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理解と暗記について VOL.1&2 <理解を支え、持続させるのは暗記>
理解と暗記について、今回述べてみます。
勉強していく上において、理解をするのは基本です。こんなことはわたしが
書くまでもなく誰だってよくわかっていることです。
では、理解したから問題が解けるのか、理解したから暗記も深くなるのか、
理解したことはすべて実力に繋がるのか――。
ここがですね、一般にはどうもさまざまな問題点と、また誤解を含んでいる
ように思います。
新しいことを習う。しかし、これも厳密にいえば、ほんとうにそれまで知ら
なくまっさらな状態で習うものもあれば、過去に習ってきたものを踏まえて、
幅を広げあるいは深さを増して習う内容のものもあります。まあこれは余談で
すが、この前者の割合が多く後者の割合が少ないのが、一般に、小学と中学の
学習のあいだの関係であり、前者より後者の割合がぐんと多くなると感じるの
が高校での学習内容でしょう。そしてその学習量と知識量、難度や消化スピー
ドの違いなどにより、かなり面食らう(?)のが高校の授業です。
話を中学段階に戻しますが、この新しいことを習うに際し、昔の授業でわた
しらが学習した行為は、あくまで授業の「説明」を聞くものであって、「理解」
と「暗記」は自分でするものだ、という意識と態度がすくなからずその根底に
あったように思います。もちろんその説明の背後には、教師による生徒への理
解のさせ方や指導上のみえぬ苦労は多々あったにしても。
その「理解」と「暗記」が自分でじゅうぶんできない生徒は成績が悪く、じ
ゅうぶんできる生徒は成績がよい、という単純な図式があっただけです。それ
がいまや、学習内容が中学でもずいぶん減らされたにもかかわらず(注:数学
と理科は、ゆとり教育の揺れ戻しで増えました。しかし、それでも昔と較べる
とまだまだ少ないです)、生徒の理解力は低く暗記力も弱くなっている現実に
首をかしげているのは、わたしだけではないでしょう。
ところが、一方の現実は、学校でもテレビまたネット上でも先生が生徒に教
えている場面に出遭いますと、それは不思議なことに国語ではなく理科でも社
会でもなく、算数または数学の授業になることが圧倒的に多いでしょう。その
授業のねらいは、生徒にいかに「理解」させるか、この一点に集約されている
かにみえます。理解に重点とすべての価値を置き、まったく不必要と思えるほ
どていねいに説明をし、生徒に考えさせる時間をずいぶん多くとっています。
さらにいまの生徒の多くは、学校の授業以外に塾に通って勉強をしているわ
けですから、当然そこでも新しいことを習うに際し、単なる説明ではなくあれ
これポイントやコツを教えてもらい、また理解させてもらっているわけです。
学校では十二分に考えさせられる時間を与えられ、新しく習う基礎の知識の
理解にこれでもかというほど重点を置いた授業を受ける。塾では十二分に考え
させられる時間はないにしても、その代わり、同じ内容の理解をポイントやコ
ツを交えて教えてもらい、効率よくそして要領を得た知識をつけてもらうこと
になる。
それゆえ、授業を受けたその場では、生徒本人は理解したと思うのは当然で
あって、新しい内容の問題をすらすら解くことができるのはなんら不思議なこ
とではありません。ここに、ひとつの落とし穴があるのではありませんか?
つまり、本人は理解したと思っているから。この意識と感覚で勉強を進めて
いる生徒が、いかに多いことか・・・。しかしその理解の姿と内容は、自分の
頭を痛めて考え奪いとったものではなく、ただ手を前に差し出して、たまたま
そこに載せてもらったに過ぎないものだから、すぐに手の指のあいだから落と
しちゃうんですね。
こんなんでたとえ定期テストレベルではいい点数がとれたとしても、あくま
でそれは基本のレベルの問題に対してであり、それですら時間がたてばあっと
いう間に磨り減って、学力が凋んでしまう生徒はほんと後を絶たないでしょう。
1,2年のあいだの実力テストというものの正体は、まだ基礎と基本的な知識
を連結あるいは寄せ集めたに過ぎない。それでもふだんのテストよりガクンと
成績が下がる生徒の多くは、その大きな原因として、「理解する学習とその周
辺」にとどまっているだけではないか、とわたしは分析している。
「理解したから問題が解けるのか、理解したから暗記も深くなるのか、理解し
たことはすべて実力に繋がるのか」 と、上述しました。この3つを別けてい
うと――。
理解したから問題が解けるのか、がはっきりするのは、習ったそのときでは
なくて、だいぶ時間が経ってからのことでしょう。
理解したから暗記も深くなるのか、は一般の常識(?)と外れて、関連性は
思うほどないよ、と思っています。
理解したことはすべて実力に繋がるのか、もまったく生徒の勉強の姿、現実
を観ていない問いにすぎない。
理解は勉強の目標でも中心事象でもない。ここでは小さく、狭く限定するが、
勉強の目標は一度習ったことはすべて覚えてしまい、その知識を実力として蓄
えることである。1を習えば1を、5まで習えば5の力を、10まで習えば10の力を、
そして100まで習えば100の実力を有することである。そういう実力を備えてい
くには、「理解」と「演習」と「暗記」の3つの学習をじゅうぶん意識して積
んでいくことだろう。またこの3つをセットにして学習していかなければ、そ
の学力はじゅうぶんなものは得られない、と思って間違いない。いずれのひと
つが欠けても、いずれのひとつが弱くても、まともな実力は形成されないので
ある、とほぼ断言しておきたい。
このことは、5教科すべてについていえる。いまの学校の授業内容というも
のは、あらく表現するが全体を10とすればそのうち6,7の割合が「理解」に
費やされ、残り3,4の割害が「演習」にまわされているのではないだろうか
? それにも関わらず、応用ではなく基礎の理解すらできていない生徒、時
間が経つと基本の知識すら抜けて忘れてしまう生徒、あれほどしっかりと理
解はしていたはずなのに問題の解き方や注意点がぼやけて自己流になったり、
雑になったり、そして同じミスを何度も繰り返したりする生徒など、その現
象と度合いはまちまちながら、いずれの場合もまともな実力形成は為されて
いるとは決していえず、これらすべて含めると、その割合は半数どころか軽
く4分の3を超えている。
ここでは教える側の問題点と欠陥、そして改善すべき点を指摘しても(大い
に指摘したいが)なんら有用性はないので、学ぶ側のそれらを指摘するが、い
や、すでにじゅうぶん明記しているのだけど、もう一度言及する。
勉強には「理解」と「演習」と「暗記」の3つの容が伴っていること。いず
れかひとつ欠けても、いけない。いずれかひとつ不満足なものがあってはいけ
ない。わたしの場合、これら3つを同等に扱っている。でも、数学と英語では
違うでしょう、理科と国語では違うでしょう?――。いいえ、同じです。どれ
が欠けても成り立たない。まったく同じ価値です、とあえていいたい。
では、生徒の勉強で欠けているものとは、なにか?
それは、「演習」と「暗記」でしょう。ただし、「理解」も実は、足りない。
理解は、ほんとにやさしいことは除いて、初めに一度だけでできるものではな
いでしょう。つまり、初めに人から教えてもらってわかる理解はまだ薄っぺら
なもので、まだ自分のものにほんとうになっていないところがたぶんにあり、
自分の頭で再度考えることが大切でしょう。さらに演習を通して知る理解、徐
々に深まっていく理解もあります。また暗記をしてる最中に、新たに得る理解
だってなかにはあるんです。新たな内容の初めにだけあると区切らないことが
大切なんです。
さて「演習」と「暗記」。
演習している量、これがやはりまだ全般に不足しているように思います。た
だこれは、絶対基準というものがなく、生徒の能力によってどこまで増やせば
いいのかという単純な図式はなく、それ以上に、その演習を通して生徒が何を
学ぶか、学び取るか、その目的意識と作業のなかの集中度や取り組む姿勢にこ
そ直すべき課題があるのであって、共通した土俵では言えないところです。ま
た単純な繰り返しだけでもダメで、絶えず考えながら問題にあたるという、そ
して基礎からある程度応用までを含んだ問題構成のなかで演習するという、そ
ういう環境が与えられた問題集(ここですみません、宣伝。E-juku1st.Comの
問題集はすべて、この点に留意して作ってあります。失礼いたしました)で、
勉強するのが望まれます。これらの条件と状況を踏まえた上でもなお、演習し
ている量が、多くの生徒にはまだ不足しているのは否めないところでしょうか。
最後に「暗記」。
実はこれが今回、もっともいいたい点、主張しておきたいことかもしれませ
ん。いまの小・中では「理解」が主役で、「暗記」は脇役どころか日陰に追い
やられているような、存在の薄い印象を受けますが、これをもっともっと大事
にしてもらいたい、そして真剣に取り組んでもらいたいと思っています。わた
しの想いで書きますと、学習全体(10として)、いや実力をつける勉強の中身
全体でいいますと、「理解」:「演習」:「暗記」=2:4:4の比重くらいに
なります。
ネット上の或る記述に、次のようなものがあります。学校でも塾でも問題集
のなかの説明でも、このように考えている人は主流かと想われますので、その
一例として。
「繰り返して練習するよりもさらに忘れにくい方法、それが『理解する』こと
です。そのためにただ暗記するのではなく、常に「なぜ?」そうなるのかを考
えるようにしましょう。理由がわかれば「なるほど!」と納得できます。この
ように納得して憶えたものは単純な暗記と違って 忘れる率が大幅に低くなり
ます。特に中学生から高校生にかけて脳の発達段階が単純な記憶から理解し納
得する記憶へ移行して行く時期なので、理解し納得する学習は非常に合理的で
効果のある勉強法なのです。 さらに、丸暗記は単純でつまらない作業ですが、
理解し納得する学習が身につくと達成感があって勉強の面白さがわかってきま
す。」
まあアホらしくて、まともに語る気にもなれないのですが、そこはぐっと我
慢し、もうすこし書き進めてみます。
この人は理解することが忘れにくい暗記の方法だと書いています。なぜそう
なるのか、常にその理由を考え、なるほどと納得し理解したものは、非常に合
理的で効果のある勉強法だ、とも書いています。
しかしこれは、勉強の入り口の論理で、理解するなんてことは、勉強する上
において当たり前のことでしょう。理解したそのあとの結果は、どうなんだ?!
理解することが忘れにくい暗記の方法なら、生徒はみな、中3の実力テストで
平均点が45点になるようなひどい点数をとらないと思うけれどね。
また、なぜそうなるのかを常に考えることはとても大切ですばらしいことだ
が、それが合理的で効果のある勉強法である実証はなんら示しえていない。わ
たしのお粗末な体験からいっても、それはいっさい見い出しえない。勝手な理
想や理屈を抜きにしてあくまで現実のなかで捉えるけれど、いったいどのくら
いの生徒がこれをやっているのか。というより、こうしたことをなしえる能力
と余裕が生徒にあるのかを、この者は果たしてどれほど「理解」、知悉してい
るのだろうかと、むしろ根本的にこの認識力を疑う。
中学生から高校生にかけて脳の発達段階が単純な記憶から理解し納得する記
憶へ移行して行く時期というのも、どうも半分ほどの事実しか押さえていない
のではないか。
高校でいうなら、われわれは、たとえば英単語や熟語、構文まで、どれだけ
単純な記憶をしなければならなかったか、ちょっと憶いだせばすぐにわかるだ
ろう。日本史世界史の事象、年代の暗記、あれを理解し納得する記憶と呼ぶの
だろうか。まだまだあるがやめておきます。つまり、両方の記憶が要るんです。
物理や化学、自分でいうのもなんですが、まあ得意でした。しかし、相当に理
解し、努力して納得し暗記もしました。でもですね、その数々の理解や納得は
どこかにキレイさっぱり吹っ飛んでしまって、わたしなんぞいまやその残滓も
残ってはおりません。
<理解を支え、持続させるのは暗記>VOL.2
丸暗記は単純でつまらない作業と書いておりますが、果たしてそうか?!
「暗記」のなかのひとつして「丸暗記」があるかと解釈しますが、この言葉に
は負のイメージのレッテルが貼られていて、たとえばテスト前の一夜漬けのよ
うなその場しのぎの勉強がイメージされるので、これをまったく否定するつも
りはわたしにはありませんが、あくまでわたしの使用する暗記は、それ以外の
ふつうに行われるさまざまな暗記と捉えていただきたい。
‘暗記’は単純でつまらない作業です。この文章で正しいのは、‘暗記’は単
純で、までであろう。単純であるがゆえにつまらない、と思うのは、もちろん
自由だけど、単なる主観であって、この主観の位置にあえて立てば、わたしは
‘暗記’は単純だけど別にキライではない、むしろ好きなほうかもしれない、
となるかな。
世のなかには、わたしらが一見単純でつまらない作業に思えるようなことを
気の遠くなるほど延々と続けて、また積み重ねて、その規模の大少関係なく壮
大にものをあるいはほとほと感心する作品を創りあげる人が、多数いますよね。
人体に悪い影響を及ぼさないため化学肥料をあまり使わず、そのため腰を屈
めて採っても採っても毎日のように伸びる雑草と格闘し続ける農家の人の話。
これを単純でつまらない作業とは誰も考えない作業もあるでしょう。単純な実
験と調査を数年も繰り返してやっと製品化にこぎつけるものもあるでしょう。
このようなことをちょっと思い浮かべればいくらだってありそうですが、そも
そも我々の日々の生活のなかですら、食事作りから掃除、洗濯、その他家事全
般、単純といえば単純、しかしほんとに大切な作業の繰り返しをつまらないと
は思わず(ときに思うことがあっても)、ふつうにまた懸命にやっていること
でしょう。
ゆえに、というわけではありませんが、そんな道理を書くまでもなく、‘暗
記’を単純でつまらないと感じるのは、勉強に手間と時間をかけたくないだけ
の単に甘ったれた感情の部分が大きい、とわたしは思っています。もし単純な
作業をつまらないと思うなら、勉強だけではなく多くの仕事にも上面だけなぜ
てその大事さに気づかないことになるだろう。
さて、「この文章で正しいのは、‘暗記’は単純で、までであろう」と書き
ましたが、ほんとうのところ‘暗記’は単純で、とは考えていない。よしんば
単純であっても、そこにいろいろと工夫をしたり、気分の転換を図る術を採り
入れたら、ずいぶん面白く取り組めるのだ。新しいことを理解し、納得するこ
とだけが、勉強の面白さではない。
そこを教えたり実際の学習のなかで折に触れてアドバイスをしたりする教師
はほんとに数少ないだろうし、また期待することも難しい。その具体的方法
(即ち、奇抜なものではなく平凡なことです)を2、3例を挙げてみてもほとん
どたいした意味はない。なぜなら、たとえわかったとしてもやるかどうかは本
人次第であろうし、勉強に手間と時間をかけるという当たり前の心根、気持が
まずその根底にあって成り立つであろうから。つまり、生徒自身が自分に適っ
たものを見つけ、改善と工夫を積み重ねて実践していくことが、なにより求め
られるのでしょう。
これができないから、またはわかっていないから、勉強のしかたをどうすれ
ばいいかとか、効率的な勉強のしかたやコツを教えてほしいとか、そんな大ま
かで実は捉えどころのない空虚な質問を、中3になっても(高校生でも)平気
でネット上に溢れるほどしているのをみるけれど、嘆かわしいといわざるをえ
ない。
上のVOL.1で学習全体を10とした場合、ほんとうに実力をつける勉強のあり
方でいうなら、「理解」:「演習」:「暗記」=2:4:4の比重くらいになる
と書きました。しかし理解を支え、持続させるのは暗記でしょう。これがわか
っていない。演習のなかでも暗記は深めていかねばならない。これもわかって
いない生徒は多い。暗記のための暗記もときに泥臭く無心にしてゆかねばなら
ない。3つの学習に跨って、暗記は学習全体を支えているのである。その結果
持っている力が、実力でしょう。
以上、今回述べた内容が、学習を進めていく上でのなんらかのヒントまたは
反省を加える視点の材料にすこしでもなればさいわいとするところです。
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