかなです。字が少々雑でもまた下手でも、そして見た目あまりキレイでなくとも、しっかり考えて勉強しているなあ、というものもあるので、あくまで内容でみたいものですね。

 ノートは、問題集でわからなかったところ、わかっていたのにミスをしたところ、つまりまだほんとうにはわかっていなかったところを、復習して覚え直す、理解を完全にする、そういうために利用するのがいいかと思うのです。

 直接書き込んだほうがいい、三つ目の理由。

 ひとつの問題集を最後までやり遂げるには、いったい何が必要だと思いますか?―― 
 まあこれは、人さまざまかもしれませんが、わたしの場合はその問題集に愛着をもつこと、あるいは愛着をもつ努力をすることだと思っております。でも最初から愛着なんか持てるわけはないのがふつうですから、とにかく初めは辛抱して、余計なことはまた考えないようにして、1週間なり2週間なりまた1ヶ月なり地道にコツコツやってみる。問題集の分量にもよるでしょうが全体の4分の1とか3分の1まで消化してみる。ここまで来て、愛着がもっているようになっていれば、どんな問題集でもほぼ最後までやり遂げられるでしょう。

 愛着をもつためには慣れ親しむ作業が必要かと思いますが、そこで欠かせないもののひとつが、問題集への直接書き込みではないか、と考えているのです。合っていればアカで○をつけ、間違っていればアカで直す(問題のすぐ下に)。もちろんこの間、いろいろと考えているわけですが、そうやってプリント1枚の全体を観れば、○×だけではなくいろんな指紋が残っているはずなのです。別な言い方をすれば、プリントが汚れていくことなのです。それが問題をした、勉強をしたという実感を与えるものでしょう。勉強の継続には、この小さな実感が大切かと思います。

 以上、わたしの問題集を利用される場合を想定しての、直接書き込みについての考えを述べましたが、皆様による、より一般化したところでご参考にできる点がありましたらさいわいです。