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  高校入試でターイセツなこと、って何だ?!
§214 勉強するときの気分について
<勉強をする以前の情念>

 以下特定の個人ではなくあくまで一般的な例として、また広くよくあるケースとして、お読みいただきたいと存じます。

「公立中学生の娘をもつ○○です。これからの学習の進め方について助言ください。

 娘は、教科の好き嫌いが激しく、英語は入学以来、テストでは満点を通してきてますが、地理にいたっては、50点前後、数学に関しましても、単元ごとにバラつきがあり、好きな図形は完璧なのに方程式などは、基礎からの理解も怪しいです。

 勉強の仕方も、好きな教科の場合は、早朝深夜を問わず机に向かってますが、嫌いな教科の場合、教科書も開いていないようです。

 また、現在、塾に通わせてますが、友人も多数通っており、なかよしクラブのようであって、あまり実力がついて来ているとは、言い難いです。

 私達の学力や生活リズムでは家庭での指導にも、限界があります。やはり、個人で向き合って頂ける家庭教師がいいのでしょうか? 本人のやる気を引き出すのが先決とも思うのですが、<後略>。」

 一見、答えやすいようなご質問に見えるかもしれません。また質問を、「個人で向き合って頂ける家庭教師がいいのか」に限定し、「一概には言えませんが、そのほうが弱い科目によりキメ細かく対応してもらえて、本人にはいい結果がでるかも知れません」で、片付く(?)かともいえます。

 あるいは、OKWebなどの掲示板で質問されたほうが、一般の方からの丁寧な、角度を変えた多様なアドバイスをいただけて、むしろそこから有用なものを抽き出せるかも知れません。

 わたしの非論理的で、思いとは裏腹な返答は以下。
「いろいろと考えてはみましたが、この種の質問にはなんら有効な答えがないのが、答えです。家庭教師云々の問題でもないかと存じます。また経験上、その結果もよくわかっています。もし辛辣な内容になっても構わないのなら、メルマガにて一般的に、答えの出ない状況を述べてみます。」

 まあ、我ながら拙い応えかたであります。あきれて、または気分を害されて、その後の返答はありません。当然でしょう。

 問題の断層をどこで切って助言すればいいのか、どこまで踏み込んで説明をすればいいのか、迷う質問です。とかく勉強に関する質問はナイーブな面を含んでおりまして、それがまた、相手がいったいどういう方なのこちらとしてはさっぱりわからないわけで(その逆は、つまりホームページやメルマガなどで、わたしの正体をある程度はご存知なのかもしれませんが)、それでもすぐに、ある程度お応えできるものも中にあるものの、このタイプの問題は言えばいうほど却って、失礼に受け取られる可能性のあることを述べねばならないという、ほんとにやっかいな面を含んでいるのです。たとえもしわたしの回答が的を射てても、それがよくない面で本質的なものなら、不愉快で悪い印象をもたれることは、人間の感情の機微として、当然ありますから。

 一般的に申しますが、わたしの考え方、また生徒に接するときに、「勉強に気分を持ち込むな! 科目に対する好き嫌いを、個人的に持ち込むな!」というものがあります。これはまあ、ひとつの躾けみたいなものですが、実際に直接教える際の、有無を言わさない「気迫」で伝えるわけです。

 数学がキライ、英語がキライ、社会がイヤ、理科が好きになれない、そんな生徒の思いや感情には、一顧だにしません。それが学習する態度や顔に滲み出る生徒がたまにいますが、そんなときは間髪いれず、アスファルトを敷くあの重いローラーの如く、ぺちゃんこになるよう轢き潰します。

 まあ、なんて横柄で、配慮に欠けた教え方なんでしょう、と思われる方もいるかもしれません。しかし、そのような本人の甘えを助長してきたのは誰か? それを観ても咎めることなく、または観てもみぬ振りして、あるいは気付くことなく教えてきてどうしようもないほど傷口を広げたのは、いったい誰か?!

 一を聞いて十を知る生徒なんて、身の回りにはまずいません。公立トップ校に進む生徒でも中3の段階として、十を教えていいところ、八ぐらい消化吸収できて御の字です。その割合が3%とするなら、殆どの生徒の状況は推して量るべきしでしょう。つまり、教えるに際して、上策は決して取れない。上の指導は下策ではありません、もどかしい中策です。

 目の前にある5教科を勉強しなければならないとすると、その出来不出来はあるだろうが、気持ちをまっすぐに持って、すべての科目にぶつかっていくしかないのである。また中学段階の5教科は、努力すればすべて、なんとか克服できる内容とレベルであるし、必死に努力と時間を費やしても、それに見合う結果を容易に与えてくれないのが、高校段階の各科目であるのは、皆様経験上よくご存知かと思うのですが。

 耐えて耐えて正攻法でぶつかって行けば、いつかはその結果が出る。生徒個々によってそのいい結果が出るまでには、当然時間が違う。3ヶ月で現れる生徒もいれば、半年かかる生徒もいる。ひどければ1年もかかり、こちらもくたびれ果てた頃に、そのいい結果が出ることさえある。いい結果がでて初めて、「おっ、我ながらやるじゃないっ」と気分よく、そしてうっすら自信も芽生え
るのであろう。そこには、好きになったとは想像しえないまでも、キライという感情はもはや無い。

 こうして言葉で書くと、最初と結論だけが浮き上がって見えますが、実際にはその間に降り注ぐ無数の言葉と「気迫」の維持(?)があるわけで、そして生徒の立場でいえば、多少大袈裟ですが臥薪嘗胆に近いものが要るのです。

 ゆえに、○○の科目がキライ、その日の気分で勉強にムラがある、やる気が起きない、そういった勉強をする以前の情念に関わる問題は、容易く言葉で助言できる性質のものではないし、また直接に本人の耳に届けることができたとしても、こうした負の問題の場合は特に、その効果を期待できるものでは断じてないのである。ほんとこの種の話題、悩みは多いのですが。

 問題はあくまで本人自身のなかに在り、その解決を他者に求めても、つまりこの場合、塾から家庭教師に指導を任せても、生徒の意識は同じ流れの上に乗ったままなので、それに対処し、かつ断ち切れる者はおそらく10人中1人もいないのが現実であろう。

「われわれは弁解の余地のない間違いによってしか学ばない」
 という、アランの言葉の言葉があります。
 わたしもこれまでつくづく多くの間違いをしてきたわけですが、そのうち、ほんとうに間違いから学んだことは、学んでつもりでも実は深く学んでいなかったことを除外したのなら、情けないことに、もう数えるくらいしか残っていないかな、とも思っております。そして、弁解の余地のない間違いやその思いだけが、意志の強さと自制心を支えてくれる。

 それゆえ、上のケースの場合、本人が勉強のしかたの間違いに、「時期」が来て気づかない限り、親や他人がどれほど言葉を費やして語ってもわからない。そのわからないことが、わかる。しかし、わからせる方法は、完全ではないものの、中策として既に書いております。どこまで参考になるかは判りませんが。

 こういうことに目を配り、対応してくださる塾の指導者や家庭教師の方も、割合としては少ないのも現実でしょうが、確かにいらっしゃいます。まずは生徒自身の、自分を治めることに努力するのが、なににもまして大切なことなのですが、次善の策として、そういう方を根気よく捜されるのもひとつの手ではありましょう。