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  高校入試でターイセツなこと、って何だ?!
§66 父、叱る!・・・ 
<京大合格?への道>

 どうもね、要領が悪いというか、自我が強いというか、自己抑制があまり上手くないというか、生き方が下手というか、そーんな一父親像として、一つ今回は、教育(この言葉からして嫌いだな)がらみの個人的な話題を述べてみたいと意います。いつもの格調高い文体、丁寧な言葉づかい(あははは、そんなあほな、ないない)は止しまして、少々べらんめー口調も入るかもしれませんが、まあ、春ですから他人のことは気にせず(はやくも論理に合わない)、エッセイ風に、徒然に。

「受験は最終の目的ではない」という題名で、今年の2月某日に、読売新聞の「こころ 教育を考える」の欄に載っていた記事。それは、ある中年の投稿者の文面だったのですが、たまたま目にしました。こんな欄は、普段の私なら敬遠して殆ど読まないところなのだけど、というか、専らスポーツ新聞を専門にしていて、家の中では一番新聞嫌いなわけですが、というか、そもそも新聞を読む理由が、この歳になってももう一つわかっていない人間なのですが、それはともかく、大体次のような要旨でした。

 受験は、一定の期間でどれだけ学びを得ているかが問われる大きな試練。ただ、受験を最終目的にしてはいけない。受験は夢をかなえる為の方法であり、けっして目的ではない。自分の夢を大切にして、忘れることなく、夢に向かう方法の一つとして、受験生活を送って欲しい。試験の結果より、どこまで努力したかが大切であり、人生の大切な財産になるだろう、と。

 論理明快。きれいなまとめの文章だった。でもね、今ひとつぴんと来ないんだな。感動しない。腑に落ちない。なぜだろう? わたしの心がひん曲がっているせいだろうか。それもちょっとあるだろうけど、この方は受験するものは皆、前もって夢があると思っているんだな。確かにいろいろな想いはあるだろうけど、それが即、夢に繋がるとは限らないけどね。

 受験に合格してから夢を抱いた者もいるだろうし、失敗して遥かあと、あっ、あれが夢だったんだ、とあとから気付いた者もいるだろう。そんな暢気で鈍感な部類に入る私としても、「どこまで努力したかが大切であり、・・・」という陳腐な科白は、とても白々しく、この種の意見は信に置けねえや、と思っちゃう。でも、わりかし世の中、特に教育関係はこの論調、多いね。

 だいぶ前のことだけど、YHAOO!掲示板の学習指導なんか覗いちゃったりして、ある父親の考えを読んだんだけど、確か娘さんに対しての学習方針でその父曰く、小学4年くらいで小学校の学習は終えて、それから中学の勉強を始め、中1くらいで中学課程の基本的な学習は済ませるつもりである。そして超有名な女子高の推薦に備え、その勉強を始めるつもりである、とかなんとか。わたしはこれを読んで、口をぽっかり開けて、すごすご退散しました。論評は避ける、莫迦莫迦しい。

 さて、私事ですが、息子がこの春、無事大学入試に合格しました。京都大学の工学部に入ったわけですが、こうして書くと、すんなり行ったようにみえますが、それが、それが、紆余曲折があって、話せば長くなるので、端折りながら、皆様の何かの足しになることもあるかと思って(ないない、束の間の、単なる親ばか)、以下書いてみます。

 小さい頃はいいですね。姉と弟。小学6年までは一緒に風呂に入り、息子なんかは小さき風呂桶をプールとばかり、はしゃぎまくり、潜っては真っ赤な頬をして、父を見る。わたしは英才教育(かなり遅いね)をほどこした。世界の国をいい、その首都を答えさせる。最初は10個ほど、覚えさせる。「マレーシア」と、私。「クアラルンプール」と、息子。「イタリア」「ローマ」。「カナダ」「オタワ」。「モンゴル」「・・・?」。私は浴槽のお湯を、思いきり息子の顔にかける。「ぷっ、ふわー」と、目を瞬いて、息子は両手で顔を擦る。

 その唯一の、英才(?)特訓はいつまで続いただろうか。3,4ヵ月後には4,50個の国の首都を覚えたのだろうか。その間、何度、息子の顔にお湯をぶちまけたかは数知れない。中学は私が塾をやってるものだから、少し家から遠いけど、なにしろ月謝が要らないものだから、他の生徒に混じって3年間、学習の面倒をみた。ただし、家ではみない。そんなの、自分でしろ。甘ったれるんじゃねえ。

 さて高校入試。姉はまあ何とか受かったんだけど、地区の公立トップ高であるI 高に見事に失敗、こける。ああ、そのときの心境は、
「東海の 小島の磯の 白砂に 我泣きぬれて 蟹とたわむる」by 石川啄木
 、てな感じか。(えーっ、ちょっと、ニュアンスが違うんじゃない?―はい、私もそう思います。しかし、憶えてるものの中では、これが一番近くて・・)

 おかげで自宅から1時間半かけて、私立高に行く破目になる。ああ、そんなの、まったく予定していないよ。うちは私立のタイプではないんだよ。でも、なんとか理数科の中でも、一番いいクラスなんぞに入って、3年間通い続けた。けれども現役合格は、見事にまたこけちゃった。友達グループ7人いて、5人は大阪大学に進む。よくやったね、でも、うちの愚息は?・・・。 

 落っこちたもう1人は、父親の反対で止められたんだけど、我が愚息は合格した5人と仲良くスキー旅行に行きました。気がいいのか、1本足りないのか、わかんないけれど、まあそれから1年、浪人暮らしが始まりました。予備校では阪大クラスに入り、しかしなぜか成績がいいものだから上の京大クラスに引き上げられ、そこでも上位の成績を取るようになりました。

 でもね、だから何だっていうの。ここまでなら、中学でもあったし、高校でもあった。何の保証もないよ。ところで、ほんと、本人はとてもよく寝ます。12時には寝ております。えっ? それでいいのか? ご多分にもれず、ファミコンは大好きだし、パソコンも何をやってるかは知らないが、ほんと好きだよね。

 そんな11月のある日、私は心の中の苛立ちを押さえ、優しく説諭した。
「ぼちぼち、センターだろ、理数ばかりやらんと、国語と社会もやらんか。英語もどうなっている?」
 実は現役の時は、国語で見事失敗しているのだ。まあ、あれだけ、本を読んでなきゃあ、力も付かんよ。でも、何の勉強をしてるかは知らないが、また予備校にはちゃんと行ってるみたいだけど、家にいるときの姿は、いつもパソコンに向かって、その背中からは、一向に勉強に集中してるようには観えない。

 そして数週間が経ち、一向に真剣な態度がみえない(と親には映る)。一言いうのを何度も飲み込んだせいか、私の肚の中は心配と恚りで一杯になっていた。父は黙って我慢して視ていだけ、という信条の限度を超えた、12月のある日、とうとう爆発した。真剣に、猛烈に叱った。一度は高校の時、これが二度目か。こんなとき、論理はない。配慮もない。言ってはならぬ言葉も吐いた。親としては、とても未熟を感じる。仕事上受験の場面には慣れてるとはいえ、やはり我が子には別の感情が働くようだ。

 教育的配慮? そんな言葉は空々しい。あるのは、生の感情だけ。それも、非論理的な。当然、ふたりは冷たい断絶状態に。あと1ヶ月強、2次対策は中断して、センター試験に全力で向かわなければ、その先はないじゃないの。くそったれが、勝手にしろ、と思いつつも、毎日心配はするものですね。その甲斐あって(?)、その後の奴の背中に、漸く気迫が出てきた。

 結果、なんとか目標点をクリアーし、A 評価をもらう。そして、本番の試験。吁嗟、何たること! 失敗したとな?! 得意な物理で思うように点を稼げず、また数学では、予定通りの問題数を解けなかった、と? 自己採点ではほぼ絶望。奴の顔は限りなく昏い。そして、私も。うーっ、言葉にならない!!

 それからの毎日、針の筵に座り、ここまで、父親が心配するものだとは、我ながら思ってもみなかった。母親はそれ以上の心配だろうけど、父親も結構心配するものなんですね。むっつリ黙って、家族には何も言わないけど、男親というものは、やや部外者の、損な役回り。後期試験のこと、それもダメだったときのこと、ほんと、いろいろ心に浮かびました。来る日も、来る日も。

 完全に希望を絶つということは、無理でした。99%無理だろうと推っても、やはり一縷の望みは断ち切ることは出来ない。そして、合格発表の日、私は家にいることが出来ず、塾で仕事をしていました。誰も見ていませんから、一人両手を拡げ、頭上高く揚げ、何度も、天に祈りました。

 昼1時過ぎ、電話がない。吁嗟、やはり、ダメだった!!のか・・・。4年前の悪夢が、ふと頭によぎりました。息子から塾に電話で、「お父さん、不合格だったよ」という、高校入試の時の状況が。何が一体、試験の結果より、どこまで努力したかが大切であり、人生の大切な財産になるだろう、だ! ふざけんじゃ、ねえ!! その客観的な、冷たい言い草には、反吐が出るぜ!

 私は脱兎の如く、塾から飛び出て、ラーメンを食いに街に出かけました。まったく見知らぬラーメン屋に入りたい。中華風のがいいなと、思考を食べ物のほうに無理やり廻し、しかし、そんなときに限って、見つかりません。うろうろ彷徨すること30分、一体何を自分でやっているのかもわからず、最初に見つけたしょぼそうな店構えのラーメン屋に、結局入ることになりました。何か歯車が狂ってるなと、思いつつ、これまたもやしが異常に一杯入った、しょぼいラーメンを食いました。それは昭和40年代を彷彿とするラーメンでしたが。

 時間は2時をかなりまわり、いつもと違う喫茶店に入り、スポーツ新聞に目を通すも、上の空、記事は頭に入らず、かばんの中から、再読になるのですが、読みかけの『夏姫春秋』を黙然と読んでいました。想念が中国春秋時代の、紀元前610年ごろの楚と陳と晋の情勢に嵌りかけたとき、携帯の電話が突然なりました。
「お父さん、合格したよ!!」
「・・・」