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  高校入試でターイセツなこと、って何だ?!
§258 公立と中高一貫校との学習内容の差について
<負けない態勢を作ること>

 公立と中高一貫校との学習内容の差について心配や不安を持たれているお母様から、ときおりメールをいただくわけですが、そのなかの或るお母様からの便りの一部を例として挙げてみて、すこしわたしなりの考えを書いておきます。

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 雑感ですが、お子さんが中高一貫校にいっておられる友人の話をきいたり、
某通信教育で中高一貫校用と公立用と両方の全国模試を受けてみて、しみじみ
と、普通にやっていたら公立と中高一貫校の「差」は6年間でものすごくなっ
てしまうなあ〜と思っています。
進度が速くて高2までに全過程を終えるとかいうことだけでなく、理科・数
学の単元の系統的な配列(英語も)とか、そういうところで頭に入ることがら
の深度やことがらの間の関連性とか、そういうものを身につけられるかどうか
に差ができるような気がします。
 正直、公立しか選択肢のない我が家などは どうすんべ・・・。と考えてし
まっているところです。
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 この春から中2になる女の子(成績のほうも自宅だけの勉強で480点以上キープしてかなり優秀なのですが)のお母様の思案ですが、公立中学のいまの学習にある種危機感を抱いているとのこと。

 じゃあ、どうするか? この問いを発することはいとも容易であるが、具体的な答えはそうそう無いようである。中高一貫校生とはっきりとレールが違うものを同じレール上に仮想して考えることには、無理がつきまとい、話は観念的になりやすい、とまず思う。現実的にあり得るのは、公立中学とはまったく無縁の授業進度と特別な教材を使っての、中高一貫校生と同じ机に並んでの学習、または私学受験専門に特化した塾で学ぶことが望まれるであろうか。が、それは、大都市のごく一部にしか存在しないわけで、きわめて限られており一般的ではない。

 それよりもむしろ、違いをはっきりと認めること、そして差が出ることはどうしようもないことと受け入れて、張り合って同じ土俵に立とうとする術や対策なんか考えないことであろう――。
 と書けば、誤解を与えることにもなりかねないが・・・。最後までお読みいただければわかるか、と。

 考えても、なんともならないからである。わたし自身、まったく考えないでやってきたし、娘、息子にも考えさせない(?)環境でやってきた。それでも国立の大学にはなんとか進んだ。それに経済的な理由も大きい。しかしこんなことはわたしの例を出さずとも、世間には意外と多いのではないかと思っている。やれ私立中学受験だ、中高一貫校の教育だと表に出る部分や話題は賑やかだけど、声高にしゃべらないだけで、隠れてしまっているのだ。わたし自身もこんな仕事に携わっていなければ、言う必要もないことで黙っているものね。

 考えてもなんともならないものは考えない。考えればなんとかなるものを考える。そしてその考えたなかで、自分が実行できるもの、実行しなければならないものだけを抽出し、それを自らの手でやり遂げる。これでいいではないか、と思うのである。また、これしかない、と思うのである。

 考えて知っておきたいこと。
 いくら情報を蒐めても、その情報の真偽を捉える目がしっかりしていなければ、溺れるか振り回されるだけである。その場限りの偽の情報は現代、うざるほど多い。たとえ真の情報を得ても、それが自分に、またわが子に適するかどうかは別物であり、さらに選択の幅は狭まる。中・高の入学説明会にしても塾の説明会にしても、そもそもいいことしか言わないであろう。耳の痛いこと、不快に感じる内容が混じっている説明や情報にこそむしろ、真が多く含まれている可能性が高いのものだが、さてどう思われるだろうか?

 中高一貫校に通っている方の話を聞いて、その学習進度の速さに愕いたとしても、その生徒が内容をきっちりすべて吸収して力になっているかどうかは、わからない。数学の単元の系統的な配列、たとえば1次方程式(中1)と連立方程式(中2)が合体して計算も文章題も連続して習うわけだけど(すべてのケースとは言わないが)、たしかに事柄の関連性はあるにしても頭に入る深度が深く追求できたかどうかは、わからない。

 学校では高校英語を習っているのに中学の英文法があちこち大きく穴を開けていて、基礎がまともにできていない生徒。中学数学の大きなポイントである関数と図形分野でその応用レベルになると、まるっきり歯が立たない生徒。社会の地理と歴史できわめて知識の少なく、また暗記をさせてもすぐに忘れてしまう生徒。これは実際、わたしが教えた中高一貫校生のあられもない姿であり、そりゃあ中高一貫校といってもピンからきりまであるのですから、鵜呑みにしてもらっては困りますが、そして超難関校の生徒ではありませんが、これも裏側にあるひとつの事実とだけは書かせてもらいます。

 つまり、表側だけを普通見ることになりますが、その内部、また裏側まで視ますと、わからないのである。経験的に知らないがゆえつい過大評価をしがちなんだけど、実相を捉えるような情報にできるだけ接していきたい。

 わたしはこれまで、いまの公立中学の学習の浅さ、進度の緩さ、また生徒の学習知識の絶対量の少なさなど指摘してきました。と同時に、たとえばほんとうの実力をじゅうぶんつけることにこころ砕くことなく、ただ内申点ばかり気にするような公立中学の枠のなかでしか成績や物事を判断しない視野の狭い考え方も批判してきました。
 
 では、視野を広く持てというから博くみると、同じ土俵に立とうと考えてもなんともならないからやめろという。これじゃあ、矛盾しているではないか、どうすればいいんだ?と思われる方もなかにおられるかもしれない。

 が、これは結局、孫子の「敵を知り己を知れば百戦危うからず」に通じることと理解してもらえば有難い。その兵法「謀攻篇」のなかに「彼を知り己を知れば百戦危うからず。彼を知らずして己を知れば一勝一敗。彼を知らず己を知らざれば戦うごとに必ず危うし」 という言葉がありますが、わたしの場合、「彼を知らずして己を知れば一勝一敗」の経験に高々過ぎず、「彼を知り己を
知れば百戦危うからず」の境地には程遠いけれど、「彼を知らず己を知らざれば戦うごとに必ず危うし」だけには、絶対なりたくないわけです。

 またその「軍形篇」(戦略的な作戦計画)に、次のような言葉があります。

「孫氏曰く、昔の善く戦う者は先ず勝つべからざるを為して、以って敵の勝つべきを待つ。勝つべからざるは己に在るも、勝つべきは敵に在り。故に善く戦う者は、能く勝つべからざるを為すも、敵をして必ず勝つべからしむること能わず。故に曰く、勝は知るべし、而して為すべからず、と。」

 この解釈はネット上のを拝借して下に書いてみます。

 孫子は言いました。「昔の優秀な戦士たちは、まず負けるはずのない態勢を作り上げてから、敵を倒せる機会を待ちました。負けない態勢を作ることはこちら側の問題です。敵を倒せる機会ができるかどうかは相手側の問題なのです。
 つまり、いい戦士たちは負けない態勢を作ることはできますが、敵を倒す機会を作ることはできないのです。ですから「敵を倒すやり方を知っている人も、それができるわけではない」
と言われているのです。

 とくにこころに留めてよく考えておきたいのは、「負けない態勢を作ることはこちら側の問題です。敵を倒せる機会ができるかどうかは相手側の問題なのです。」という箇所ですね。まずは守りを固めて負けないようにする。あとは勝つ機会を待ちます。絶対に勝てるような機会は自分からは作れません。

 これですべて、言い得てるように思います。相手に勝とうという意識や考え、またその方策は要らない。その前にまず、「‘こちら側の問題’である‘負けない態勢’」を作ること。これこそ今回どうしても指摘しておきたい、そしてこの種の質問にたいするわたしの回答となります。

 これは上で書いたわたしの発言とも符合しますので、再記してみます。 考えてもなんともならないものは考えない。考えればなんとかなるものを考える。そしてその考えたなかで、自分が実行できるもの、実行しなければならないものだけを抽出し、それを自らの手でやり遂げる。これでいいではないか、と思うのである。また、これしかない、と思うのである。

 ‘こちら側の問題’である‘負けない態勢’を作る目で、いまの勉強のしかたとその深さ、そしてそれらを取り巻く知識の厚みを視てください。ほんとにいろいろと、まだまだ突っ込んですべき課題や補強すべき問題点などが、浮かび上がってくるのではないでしょうか。そのひとつひとつ具体的なものは、いままでの学習のしかた250以上のなかの少なくとも半分以上で言及しています
ので、すこしでもヒントになれば、と。