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  高校入試でターイセツなこと、って何だ?!
§125 英語学習の取り組み方についてVOL.1
<教える側の力量> 

 英語学習の取り組み方について、少し思うところを述べてみたいと思います。

 学力形成の因子は、生徒自身の持てる力と学ぶ意欲、教える側の力量、そして両者をつなぐ教材にあるかと思います。この3つが揃えばいうことはない。 が、しかし、そんな環境で私自身勉強した憶えもないし、教えたこともない。どれか何れかが足りないことがきわめて自然である。
 
 まず、私自身(そんなもの、どうでもいいことであるが)。持てる力と学ぶ意欲はまあそれなりにあったと、ばれない程度に臆面もなく言っておく。次の教える側の力量はといえば、いまだから判かると思うのだけど、たいした先生に出遭ったという経験、それがもとで素晴らしく成績が上がったという覚えは残念なことにまったくない。もちろん昔のことで、塾なんか行ってはいない。

 その反対はある。以前に一度書いたことがあるので別の言い方になるが、中学の折ズブの素人の先生に運悪くあたり、それがまだ足腰のしっかりしていない中1の英語だったもので、相当参った。被害甚大、英語だけは猛烈に出来の悪い点数を取った。とにかくマニュアル通りなんだろう、教えるだけ。自分のことで精一杯、生徒を観てはおらず、勉強のしかたの基本的アドバイス、注意点やポイント、そんなの全然ない。

 その無能の波をもろに被って、こちらはもうアップアップの青息吐息。中1の1学期の時点で早くも脱落の気配とは我ながら情けない。もちろんその時は教える側の力量なんて視野も認識もなく、出来の悪いのは自分の責任とばかり、ひたすら吾が脳みそのなんと英語に向かないことかと呪ったに過ぎない。

 自分なりの創意工夫と不屈の精神(ちと大袈裟だね)、これだけはどういうわけかそれまでにほんの僅かだけど持っていた。それで以って他の4科目をこなしてきた力と自信、いやもっと適切にいえば少年の驕りとプライドがあったものだから、英語も真剣にやれば出来ない筈はない、そう思った。

 ただ、ぼんやりしているのか、ぼんやりしていても急所だけは外さない要領と、それにもまして目に見えない各科目に対する下積みの知識、雑学だけはかなり所有していた(こんなの大したことはない、昔の生徒は結構持っていた)ものだから、数・国・理・社に対しては抵抗なく自立した学習が出来たわけだけど、どうも英語という科目には波長が合わないというか、ぼんやりでは通じないことが痛いほどわかった。ぼんやりしても足りる知識なんかもともとなかったのだから。

 そこでどんな勉強をしたか、それを逐一詳細にここで述べる気はありません。なにも大仰なものではなく、基本の勉強に徹しただけです。

 最近の質問に、「英語の勉強の仕方が分かりません。効率の良い方法はありますか?」というのが、またまたあったのだけど、勉強の仕方なんか、中学生なら自分で考えろ、と本音ではいいたい(でも、いまの生徒は殆ど知りませんがね)。わからないのではなく、わかろうと本気になってしないだけでしょう。本気になってしたものは、たとえそれが要領悪かろうと的を多少外しておろう
と、必ず身に付くだろうし次に繋がるものが出てくる筈だ。それを改めていって自分なりの学習方法が生まれるのだ。そこまで行って初めて、「効率」という言葉が出てくるのである。考え違いも甚だしい。まずは基本の勉強に徹しろ!

 まあでも参考に、既にホームページ上に載せてあるものを下に書いておきます。
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「中1英語の勉強の仕方」〜§11<英語について思うこと VOL.3>より
 【英語学習の基本】
 1.「頭の目」を開けて読むこと!
 2.声を出して読むこと、即ち耳を刺激すること!
 3.手で覚えること!
 4.基本構文を暗記すること!
 5.ノートを活用すること!
 6.復習して、自分の頭で考えること!

 より詳しくは右 http://www.e-juku1st.com/gakusyuindex/gake3.htm
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 話を戻しますが、決して順風には滑り出さなかった中1英語も、2学期、3学期と進むにつれ、なんとかその力も形になってきた。上記した6つも要は、習ったこと教科書の中身は完全に覚えろよ、ということである。、単語・熟語は書いて覚えるのはもちろん、さまざまなに出てくる文法もそのポイントを自分の頭で考えて知り尽くし、当然大事な構文、基本構文は暗記してしまうことに他ならなかった。

 あと一つしたことは、次第にこれらのスタイルに慣れ親しんで英語という科目に波長が合ってくると、守りの勉強(復習)だけでなく攻めの勉強(予習)を取り入れたこと。虎の巻、いまでいうところの教科書のガイドブックを買ってきて、本文を写したノートにかなりの余白を設け(改善に改善を重ねたが)、大事なポイントや文法事項を書き、自らの頭で理解、考えていったということである。

 この決して人に頼らない学習のしかたは或る意味、自らが先生であり自らが生徒でもあるわけだけど、要領を得るまでにまた得た後も時間と手間が掛かるものの、一度得たものは容易に手放さないという属性を持ち合わせている。
 つまり、習ったことは、――この習うとは私の場合、先生から教わるという感覚、認識は三分の一もなかったが――覚えていて当たり前なのである。もし忘れた場合、それを自分の手で取り戻す。それでいい。

 よって実力テストのほうがしばしば定期テストより点数が上であった。なぜなら、実力テストの内容というものは、私にとっては定期テストより問題が素直というか基本の集積にしか映らなかったから。それは中2になっても中3になっても同様であった。
 
 教える側の力量について、斯くの如くヒドイ場合もあるわけで、高校に入ってからもそれは公立の進学校でしたが、英語のグラマ−を教える先生も知識は多分にもっていたけれど、とりたてて活眼される内容や啓発されるコツを教えられたことなど皆無、まったく魅力の乏しい授業であったし、社会の歴史(世界史)の先生に至っては、板書き一辺倒、平面的な知識の羅列にしか過ぎず、そんなことは教科書と多少の参考書を見ればわかること、味も素っ気もない授業内容には閉口したものだ。好きな社会もこれで危うく溺れそうになりました。

 まあしかし、自分の成績の良し悪しの原因を他にヘッジする思考は、愚の骨頂である。むしろ反対に、先生の質の悪さ、平凡過ぎる能力に出遭えば(結構多いと推いますよ)、自衛の意味でより一層こころして対処、めげずに頑張らねばならないことが学業の中にも出てくるものだ、というのがわたしのいいたき一点ですね。

 さて、教える側に立って、生徒自身の持てる力と学ぶ意欲が・・・。これについては今までに折に触れてかなり詳細に述べておりますので言及しません。
 残るところの因子、教材いまの教科書などに関して。そのあたりは次回に。