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  高校入試でターイセツなこと、って何だ?!
§142 たとえば春期講習に参加する意味?!・・・
<春休みは短いから・・・>

 春期講習ほどくだらぬものはないね。塾をやっていてこんなことを書くのは少し変だけど、率直な感想だからしかたがない。何かに参加するということは、参加する意味あるいは目的がなければならないと思うのだが(別にそんなに堅く考えないで、ただ何となく暇で興味があったから、友達が行くというから等など、そんな他愛もない、また控えめな理由も結構あるのだろうけど)、春期講習に参加する意味が、もう一つわからないというか、見出せない。

 もちろん春期講習を行なう側の塾の視点に立てば、その最大の目標は生徒獲得のデモンストレーションであり、生徒確保の絶好の機会を演出するタイミングと契機になるわけだが、その授業の中身といえば、チラシの謳い文句とはちょっとかけ離れたことが多いのではなかろうか。

 たとえば次元が違うが、有名予備校の○○先生の古文は素晴らしい講義をするらしいから、一度それに参加してどんなものか体験してみるかとか、△△先生の物理は斬新な教えかたとコツを示唆してくれ、しかもその受験指導の知識は急所を抉るノウハウを持っているので、是非その片鱗でも吸収してみるかとか、そういう個別的で具体的な目的意識を持った講習参加なら十分に頷ける。

 しかしこれも、本人にある程度、その教科に対するそこそこの基本知識を持ち合わせ、理解し吸収するだけの学力と、日頃からの自分なりの下手な学習の集積があって初めて、効果が出るものであるといえますね。その逆の場合、即ち本人に基礎的な知識も力もないのなら、単に参加することでさえ適わぬかもしれないし、仮に受講できたとしても、その習得できる内容は薄っぺらというか、殆ど吸収できはしないのは通り相場である。

「人間は、もらいものの楽しみにはうんざりするが、自分で勝ち取った楽しみはすごく好きなのだ」
 と、アランは言っているが、これを少々強引に、勉強の場面に当て嵌めちゃいますが、春期講習なんてその受ける姿勢は、もらいものそのものでしょう。何かある、何かあるだろうと思って殆どの生徒は受講するのだが、その何かの内容は、一体なんだ?! 

 もちろん「勉強の中身以外」の付随的な要因を求めて参加するのならわかる。しかし、主眼はそうではないと思う。勉強そのものに何か期待し参加するのだろうが、そこでさて一体、何を得られるというんだろうか?・・・。 大抵はいままでに習った範囲の復習であろうが、それがお互いに重要部分であるにしても、高が1、2週間の期間で、それまでの1・2年間の内容をどうして復習し、
カバーすることができるというのか?! わからん、まったくわからん。

 勉強したことを身につけようとしたら、時間がかかるものです。また、かかるはずです。それを実力として定着するのならさらに、単純な繰り返しも必要でしょうし、粘り強い思考とポイント把握の訓練も積まねばならない。つまりそれらは、自分で労苦のもとに勝ち取るものです。決して他人からの安易なもらいものではすみません。

 成績が優秀な生徒でも、成績が不調な生徒なら尚のこと、短期間の仮のおさらいで、何をものにすることができようか? 何をものにすることもできないことがうんざりするくらいわかっているから、わたしは春期講習なんていままでしてきませんでした。付け刃は役に立たない。するのなら一から本格的に、地道に。それしかない。

 よろしくないのは、こんな通り一遍の内容で勉強したと思い込むことかな。1、2週間で学べることは、大概は1、2週間で忘れるのが関の山でしょう。特にこの春期講習なんて、与えられた薄っぺらな授業内容ではね。それよか、その十分の一以下で済むお金で、本の2,3冊は買って読めよ、と言いたいね。または、大学ノート1冊350円で買ってきて、朝日新聞の天声人語(読売でも毎日でもいいね)などを毎日書き写し、文章と漢字、またその文章表記の練習することを勧めるよ。さらにまたは、画用紙2、3枚用意して地図帳を睨めっこして、自分なりの世界地図を描いてみることを提案するね。

「自分で勝ち取った楽しみはすごく好きなのだ」とアランは言っているが、なるほどその通りで、この春休みなんか、他人からもらうものなどあてにしないで、また周りの誰々さんの情報や話しにすぐさま反応したり耳を傾けないで、テレビやインターネットなどから送られてくる、さも当然のような情報にも振り回されないで(このメルマガもインターネットだけどね、矛盾しているかな?)、何か一つ、自分で見っけて、勝ち取るまで行かなくても作り出し、創意のなか、学習という範囲においても自分で自分のために時間をかける欣びを見出して欲しいと願いますね。