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  高校入試でターイセツなこと、って何だ?!
§156 理性的な目標
<たまには精神論で>

 また、アランの言葉を引きます。
「人間はいつも、何かの善を目指すものだというが、ぼくは、理性的な目標に対しては人間は怠惰なものだと思う。人間の想像力は、まだ全然日の目を見ていない作品に関心を持たせるほど強い力を持ってはいない。」

 前半の言葉――ぼくは、理性的な目標に対しては人間は怠惰なものだと思う。 この言葉に、大いに頷く。そして自己弁護を含めて、拍手喝采! 空々しい前向きな発言にはいつも反吐を催すわたしとしては、こういう後ろ向きな発言(もちろん曲解してのものだけど)には、なぜかほっとするし、こころ休まるところを感じる。

 そうなんだね、まったく。感情的な目標、いや情念的な目標なら、人それぞれに多種多様一杯あるようだけど、理性的な目標となると大抵は大きいだけに、ちょっと思い浮かべてもらえればわかるが、実は人生のなかそれほど多くはない。その多くはない中の一つに、やはり、勉強にまつわることがあるんだろうね。理性的であるが故に、どうしてもそれは怠惰に陥る傾向にある。それとの闘い。

 怠惰なるものがいけないといっているのではない。理由のある、また別に取りたてて理由のない怠惰も多いに結構。ただ、学んで蓄えて、どんどん養分として吸収しなければならない段階にまだ過ぎない中学生で、その勉強に対する基本姿勢の中に、怠惰の姿勢と感情は寸時も持ち込むべきではない。全霊を傾けるほどでもないが、しかし真摯に懸命に、理性的であるが故なおさらその目標に向けて、本気でぶつからねばならぬと思う。

 ここで重要なのは、自分の中にいつも存在する、そして気持ちを緩めればすぐにも忍び寄る怠惰に流れる気分に打ち克つことであり、それを追い払う厳しい気持ちを持ち続けることを学ぶことである。

しかしこのような考え方は、いまどきの生徒にはうざったいものに映るだろうし、邪魔くさく敬遠され流行らないことも承知している。が、しかし、それがいったいどうしたというのか?! 勉強への基本姿勢と心構えは古今往来、その本質に措いて変わるものではない。「気分」や時勢の感覚で捉えるものでは断じてないのある。

 自分のできない成績(?)を棚に揚げて、またさしてよくもない脳みそを露も信じずに(失礼な言い回し、お許しを。私なんか中学生にもなると、十分自覚はしていましたがね。何でこんなに出来が悪いのだろう・・・と。やばいっ、そのあほな頭から目を離すな、と。ところが生徒を観ると大抵のものは、自分は賢いんだ、習ったことはすべて頭に入っているもんね、という素振りと妙な
自信がときに見え隠れしているから、またはそれと反対に、てんで気にもかけていない生徒も多いから、たまげる)、口先だけ調子のいいことをいって(大体がきれいな表現、決まりきった言い方で、しかもそれは抽象的でしょう? 具体的で小さな、確実に実行に移せることは、なんら語っていないことが殆どでは?)、実行に伴うさまざまに湧き上がる障害、困難をするりと避ける態度
と考えからは、時間がたっても結局は同じところでぐるぐる回って、ちっとも前進せず停滞しているのが常。このような生徒にどうして学業上の進歩が望めようか。

 ところでインターネット上で、新聞紙上の塾の宣伝で、また書店に並ぶ教育関係の本のなかに、よく次のようなキャッチフレーズを目にする。これもやはり、きれいな言葉で蔽われている。

「あなたのお子様も心配はいりません。単に勉強法が間違っているだけです。必ず成績を伸ばす事ができます」

「この夏正しい勉強法を身につけて、絶対に偏差値10あげる!」

「生徒自身が目標を設定し、やらなければならないことに価値を見出し、自ら進んで学習する姿勢を指導する」

「あなたの子どもは必ず成績を伸ばす事ができます。クラスでNO.1を目指したい。○○高校に合格したい。そういう目標があれば、必ず、子どもはそれに向って成績が向上していくのです。そして、秀才になることだって、十分に可能です」

 もうあほらしくて、その論理の矛盾と虚妄について細々検証する気も起こりませんが、このような結果を導き出すとなると、どれもほんとうに大変なことです。確率的に2、3%に過ぎないことを、まるでみんなすべてに当てはまるかのように「必ず」とか「絶対に」という言葉で飾ることは、実相からはあまりにもかけ離れており、それだけで信用が置けないと判断したくもなる。

 果たして間違った勉強法を直せば、そして正しい勉強法を身につければ成績は上がるのか? 絶対にという言葉は私は使いませんが、これはほぼ間違いなく上がるでしょう。言葉の使い方、組み合わせとしては正しいのだから。では、それをどうやって? キャッチフレーズの性質上しかたがないともいえるが、その説明がまったくない。この点にこそ父母の方は最大の関心と疑念があるのだけど。

 間違った勉強をしている生徒は数知れず。勉強法そのものも、中学生にもなってわかっていない生徒の割合も驚くほど多い。ではそれを直すとして、そしてわからすとして、それは言葉の上で抽象的なことをいっても、たとえ素直にふんふん頷いたとしても本人の頭にはちっとも入っていないことは普通である。何故ならそんなことは、今まで小学校でまた家庭でさんざん聞かされてきたことだろうし、本人もよくわかっていることなのだから。それでも守られてこなかったということは、今後も守られない可能性が高いことは容易に想像がつく。

 わかっていても実行できないから、或いは実行しないから、或いは実行しても長続きしないから、或いはその実行に深さがなく表面的であるから、一筋縄ではいかないのだ。それをどうにかしていくのが、悪戦苦闘しつつまともにして行くのがひとつに、良心的な(?)塾の役割であるかも知れない。

 間違った勉強の中身の一つ一つを直すのは、実はかなり骨の折れる作業である。その間違った勉強を直すことと、正しい勉強を身につけさせることとは同時になされるかのように、または裏表のように思われがちだが、現実はそう単純ではない。生徒の実情はそこにもぽっかり穴が開いていて、これを埋めていくことにも予想を超えて大いにエネルギーとまた時間を要するのが普通なのである。

 そして、正しい勉強法(具体的に今回、何も言ってはおりませんが)を行う上で、実践して継続して行く上で欠かせないのが、いや土台になる極めて重要な要素に、目には見えない心構えがどうしても必要なのである。それは普段、生徒も父兄の方も勉強していく方法や問題点のなかで案外省いて考えるが、継続となるとかなりの影響を及ぼす要因である、つまり「怠惰」へ流される気持ちと姿勢を慎むことを、もっと意識上に置いて学んで獲得していってほしいと思う。

 アランはこうも言っている。
「どんな勉強をするにしても、うまくやろうといった欲望がまずはじめにすり切れてなくなってしまわなければならぬとまで極言しうる。」

 ここには怠惰が忍び寄る余地はない。あるのはひたむきな努力と真剣さ、そして継続、か。