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  高校入試でターイセツなこと、って何だ?!
§21 国語について思うこと VOL.2
<嗚呼、国語の力・・・(続)>

 前回VOL.1で、国語の<空間>形成は自己作業であり、誰一人手伝ってくれるものではない。また、見える道もありません。即ち、「読解力」、「表現力」が足りないからそれを養うために他人に期待しても、それは根本的に無理な相談でしょう、と書きました。

 これにはさまざまな異論があるでしょう。確かに優れた国語の指導者はいるでしょうし、国語への興味と理解を引き出す術をもって熱心に教えてる先生や、作文などの添削指導、読解についてもその要領やコツを丁寧に教え、手伝ってくれる人もいると思います。しかし、それらの人々はあまりにも少ないような気がしてなりません。

 わたしが取り上げて問題にしているのは、猛勉強をしてまたそれ相応の能力もあって、私立の有名中学に進学している生徒のことではなく、普通の公立中学に通ってる生徒です。その90%以上の生徒の、あまりにも貧困な国語の力を問題にしているのです。

「だからどうすればいいのか?」と、問う前に、「何故そうなったのか?」と、問いたい。何故かくも読解力が低下したのか、表現力が拙いのか、文章に書いてあることが読み取れないのか――
 一度考えてみる必要があるのではないでしょうか。その原因は外部の、学校、先生の質、教材の内容、ゆとり教育の実施(わけがわかりませんね、この愚挙)、テレビ、漫画、雑誌、ファミコン、携帯電話などの取り巻く環境、に求められるでしょうし、また一方、内部の、家庭、父母の教育、生徒自身の行い、などにも大いに関係があるでしょう。

 まあ恐らくそれらの複合した結果なのでしょうが、しかしここではこれ以上言及するつもりはありません。議論が広がり過ぎますし、それ以上に、卓上の虚言に堕する惧れがありますから。

 話を戻して、国語の<面>と<空間>ですが、あまたの例があり、どれを述べようかと迷うほどです。思いつくままほんの二例、書きます。

 中3の生徒に、公立高入試の国語の過去問をやらせました。ということは、年度が変わって2、3月のことで最終段階です。(わたしの担当は数学、英語、そして社会なのですが、たまたまその時は臨時で国語をしました)
 設問一の現代文の問題を、生徒に順番に読ませます。あまり長い文とはいえませんが、三人ぐらいに当てて内容を読んでいきます。

 その生徒は女子でした。二、三行読んで、違和感を感じました。聞いてるわたしの肩に、余計な力が入るんですね。直ぐに気がつきました。文章の「音読」の基本がなっていない!ということに。もう少し続けさせて読ませましたが、限界です。

「おーい、待て」と、中断させて、「あのなあ、句読点というものがあるだろう? それを無視して勝手に読むな。何気なく作者は読点を書いているんじゃない。意味があるんだ。文章のリズムってえか、流れがあるんだよ、流れが。句点の前、一呼吸置いて読め。そして、もう少し自分で内容がわかりながら読むんだあ! 」と、わたしは言いました。

 教えているときは、それもあほな間違いの連続のときは、それをいちいち訂正し、直接答えを言わずに出来るだけ生徒の頭で考えさせ、答えるが出るようにさせるのですが、へたをすると更に間違いがひどくなり、答えに導くのに5分、10分とかかる場合が往々にしてあります。へとへとに神経は磨り減ります。

 状況で言いますと、社会を90分教え、まだ覚えていない、これくらいのことがという心境で、回復、切り替えが上手くいかないまま、次の国語に向かった。よって、理性は70%に減り、論理はガタツイテいます。残るは気迫だけです。

 その女子生徒の読んでる文章の意味がこちらの耳と頭に入ってこない。ということは、読んでる本人自身が文の内容がわかっていない、ことになります。他人に読んで聞かせるばかりに神経がいって、自分自身が自分の発してる声を聞いていず、文章の中身がさっぱりわからない状態に陥っているので、それゆえ更に、人に説得力のない、わからない読み方になっているわけです。
 今までに音読の訓練と、句読点の意味とか読み方を指導されて来ていないのですね。これは<面>の基本でしょう。しかも小6とか中1ではなく、中3生でもう直ぐ高校生になるんですよ。ちょっと注意すれば直るものを、小学校で、さらに中学校で、今までに何を国語の時間に教えられてきたのだろうか、また、先生は何を教えているのだろうか、と強い不信感を抱きたくなります。<空間>で考えるならば、読書量の明らかな絶対的な不足が原因です。

 次に、塾での三者懇談の場です。お母さんと生徒と交えて、学力テスト、学校の成績表を見ながら話し合います。これは数々の例があるので、その中の一つを挙げて考えて見ましょう。
 中2のA君(クラスの平均よりやや上)としましょうか。 
 一学期が終わり、夏休みの面談。

         数  英 国 理 社  合計(500点満点)
 中間テスト  81  82  56 72 73   363
 期末テスト  77  85  49 68 72   344
 成績表    B   B  D  C  C
 学力テスト  54  56  42 - -      51
(塾・偏差値)

 学力テストは中3では5教科ですが、中1,2は3教科(数・英・国)で平常してますので、上には載せていません。よくあるケースを書きました。さあ、どうでしょうか?

 一目瞭然ですね。生徒もお母さんも、そしてこれを見ている読者の方も。目は国語に向いているかと思います。しかし、問題は大きく言って三つあるのです。まず数・英の力。今一歩です。それなりに頑張っているのですが、果たして中3になり、実力はどうかといえば、更に入試への対応力がどうかといえば、塾でかなり厳しい勉強をしてる割にはもう一つ頼りない結果です。

 次に、国語。うー・・・ 声にもなりません。あとで述べます。三つ目は、理・社です。普通の成績ですね。しかし社会のページで書きましたように、はっきり言って実力はありません。これが本人もお母さんにもあまりわかっていない、と思いますが。

 さて、ここでは国語に絞って述べてますので、二番目の問題点についてのみ触れます。

「先生、国語について何とかなりませんか?」と、お母さん。
「何ともなりません」と、わたしの冷たい返答。
 大きな質問に対して大きな答えしかできない。お母さんの息子を思う気持ちは、重々わかりますよ。でも、この背後にある問題が今までに述べてきたように如何に困難か、簡単にアドバイスをするだけで力がつくような生易しいことではない、ということが、まるで深淵を覗いて目が眩むようにわかるだけに、安易には言えません。

「前も言いましたが、最近、本を読んでいますか?」
「いいえ、ちっとも。学校の勉強と塾、それにクラブ活動で忙しいから、テレビとファミコン、あとは漫画ぐらいですか」
「じゃあ、ここ一学期にどんな本を読んだ?」生徒に聞く。
「・・・・・」
「どんな本でもいい。自分にとって興味のある本でいい。週に一冊くらいの割合で読んでいかなあ、あかんのと違うか。ほんとは小説とか中2に見合った内容のがいいんだけど、かまわん。とにかく身体に活字を流すこと! 新聞もある一定のとことか、自分で読めそうな箇所を捜し、毎日読んでいけばいい。直ぐに効果が出るものでもない。ある日、忘れたころにぽつぽつ読解力の芽が出てくる」

 これに近い内容のことを10数年、言い続けている。しかし、この目に見えない努力(?)を聞き入れて実行される方は、一割にも満たないんじゃないかな。たいていの生徒、父兄は、目に見えることしか追わない。「国語」で目に見える部分は、漢字とか語彙とか文法とか、全体の多くて30%ぐらいではないだろうか。残りの70%以上は読解力、表現力の、目に見えない部分で、こ
れをどうかしてくれ、といわれてもどうにもしようがないわけで、またそんな薬は世の中どこを捜してもないわけで、気付いたら直ぐに、目に見えない勉強をしていくことを、強くお勧めします。

 どうか、国語に於いては、その本質を理解し、<面>から<空間>へと自分で形成していくよう、考え、実行に移してください。