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  高校入試でターイセツなこと、って何だ?!
§75 中高6年間について VOL.2
<吸収のスピードが遅いよ>

 大学入試までの道程――― その学習量をみつめて中高6年間を量るのなら、あくまでイメージだけど、全体を100とするなら、中学は30、高校は70ぐらいの比重ではないだろうか。これはその学習する量だけではなく、問題の質、レベル、理解する為の勉強時間など、総合的に観た感じです。

 例えば英語など、ほかの科目に較べてかなりの時間数を費やさなければ、ものにならない教科ですね。単語一つ取りあげても、中学ではまあ1000個、高校では5000個覚えなければ話にならないわけで、ざっと5倍、でもその数の比較以上にスペルのややこしさ、訳の多さ、似た単語、語法の制限、同じ単語の品詞の多様性、副詞の拡がりなど、相当ややこしくなるわけで、文法はいうに及ばず、構文暗記、熟語、長文解釈、英作など、数多く学び習得しなければならない事柄は、中学の3年間の比ではない。桁違いの多さであろう。個別的に英語の科目だけをみるならば、中学2に対し、高校では8習得、吸収しなければならない感じだろうか。

 数学は英語ほどの量は必要ないが、尺度が違うというか、まったく違った能力が相当要求されるわけで、単純に比較出来るものではありませんね。「見える」能力と「見えない」能力といいますか、言葉を換えれば「努力して吸収できる」能力と「努力しても吸収できない」能力といいますか、経験された方が多いでしょうが、そんなものが高校学習を進むにつれ厳然とありますね。その壁に、私なんかは峻拒されたものです。

 個人的に言いまして、中学時は数学の評価は2つ(総合と幾何かな)あったのですが、どちらも10をもらっていました。でも、高等数学をすると、それが一体何?って感じでしたね。不得手ではありませんでしたが、能力の限界を痛感したことは事実です。はっきり言って中学の数学は、それがどんなに応用問題であろうと、難解なレベルであろうと、思考する訓練とパターン化する知恵、解法のテクニックを十二分に吸収しさえすれば、換言すれば「努力して吸収できる」能力を磨けば、なんとか解けるものです。

 しかし、なかなか生徒にはこれが通じないといいいますか、この中学数学の時点で、既に大きな壁がありますね。これまで教えて数百人、この壁が見えない、数学能力の奥がありそうな生徒は、残念ながらほんの2,3名しか記憶にありません。それは定期テストで95点とか、学力テストの偏差値が70とかで図っているのではなく(そのような生徒ならもっと多数いるわけで)、もっと直截的な、膚で感じるものといいますか、問題を解くスピード(速ければいいというものではありません)や姿勢、思考するしぐさと空気などから、わかるものです。

 その視る目は、長年の修練の中で身についてきたもので、何もたいした代物ではなく、どの職業についてもいえることでしょう。生徒によっては少々出来るからといって慢心、油断している者もいるわけで、そんな折は、いまの君の力は狭い範囲でしか通じないものであるよ、とちょっとお説教はしますが。もっと高く登ってもらう脚力をつけるもらうために。

 だって富士山に登ってるのではないでしょう。中3ぐらいでは、たかだかそこら辺の名もない700メートルぐらいの山に登ってるに過ぎないでしょう。その力で1800メートルの山に徒歩で登れるかといえば、まったくわからない。ましてや塾なんかで、上りかたはこの道を通ればいいと教えてもらってる状況で。ほんとの力とは、自分でその道を見つける者、また見つけようと真剣に努力する生徒を指して言うのではないですか。これは教えつつある面、自己撞着する言葉ですが。

 ところで論点をもう少し上から見ますが、2002年からの新指導要領で、中・高の3:7の差・比重は更に拡大したわけで、考えるだに恐ろしく、わたしは公立中学・高校擁護派なんだけど、まともに公立中学では学力形成は図れない、これでは私立との勝負ありの感を、抗いつつもますます強く抱かざるを得ないのが、正直な見解です(これは状況認識としては遅いくらいですが)。

 中高同じ3年間という時間で、その学習量が2倍以上なるものを、果たして吸収できると思われるでしょうか? 既述しましたように、とりわけ英語、数学なるか科目は、4倍以上または格段の質の違いがあるわけで、実質はもっと差が大きいのです。
 
 中学3年間、高校3年間、計6年間。そして大学受験。もし大学に進むとして、一体どれだけ勉強すればいいんだろうか? どれくらいのことを吸収すれば、難関国立大学(東大・京大・阪大・・・)、また早慶の私学に進学できるのだろうか。これが前回冒頭で書いた文面です。この、かなり無理した趣旨に合わせるべく、以下現実の生徒を置き去りにして(そうしないと、とても結論に辿り着けそうもないので)、トップのトップを観てみることにします(たまにはいいでしょう)。

 私の住んでる県は大阪府で、大都市周辺にしてはかなりまだ公立高校が幅を利かせているというか、根強い人気があるのですが、府下188校(?)の公立高校がある中、第2学区のI 高は地区トップ高で、その大学進学実績は、府全体の中で2(or3)番です。生徒数360名中(現在320名)、国公立に進む生徒は約260名(現役率about50%)。かなり優秀ですね。

 でも目を更に厳しく観るならば、京大37名(現役16名)、阪大47名(現役27名)で、それに東北大,九州大を加えても100名ばかしが、浪人覚悟で難関国立大へ進んでる状況でしょうか、トップの中の30%が。一方目を下に転じると、関西でいうところの関関同立の私立大に入れない生徒も10%強はいるわけで、それなりに厳しい現実もあります。

 なぜこのような数字を書いたかといえば、公立中学のトップ生、それはわずか3%ぐらいですがそのような生徒がI 高に進学するとして、そのなかでも更に高校で力を伸ばした10人中1人が、京大に入れるという状況を見ておきたかったからです。更には3年間の学習の中で、現役で入れる生徒はその半数以下という事実です。

 うーん、こうなると、1800メートルの山でもしんどいのに、3000メートルを超す山に到達できるのは、ほんとにごくごくわずかですね。でも案外といいますか、この事実をご存じないご父兄の方も結構います。生徒に措いては尚更です。900メートルの山に登り着いたからといって(それは現実、生徒の目線にあわすと大変なことなのですが)、有頂天になリ過ぎたままその後過ごしたり、慢心して油断している場合ではとてもないのです。高校に入った時点で、進学校の私立中高一貫校などの生徒は、もう既に1500メートルの山に挑んでるではありませんか。

 この差は実に大きいですね。単純にいって勉強面の進度では最低1年は遅れをとっていますね。なぜなら公立中学の内容は現在、私らが習ったころより既にだいぶ減ってるのであり(多く見ても8割)、それが更に3割削減されたのがこれからの学習内容です。そのように薄められた勉強の中身なんか、サードのスピードでもしこなせば2年も要らず、1年と2学期あれば十分に完了しますね。

 質も量も最低2倍〜4倍ある高校の学習を吸収するには、それだけ時間を要するわけで、頭は高校になれば急によくなるわけでは決してないのであり(しかし、錯覚している生徒が非常に多いのも困ったものですが)、その時間をどこから工面すればいいかというと、のんびりした内容とレベルの中学からとればいいのであり、内容の密度に合わせたむしろ自然な学習スケジュールが、私立中高一貫校の姿といえますね。

 最初に中高の学習量を、イメージ的に全体を100とするなら、中学は30、高校は70ぐらいの比重、と書きました。あくまで机上の計算ですが、100を6で割ると17に少し足りず。30を17で割ると、1.8強。70を17で割ると、4.1強。つまり、およそ2年と4年のバランスになります。まあこれは、感覚的なものさしと机上の計算がたまたま符合しただけですが。でも、こんなものでしょう。

 公立の高校からすんなり大学に入れないという一般のよく聞かれる意見は、理の当然でしょう。だって2年で済むことを3年かけ、4年かかることを3年しかないのですから。1浪の末、なんとかそこそこの大学に入れたら、それは御の字ですね。とてもとても頑張ったと思います。それが超難関大学になればなるほど、その道は険しく高くなるのは当たり前で、前述したI 高の生徒の中、10人に1人(1浪も含め)が京大に入るという事実は、その逆境の中、ある意味、私立出身生以上の相当な能力があったといいますか、また要るのかも知れませんね。

 今回は、ピラミッドの頂点に近いところを少し分析してみたというか、垣間見たのですが、どうだったでしょうか? 今の自分の位置を確認しておくのも、ときにいいのではないでしょうか。成績がいいのなら、その力が果たして自分で獲得したものなのか、人の助けを得て成り立ったものなのか、現状同じでも高校になればはっきり出てくるし、また差も歴然と生じます。活用するならともかく、下駄を履かされた力はあまり長くは続かない。

 急いで高い山に登る必要はありませんが、その代わり、いつでも急に険しい山でも自分の力で登れるよう、また突然変わったスピードにも随いていくことができる確かな脚力を、中学時にできるだけ磨くようにしておきたいものですね。