E-juku1st.Comの中学数・英問題集 中学生の学習のしかた  
        中学生の学習のしかた E-juku1st.Comの中学数・英問題集

中学オリジナル各問題集 ご利用者の声 問題集の価格 中学生の学習のしか お問い合わせ ご注文

 HOME 中1数学・再学習問題集 中1英語(通年用)問題集 中1英語REVIEW


  高校入試でターイセツなこと、って何だ?!
§88 新聞を読むことについて
<もっと雑学が欲しいね> 

 もうだいぶ前のことになるけど、新聞を読んでいて、「13億人、眠れぬ夜」という大きな見出しが目に飛び込んできた。2008年のオリンピック開催が中国の北京に決まったニュースだ。大阪は見事中国に五輪招致に負けたわけで、そんなことより、わたしにとってはこの見出しの上手さとインパクトの剄さに感心した。そして、職業病というか、次に浮かんだことは、中学生のどれだけの
割合が、この中国の人口が現在およそ13億人である、という基本的なことを知ってるか?ということだった。

 因みに次に多いのは、インドの約9億、アメリカ2.7億、ロシア1.6億、日本は1.3億(より正確には1億2700万)、ドイツ8200万、なぜかイギリス、フランス、イタリア、そしてタイが殆ど同じ約5800万(不思議だなあ)、オーストラリアは1700万。ここまで入試用の知識としては大切(特に私立高)なんだけど。ついでにインドネシアは2億強、パキスタン、バングラデシュも1億を超えてて、意外に人口が多いんだよなあ。

 新聞を読んで数学が出来るようになるとは思わないけど(えっ、誰も思わない、ですって?!)、国語はもちろん、社会、たまには理科も役立つことがありますよね。そういう私は、昔から新聞を読むことはいま一つ好きでなく、馴染めず、またそれゆえ軽んじてきたように思う。よって現在も、へたすると1週間も新聞を手にしないことがあり、そんなときはつくづく自分に呆れかえることがある。

 恐らく我が家では、大学1回生の息子と「新聞を読まない競争」の最下位を争ってるのではなかろうか。(おいっ、そんなところは、肖んでいいだろう!)その代わりといったらなんですが、スポーツ系の新聞はずーっと何十年も毎日読んできた。お蔭でいうか、それゆえというか、一般常識と世知に疎いこと。それも最近、だいぶ興味が失せてきたが。まあ、いまだ興味が失せていないのは読書ぐらいで、あらゆる分野の本を片っ端から読んできた活字中毒者の一人である。

 小学校の低学年でアンデルセンの童話(記憶にはあまり残っていないが、それ以前から絵本、「小学1年生」などの勉強雑誌などは、父から毎月与えれてとても愉しみにしてた・・・)やグリム童話、伝記本などは数多く読み、高学年になって横山道雄の『ビルマの竪琴』、坪井栄『二十四の瞳』を学校のクラスで読んでからは、すっかり小説の虜になってしまい、日本文学全集、世界文
学全集を母に買ってもらい、すべて読了する(?)と、今度は勝手に本屋に行き、好きな本、気に入った作家の小説を手当たり次第、気侭に買ってきては読み漁った日々を過ごす。

 確か中2の時だったと記憶するが、私が『ベンハー』を読み終え、ヘルマン・ヘッセの『青春彷徨』を読んでるときに、クラスのそんなに親しくはないと記憶しているがその同級生との会話の中で、今読んでるものは何という話になり、そいつは、
「うん、ショーロフの『静かなるドン』だよ」
 と、言って、うーん、・・・と、心の中で唸ったことを今でも鮮明に覚えている。上には上を行く奴がいる者だ、と。

 それからの私の読書遍歴を記すると長くなり、このテーマから大いに逸脱するのでやめるが、小説、詩、随筆、哲学、思想、と、あらゆるジャンルに及んだ。これがお決まりのコースかどうかは知らないが、司馬遼太郎の歴史小説に大いに魅了され、30歳代には150冊以上は読んだと思う。最近はまた歴史小説に戻り、宮城谷昌光氏の古代中国(春秋・戦国時代)を題材にした小説とその世界に嵌っていて、ひどく心酔している。(なんでまた個人的な話題に言及しなければならないのか、今回は脱線してるね。まあ、たまにはいいか、でお許しの程を)

 そんなわけで、あまり人に、生徒に、新聞を読めよ、とは声高にまた偉そうに言えないのだけど、昨今の生徒のあまりにも貧弱な語彙、一般常識問題に対する知識欠如、狭浅な雑学などを、教える際に嫌というほど目にし、耳にし、膚で感じるにつけ、「せめて新聞くらいは読んでいたら」と、ほんと頻繁に思ってしまうのです。

 別にそれは新聞でなくて、テレビのニュースからでもいいし、雑誌、漫画からでも、図鑑、本からでもいいし、あらゆる媒体、何でもいいですよね。「予め知ってる」ということが、それは知識の断片でしょうけど、とても大切なのですね。勉強する上に於いても、一つのきっかけになるわけでしょう。あっ、これ、ちょっと知ってる、と、全然知らない、とはその後の勉強の過程で随分違ってくる。特に国語や社会、そして理科については。

この差が実は、実力の根源にあるような気がします。この指摘なしで、表層的な部分でしかない勉強のしかた、仕組みを、盛んに喧伝する教育媒体にはうんざりさせられる。それに踊らされるのは、あまり賢明とはいえませんね。

 そもそも中学くらいの勉強なんて、教科書とか、学校、塾だけに依存した、人から教えられることだけが、知識ではない筈です。が、どうもね、ここ最近の生徒の勉強具合を観ていると、人から教えられたことと教科書の内容からはみ出ることが殆どないんですね。その学習の姿は、勉強のための勉強に終わっている。教科書の内にとどまっているのです。ですから、知識の内容に厚みがないというか余裕がまったく感じられない。一つにその厚み、余裕こそ、実力のもとだと思うんですけどね。