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§584 解説が詳しければいいのか? 
<良問を解くとは>

 ネット上で、ある書き込みにふと気になる点を感じた。最近は見飽きたせいか学習に関するネット上の情報にもうんざりすることが多く、興味を引かれることがほとんどなくなってしまってたのだが・・・。

 興味や関心がなくなると、目にした記事や意見は頭を素通りして、思考が膨らまないことになる。こうした習性はいけない、と考えるのが正常なのであろうが、いまでは意に沿わないことを思考する気にはなれないから、よくないことだとは別に思ってはいない。

 そんななか、次のような記述にすこし引っかかるところがあって、思考することになってしまった。それを今回、書いてみたい。
 
 ただ、もうどこのなんのとき見つけたのか、いまとなってはわからない(ただちょっと気になるので保存してしていた)ので、そのまま失礼して載せてみることにします。

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 我が家も塾に入ってから宿題だけではなく、他の問題集もやっていました。
○会よりも量的に塾のほうがすごく少なかったのです(塾にもよるかもしれま
せんね)。量が足りないほかに、塾での授業で理解しづらい問題などを補うた
めにも他の問題集が必要だったのです。いろいろと探してみましたが、結局○
会にたどりつきました。

それは、やはりあの思考力を問う問題の質の良さ、そして解説のすばらしさで
す。良問の問題集は、探せばありますが、あの解説の詳しさは○会以外にはみ
つかりませんでした。
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 体験談から引き出したひとつの結論なんでしょうか、妙に説得力のある意見です。でも、あまりにも持ちあげすぎだなとも感じますし、勘ぐっていえば、まるで○会の回し者の書き込みのような印象も、へそ曲がりのわたしとしては抱いてしまいます。

 そういう邪推はさておき、この親御さま(おそらくお母様かな)の意見のどこに引っかかるのかといえば、後半3行の文章の非の打ちどころない完璧さにあります。

 しかし、どうも待てよ、であります。「やはり」という言葉の使い方、○会以外にはみつかりませんでした、というきっぱりした断定表現に、なにか不自然さ、違和感を持ちます。

 ふつうなら、「やはり」という言葉要らないでしょう。これをとっちゃって読んでみてください。意味はじゅうぶん通るはずです。他の問題集が必要で、いろいろ問題集を探してみた挙句、結局○会にたどりついたと書かれています。たどりついたと判断した理由は、「あの思考力を問う問題の質の良さ、そして解説のすばらしさです」にあるのでしょう。

 けれども、「やはり」という言葉を使わないほうがむしろ自然なんではあませんか? そこをあえて「やはり」という言葉を使って強調したのは、あらかじめ、思考力を問う問題の質の良さとその解説のすばらしさを知っていたからにほかなりません。では、知っていてなぜ他の問題集をいろいろ探す必要があったのでしょうか? 初めから○会に行けばいいのに・・・。

 いいえ、それでもまず費用の面もありますし、もっとほかに安くていいものはないか、満足いく問題集がないかと捜してみて、結局みつからなかったから・・・、ということなんでしょう。理屈は通ります。でも、「やはり」と「あの思考力を問う問題の質の良さ、そして解説のすばらしさ」の冒頭の「あの」の使い方には、読者に同調性を強いているようにも感じられ、広い客観性に欠けているようにも思います。

 というのも、わたしの実体験でいうなら、つまり狭い主観性に基づいていうなら、「あの思考力を問う問題の質の良さ、そして解説のすばらしさ」なんて感じなかったからです。これを具体的にすこしだけ書くと、次の如くです。

 わが娘が中1のとき、学校以外になんかやることはないかと、この○会をしました。1年間しましたが、どうもあまり役に立たなかったようです。というか、難しくてすべて吸収しきれないようでした。わたしはいっさい教えませんでした。その教材内容を時折見ては、フーンと唸っているにすぎませんでした。父娘レベルが低いのか、問題の質の良さを味わうこともできず、また解説のすばらしさもこのお母様が書かれているようには、その当時、判断できなかったわけです。つまり、乖離がある。

 そこで中2からはわたしの塾に放り込み、基礎と基本はなんであるか、みっちり叩き込む勉強、豊富な演習をとおして徐々に徐々に応用問題へも取り組んでいったわけです。最終、公立トップ高(ネット上の偏差値では73〜75)に入りました。

 また「良問の問題集は、探せばありますが」と書いていますが、実はこれもよく考えれば、とても曖昧で具体性に欠ける表現であります。良問の基準もはっきりしません。

 わたしなどいまでは、ああこの問題は良問だなあ、とつくづく感じることができますが、塾をやって数年のあいだは、基礎と基本の問題と応用問題の区別、また応用のなかのレベルの区別は当然できても、これは良問だという認識や判断など、もうひとつ明快にはできませんでした。

 そもそも、思考力を問う質の良い問題が良問とするなら、思考力を問うとはどういうことか、質の良いとはどういうことか、それがはっきりしておかねばなりませんね。

 また、中1の段階では良問といえても、中2のもうすこし知識が入った段階では同じ問題がもう良問ではないこともありますし、中2の良問が中3ではなんだ、平凡な問題ではないかと感じる場合だってあります。さらに中3の内容がすべて済み入試レベルの問題になって、いろんな単元が融合されてそれらをうまく活用しないとできないような、そんな良問もあります。

 さらに視点を変えていえば、なにも応用レベルのなかの一部の問題だけが良問とは限りません。極端に書きますが、50点の生徒が問題集を勉強して75点とれる力をつけたのならば、その問題集を勉強した生徒にとって良問の問題集だといえるでしょうし、入試で思考力を問う質の良い問題であっても、解くのに
異常に時間がかかり、正答率が2%にも満たない問題など、こんなのとても良問などと呼べません。

 まだほかにも述べたい点はありますが長くなるので省くとして、たとえば上記のように捉えても、「良問の問題集は、探せばあります」なんて、いったい具体的にいつの段階でなんのことを指しているのか、わたしには意味不明なのであります。

 そして、もうひとつ。「あの解説の詳しさは○会以外にはみつかりませんでした」という点。たしかに解説が詳しいのは、とても大事なことです。しかし、詳しければ生徒がそれだけよく理解するのかというと、現実そうとも限らないところがありますよ。

 口頭で教える場合、詳しく言えばいうほどそれはときに分類が多岐にわかれ、そして例外の説明も加えれば加えるほど、生徒は整理しきれず混乱する場合もなかにあります。あるいはひとつのことを深く掘り下げて説明する場合でも、その展開の筋道を生徒は見失うケースだってあります。ですから、余計な説明や飾り文句は省き、あえて単純明快に、あくまで端的にポイントだけを強調し解説するほうが、問題によっては理解しやすいことだってあるんですね。これは問題集の場合でも、同様です。

 ですから、「あの解説の詳しさは○会以外にはみつかりませんでした」という点に大いなる長所を見い出しているのでしょうが、わたしとしては、ああそれはいいですね、とは単純に頷けませんし、疑問符がつくのです。

 そしてなにより、この書き込みの内容でもっとも不思議に思ったのは、いったい主役は誰なの、ということであります。もう一度読んでもらえばより納得いただけるかもしれませんが、当の主役であるお子様の陰形がほとんど浮かんでこないのです。まるで勉強している主体はお母様のような印象すら持ってしまいます。

 思考力を問う問題の質の良さ、そして解説の詳しさ、そのすばらしさもわかった、としましょう。では、勉強した主役のお子様は、どうなったのですか?その結果が見事に抜けて書けていないではありませんか。これでは画竜点睛を欠く、といわれても仕方がないでしょう。

 良問を解くことは誰だってできます。また詳しい解説があるなら、質の高い思考力を要する問題でも、理解はある程度できます。しかし、良問が「理解」できることと、良問が「できる」こととは、あきらかに違うことを、そしてそのあいだを埋める勉強こそが問われていることを、これは何度も指摘してますが、ここでも再度確認しておきたいと思います。