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§59 覚える、ということについて
<Y=0.3・X (2乗)・・>
どうもね、時々、“覚える”ということを、生徒はどう考えているのだろうかと思うことがあるんですね。この素朴で情けない問いを発しても、満足な答えは返って来ないわけで、また返ってきた試しが過去殆どないわけで、何を先生はばかなことを言ってるのか、という顔を生徒はしている。そして、習ったことは忘れて当たり前じゃない!(?)という澄ました顔もしている。
そのあっけけらかんとした態度、表情をみていると、暖簾に腕押しで、生徒もまあ一生懸命勉強してるわけで、どうすりゃあ習ったことを忘れずに覚えていられるんだ、というやるせない心境と虚脱感に襲われることがままあるわけです。それは中1より中2、中2より中3になるにつれて、ひどくなる傾向にあります。当然ですね、習ったことが増えていくわけですから。
正比例して増えていけばいいのですが、問題はY=a・X
の“a”(比例定数)が1なら文句なし。Y は知識の量(実力)、X
は習ったこと、を指しています。でも、習ったこと×1なんて生徒はわたしの周りにはいず、ましてや習ったことがないのに知っている(or教えたことがないのに知っている)生徒はいまだ現れず(いえ、世の中は広く、そのような生徒は結構いるところにはいる、と
思いますが)、その反対に、習ったこと×0.6なんて生徒はまあまあいいほうで、とても優秀な生徒でも習ったこと×0.8ぐらいの気がします。
科目によりますが、特に社会、理科の2科目は中3にでもなれば、わたしのやや厳し目の基礎チェックに措いて、平均的な生徒で、“覚えてる”量は習ったこと×0.3ぐらいの、それはそれは酷い有様で、毎年とはいえいつも唖然とさせられるのです。なぜこうも忘れるか?! もう一度書きますが、習ったことが100あるとすれば“70!!”を忘れるんですよ、公立中学の平均レベルの生
徒で。
〔そんな馬鹿な、ちょっと大袈裟だよ、と思われる方(お父さん、お母さん)は、自分の目で確かめられることをお勧めします。なーに、やりかたは簡単です。中3生なら中2と中1の教科書を、中2生なら中1の教科書を、中1生なら小学6年の教科書を持って来させ、ランダムに10個選んで質問をすればいいのです。昔習った微かな知識(?)を元に、こんなことは覚えてるだろうという問題を質問してみればいいと思います。それは当然基本であり、応用ではない筈です。
意外な結果が出る、と予測します・・・。〕
習った100の30を忘れるなら、まあ不満足ながら理解ができるというか、納得がいくのですが、しかしこのレベルとて真剣に冷静に考えるなら、そしてもしこれが自分のことならひどくしょげて自信を失い、時間の経過とともに気持ちが回復したのなら、猛烈に反省し、何が到らないのか何を間違ってるのかの原因を自分なりに究明し、即刻復習するとともに、次の勉強に工夫を加えていきますが。
では7割ほど抜けてしまった生徒の普段のテスト、つまり定期テストの点数は、学校の先生が一応合格点としている70点以上を取ってるわけですね。次からケース・バイ・ケースで一概に言えないのですが、80点以上取ってる生徒の中にも結構実力になると弱い(それはきれいな表現で、つまり覚える力が足りない)生徒がいるわけで、素直にその点数をその生徒の力と信頼するわけにはいかないのです。努力し、頑張ってるのは大いに嬉しいことですし、その姿勢は認めますが、実力評価となるとまた別の目が必要ということです。
話の序でに申しますが、この目が欠落している先生が驚くほど多いですから気をつけましょう。よくですね、「勉強の方は大丈夫です、別に心配するようなことはありません」と学校の先生に言われ、そのまま鵜呑みにしてこれまでやってきて、入塾テスト等の成績をみると、さっぱり実力がない、基本も出来ていない、何を今まで学んできたのか、という生徒にぶつかるケースがあまたありますから。
話を元に戻して、実力テストの結果が返ってきたあとの生徒の顔は、一様に暗いというか冴えない表情をしてることが多いわけですが、次の授業になるときれいさっぱり忘れたのか、見事な立ち直りをしているのですね。おいおい、ちょっとそれは早すぎるのではないか?と思いたくなります。100のうち70を忘れてよくもまあ平気でいられるなあ(生徒一人一人の内面は別ですが)と、何やらこちらひとりが苦悶の体です。
では内面はどうなんだ、と質問をします。何を反省して、どうこれからするつもりでいるのか、訊きます。その内容をくどくど書きませんが、集約すると大抵、どこかで聞いたきれいな抽象的な答えが返ってくる。つまり、実行性の薄い、今自分の腕を伸ばして出来る具体的な回答がない。即ち、ほんとうに自分の事として深く反省していない、ゆえに今後どうしていくのか考えていない
のが、大多数の生徒の姿であります。待っているのです、誰かがどうにかしてくれるのを・・・。
わたしの専門は数・英ですが、中3に限って社会も教えます。どうにかしなければなりません。詳しい内容はまた後日別のところで書く予定ですが、簡単に申しますと、習った100の内70を覚えているのなら(これが本来の普通の姿だと思うのですが)冷静に基本の足りないところの復習とプラスαを教えていけるわけですが、現実の生徒の大部分は習った100のしか覚えていないわけで30、これは生半可な指導、出会い頭の復習ではとても受験に耐えうる学力をつけるところまでいきません。
理屈もへったくれもありません、とにかく基礎の暗記からです。結論だけ書きますと、秋頃には平均偏差値60強、できる生徒は70ぐらいにはなっています。ですが、褒められたものではありません。下策です。確かに生徒の学力は相当上がりますが、それは内実、詰め込みと強制暗記と受験知識獲得のノウハウであり、自立した学習とはまったく対蹠的なものですから。
さて、社会、(理科)の2教科について偏った視点で、中3にでもなれば「習ったことが100あるとすれば70を忘れるんですよ」とその実態を書いてまいりましたが、数学・英語はどうなんだといえば、これは前者の並列的な単元構成と違い、ある程度積み重ねの教科ですから、Y=a・X
の“a”(比例定数)の値は一般の平均で、0.5ぐらいと少しましなわけです。
しかしこれって、ましとは書いたけど、要するに半分は、頭から習った内容が抜けてる値なわけですね。どんなに丁寧に教えても、またわからないところがあれば詳しくわかるまで説明し、理解が不足するところは余分に演習しても、過ぎ去れば忘れ、新たに出てくれば注意しなければならないところをミスし、少し言葉の表現を変えれば急に出来なくなる。悲しいかな、これが生徒の多くの姿です。
これらの症状、欠点を防ぐにはどうすればいいか?! その視点と入試への実力養成を同時に図る目的で作り上げたのが、わたしの問題集〔E-juku1st.Comの中学数学・英語〕なのですが<宣伝してすみません>、上の習ったこと×0.5の数値はさすがになく、平均して0.7ぐらい(しっかりしてる生徒で0.9)にはなっています。
しかし、結果を書くのは簡単ですが、その内容といえば、よくもまああれだけやったことをいともたやすく忘れてくれるなあ、というのが、実態に近く、絶えず習ったことを確認しながら勉強を進めていかねば、実力は容易につかないのが現実の姿であります。
最初に書きましたが、“覚える”ということをもう少ししっかり考えてみる必要があるように思います。どうもね、生徒は勘違いしているようだ。学校にしろ塾にしろ、授業があり新しいことを学んで、更に演習をして出来た。暗記のテストがあり、覚えていい点を取った。宿題があり、それも手抜きをせずきっちりした。テスト前1週間、頑張ってその範囲を覚え勉強した。これら一連の勉強は基礎学習に入るかな。
でも、今ひとつ、なにか足りないような気がします。その足りないところが上の成績の、習ったこと×a の比例定数を下げるような気がします。それは何だろう? 特別なことではありませんね。人から教えられたことをもう一度、今度は自分の頭で整理し、理解し、覚え直すことでしょう。静かな復習の時間が必要だということです。
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