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  高校入試でターイセツなこと、って何だ?!
§74 中高6年間について VOL.1
<吸収のスピードが遅いよ> 

 中学3年間、高校3年間、計6年間。そして大学受験。もし大学に進むとして、一体どれだけ勉強すればいいんだろうか? どれくらいのことを吸収すれば、超難関国立大学(東大・京大・阪大・・・)、また早慶の私学に進学できるのだろうか。

 この問いが、浮薄で浅慮なことは重々承知の上で、また大学がゴールでは決してないことも、そして人生の中の単なる一通過点に過ぎないこともわかった上で、とはいっても、ながくて苦しい(?)学習生活の中の一応の頂きと考えて、その一局面の学習量の面に光をあて、以下少し俯瞰的に考察してみたい。

 上で私は、「吸収する」と書きましたが、この4月、愚息の大学入学式にのこのこ行って参りましたが、その折、学長の訓示の言葉の中に、次のような内容のご発言がありました。
「諸君は、かなりの努力して受験生活を送ってきた。しかしそれは、与えられたものを吸収してきたわけで、まあその内容は咀嚼された、柔らかい栄養物を飲み込んできたようなものです。これからは自分の歯で、固いものを噛み砕かなければならない。そして自分でその対象を見つけてゆかねばなりません。わが大学からは、○○を受賞した教授も多数輩出し・・・ また、学問をしていくということは、・・・」

 まあ、発言の内容は、そのままでありませんが、柔らかくされた咀嚼物を食ってきたに過ぎない、与えられた内容を吸収してきただけ、という学長の言葉に、まったく同感の思い、ふむふむと頷いていました。実は普段わたしも、生徒に似たことを言ってきたからです。大事なことは、吸収したことを土台にしてまたさらに研鑚して、今度は自分で創造していく道を歩んでゆかなければなりません。

 とはいえ、その吸収する力は、確かに並大抵ではなく、相当の勉強と努力を伴うことはいうまでもありませんが、私なんかも職業柄、常日頃中学生に教えていて、このもっと単純で、そして基礎的な学習段階で、咀嚼された内容物を生徒に与え過ぎているなあ、という感慨を、しばしば溜息を持って抱くことがあります。

 まるで口をパクパク開けてえさを求めている雛鳥に、獲ってきた餌をそのままでは飲み込めないから、十分に咀嚼してから与えているって、感じ。おいおい、俺は親鳥かよ・・・。そんなのは、幼稚園の先生に任せておきたいねえ。言っておくけどなあ、自分らはもう雛鳥ではないんだよ。いつまで柔らかいものしか食えないんだ?!・・・。いい加減硬いものでも、時には自分で食べてみたら? もう中学生だろうが、勉強し始めて一体何年になる?と思っている
のだろうか?! 

 ほんのちょっと考えなければならない問題になると、すぐにわからなくなる。自分で考えようとする姿勢、心気がある生徒は、10人中1人いるかどうか。大抵の生徒は、そのわからないところをすぐに諦めるか、再三再四教えてもらおうとする。まるで傍観者みたいに、自分で動かず、ただじっと自分の頭に自然に(?)に入ってくるまで待っている姿勢には、時として疲れる。

 いつもいつも要点やポイントや解法の急所はここだと、解きほぐさなければならないのものだろうか? 大切な文法はここだ、熟語はこれだ、注意するところは何十回も言ってるようにここでしょう、だから線を引いて確認して、そして覚えてと、どれほど口を酸っぱく言えば、自分の手で出来るようになるのだろうか? 勉強していく上で、どうも根本的な要素が一つ足りない生徒が、数多くいるという現実。

 少々硬ければ、自分の歯で噛み砕けばいいだけじゃないか。その噛み砕き方はしつこいほど繰り返し教えているのだ。実はほんとうの硬さに出くわすのは、高校の勉強になってからだと思うのだが、実情はそうでもない。中学の学習段階で、既に十分硬いと感じる生徒があまりに多いのには、悩まされる。
 
 勉強のしかたと注意点、そして復習のしかたと行なうタイミング、わからない箇所の調べ方、ミスした時の対処のしかた、またどれだけ演習しなければほんとうに身に付かないかなど、それはそれは繰り返し繰り返し、教える。一度や二度の言葉の説明ではわかるものではなく、またわかっても実行する生徒は少なく、実行しても継続して、その中で必然的に体得する生徒はさらに少なく、やはり目の届く範囲の中で、厭くことなく(ただ3年生にもなり、2年以上教えてもそれが身に付かない、勉強を教えてもらうだけの受動的な生徒には、正直つくづく根負けするというか、厭きますが)何十回も指導しなければならない。

 指導でこれですから、実際の細々したミスを訂正し、そのミスの原因をわからせ、正し解答へ導く作業は数知れない。マイナスをプラスに持っていく過程で、下手すればさらに深くマイナスになることもしばしばで、すったもんだの上やっと泥沼から這い上がったときには、即ちプラスの世界に辿り着いた時には、もうへとへと、こちらのパワーも気力もすっかり萎んでいることだって結構あるわけですね。

 これが教えるということか、と深い疑念に捉われます。いいえそれは、教え込んでいるに過ぎないですね。吸収しないから、無理やり吸収させている。そんな感慨に落ち込むこともあります。特に中3の後半、受験勉強になると。全学力が露呈されているわけですから。
 
 もういい加減、シフトアップさせてくれ。いつまでローやセコンドで走らなければならないんだ? 教科書の基礎レベルの問題は、十分にローのスピードでやって来た。サードに入れると途端について来れなくなる生徒がいるので、セコンドに落とし、またローにして説明、演習してきた、2年8ヶ月。でもなあ、受験の応用は、最低でもサードにしなければ到達できないんだよ。間に合わないんだな、入試のゴール、頂には。

 わたしはこれまで20数年、トップギアで生徒を教えた経験がない。教える対象が公立中学生、高校受験が専門ということもあり、さらに公立高校を第一志望にする生徒が殆どで、下は偏差値40そここそから上は68ぐらいまで、クラス別けするなんて余裕も人数もないものだから、悪戦苦闘しつつも器用に(?)に教えている状態(これはかなりのテクニックが要りますが)。

 たまにはトップスピードで教えてみたいなと思うわけですが、そんなことしたら偏差値68ぐらいの生徒でもついては来れない。理解はするでしょうが、ほんとうには吸収できないでしょう。言い方を換えれば、打てば響く生徒ですね、一を聞いて十を知る、ではなく、二を知る生徒。十を教えて一を知る生徒はい
くらでも体験しましたが、大半は三か四、よくて七ぐらいでしょうか。これは実力を指していってるわけですから誤解のないように。ですから、最後の最後にサードにシフトしますが、これが精一杯てな感じでしょうか。

 公立中学生の97%の生徒の現実を見つめていると、今回の本旨であるところの大学入試へは、なかなか辿り着けないですね。ここからは距離をおいて観るというか、現状の環境認識に甘い、また自己の学力の把握に誤差が生じている一部の優秀な生徒を対象に、辛口の見解を展開してみることにします。それが今後の勉強の中で活かされれば、と思うからです。

 そんなことはとっくにわかっていらっしゃるご父兄の方もおられますし、また意外と知らないで過ごされている方も結構います。そのような生徒とお母様のために、次回、続きを書いてみます。