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  高校入試でターイセツなこと、って何だ?!
§64 知識のあつみについて  
<スイカと新聞の気象情報>

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「ひとつ教えてくれまいか。○○どのの前身を」
「知ってどうするのですか」 
・・・・・・・・・・<省略>・・・・・・・・・・・・・
「どうもしません。が、知りたいのです」
「知ったからといって何もしないのなら、知らなくてよい」
・・・・・・・・・・<省略>・・・・・・・・・・・・・
「○○どの、それはちがう」
「ちがいはせぬ」
「知りたいと思い、知ろうとして、知る。それは、立ちたいとおもい、立とう
として、立つこととおなじで、人は立ってどうするのかと考えながら立つわけ
ではない」
 知るということも行為のひとつで、さしあたり目的をもたぬ行為もある。が、
すわっていてはつぎにすすめぬように、知るということをふまえなければ、つ
ぎの思考も行動もない。 
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 これはわたしの崇拝する小説家の、『奇貨居くべし』の著作の中の、ある一節を勝手ながら抜粋したものである。平明な文章の中に、かなり意味深長なものが、そして根元的なものが、含まれています。これを教育という狭い場面に下ろして考えるのも幾分気が引けるところがありますが、曲解を懼れずに少し述べてみたい。

 わたしはスイカが好きなんだけど、家族の誰もそれを好まない。子供の遺伝子は嫁さんのそれに大きく影響されているのか、「夏はスイカを食べないと生きていけねえや」というわたしの遺伝子は伝わらず、その嗜好は完全に途絶している。よって、やむなくわたし一人だけがスイカを買ってきて食べるのであるが、夏の間はほぼ毎日ぱくついて、水分とナトリウム、カリウムを補給して体力の消耗を防いでいる。

 家の近くのスーパーで6分の1切れのスイカ、398円を買ってきて、それを半分に切り、残りはラップに包み翌日の翌日の分として冷蔵庫に仕舞う。12分の1になったスイカを更に三つに切り、ヘタのほうの一切れを包丁で実だけにする。これを皿に載せて完了、あとは喰うだけだ。

 2日に1回はスーパーに立ち寄ってる勘定だから、いまどこのスイカを喰ってるかはいやでもわかる。わたしの住んでるところは大阪なんだけど、スイカの産地は九州の熊本に始まり、鳥取、長野、山形になるのが例年のパターン。主にこのスーパーの流通経路はこの4県で決まり。水と土壌がいいのか、わたしには鳥取産のスイカが一番美味しく感じられる。

 次第に北上するのは単純でわかりやすい。毎日食べてるとスイカの形、色艶も自然に学習するのか、単にとっても赤くて甘そうだと思っていたのが、実はそんなに甘くはなく、見た目ややピンクがかったのが甘いとか、時に298円でこれは安いなと得したつもりで買ったのが、実は味のほうはいまいちだったとか、習慣を通して、目が自然に肥えてくる。

 たとえば新聞。一面の下に、天気予報の欄がありますね。これを毎日眺めていれば、どういうことになるのだろうか?
 天気図の記号には○(快晴)、○に縦線(晴れ)、◎(曇り)、●(雨)などなどながあるけど、そんなの自然に頭に残るよな(わたしは1回の学習で、<自然に>頭に入るなんてつゆも思わない)。風向きと風力を示す矢印があって、それが何を表すかは次第にわかるようになる筈だ。おおまかだけど冬には北西の季節風が吹き、夏には南東からの風が吹いてくるよね。

 等圧線が走っていて、寒冷前線、温暖前線の印(これが描けない生徒が多いこと)があって、閉塞前線がある。たまに停滞前線が載っている。それらが何を意味してるのか、低気圧、高気圧がどう動いてるのか、熱帯低気圧の台風はどう進路を取るのか、など、毎日の習慣の中で見えてくるのではないだろうか?! 

 まだまだあるのだけど、このへんにして、ところでその天気図には線が走ってるわけで、経線の「経」は「たていと」と読めるのは余談だけど、東京あたりに東経140度の経線が走り、秋田の辺に北緯40度の緯線が通っている、のが視界の中に映るだろうか?

「知るということも行為のひとつで、さしあたり目的をもたぬ行為もある」に、上記は当て嵌まるのではないか。それも特に「知りたい」という積極的な意志からではなく、日常の平凡な反復の習慣の中に、知るという行為が知らず知らずのうちに溜まっている。わたしのへぼな体験は差し置き、「さしあたり目的をもたぬ行為もある」に、この新聞を読むという行為は、中学生ならとても重要で役立つものが含まれてる、と思う。

 しかし、今の生徒の勉強を観ていると、その知識は教科書の中だけにとまっているような気がする。へたすりゃあ、その教科書も、満足に目を通していないんではなかろうか?・・ 学校では先生の作成したプリント(教科書を重視していない先生)中心の授業だったり、塾に行っていれば、その問題集中心だったりで。
 
 たまに生徒の教科書を見れば、それはものの見事にきれいで、線を引っ張ったり、何度も見たため手垢で汚れていたり、よく手元に措いて勉強してるなという印象を受けた試しがさっぱりない。わたしらの頃は、と、つい比較したくなるがそれはさておいて、多少勉強の内容、しかたが変わったからといって、基本は今も昔も同じですよ。まずは教科書とノート。そして知識を深める為、
或いはわからないことを調べる為、自分の気に入った参考書と問題集。それだけあれば、他に一体何がいるんですか?!

 ところが塾に行っておろうが行っていまいが、生徒の持てる力、知識の範囲は、教科書のレベルから逸脱するゆとり(?)がないというか、むしろそれを支える基盤が不足しているのを、教えていて絶えず痛切に感じてしまう。たとえば上で書いた理科の問題でも、中1で或いは中2で「天気・・」の単元で習うのだろうが、多くの生徒はまるでゼロから新しいことを学んでるかのような知
識と学習風景だ。

 これではたとえ定期テストでいい点が取れたとしても、かなり優秀な記憶力の持ち主でない限り、知識の深さがないので時間が経てば簡単に風化してしまう。そのような生徒をどれだけ見てきたことか。つまり、定期テストは出来ても実力のない生徒ですね。これは特に理科と社会に多いことで、まったく頭が痛いというか、悩まされる。このことは本人ばかりでなく、親御さんもあまり知らない、というか、まったく気付いていない。けれど悩まされるだけではすまない事で、もちろんそれを中3で気が遠くなるくらい教え直さねばならない。
(突然話題は変わりますが、数・英はその轍を踏まないように、私自身が問題集を作成しましたが)

 何が原因なんだろう?! もうその答えは書いているつもりです。知識のあつみがないのです。勉強の為の勉強をしているに過ぎないからです。人から与えられたことしかしていない。人から容易に与えられたものは、容易になくすでしょう、そんなものです、勉強も。有難味もわからなければ、苦労もない、自分で発見もない学習は、ほんとに脆いものです。

 脆くない強固な学習は、この逆をすることですね。そして、さしあたり目的をもたぬ行為で、新聞を読むことを、大いにお奨めします。そこには国語ばかりでなく、社会、ときに理科にも役立つことが一杯あるのですから。