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§126 英語学習の取り組み方についてVOL.2
<実力養成への教材の位置>
学力形成の3つ目の因子、教材に関して少し。
前回わたしの中学生の折の勉強のスタイル、自学自習の姿について少しく述べたのですが、その中心になったのは教科書でした。教科書を信頼し、まさに教科書に始まり教科書に終わったといってもいいぐらい、その知識、力の源はここから汲み上げたものです。そして高校の場合は別ですが、中学の折は英語に関しては問題集、参考書など、わたしの場合あくまで脇役の位置にしか過ぎませんでした。
しかしこうして書くと、なにやらスムーズにかしこそうに勉強したようにみえますが、事実はそれほど楽でも調子よくすいすい頭に入ったわけでもありません。唯一教わる英語の先生そのものが頼りないわけですから、そして勉強とは自分自身でするものだ、という突っ張ったポリシーみたいなものを頑なに持っていましたから、ゴツゴツ壁にぶつかりながらスマートさに欠ける勉強をし
たように思います。
ところで、わたし自身が採って築いた学習法というのは、むかしからあった、何の変哲もないオーソドックスで平凡なものでありましたが、それには最低次の2点が要ります。時間をかけてレンガを積み上げるような「地道な取り組み」と、意欲を一定に保った「継続性」です。
勉強に限らず仕事でも研究でもなんでもそうですが、「地道な取り組み」の中に、偶然の発見があるのでしょうしそこまで大袈裟でなくとも、いままでに気付かなかったものが見えてきたり、注意する箇所などがほんとうに身に沁みてくるものです。また、意欲を一定に保った「継続性」の中で、確実な知識が積まれるのであり、そればかりか自分なりのコツを会得したり工夫が生まれて
きたりするものです。
その後年月が経ち、中学生を教える立場になった当初に措いても、教科書にはかなり信をおいていました。生徒にもわたしが実践した勉強方法を出来る限り取り入れて教え、指導しました。それはそれなりにほぼ全員の生徒が、定期テストでかなり点数が上がるなど確実な効果はあったのですが、どうも実力がいまいち伴いません。また結果的に、入試への対応力も不足気味です。 比喩はよくありませんが、喧嘩に勝って勝負に負けることと似たようなものです。
その原因には、手に負える部分と手に負えない部分の2つあるのですが、塾側としては手に負える部分で勝負するしかありません。このことを論ずるのが今回の趣旨ではないので簡単に要約しますが、手に負える部分とはこの場合、指導内容のさまざまな在り方と用いる教材、手に負ええない部分とは、生徒の持てる国語の力の度合いと自分で勉強する際の学習追求姿勢、とでもいえますか。
この後者の中の学習追求姿勢、「地道な取り組み」と意欲を一定に保った「継続性」は、いまの生徒にとってはどういうわけかとても難しい、あるいはもう必然的にと思えてしまうほど、矮小化してしまう、とだけ言っておきます。
そこで手に負える部分の転換を図ったわけですが、指導内容については省くとして教材の面で、教科書中心から問題集中心へと移行しました(まだこの当時の教科書は、現在のものと較べて遥かに質はよかったですが)。
生徒の実力養成が最大の課題です。
市販の問題集、塾専用問題集と、その内容には一長一短ありまして、これではとても実際の生徒の学力増進を見込めることが出来ない。いや、正確にいうと、一部のほんの1割程度の生徒には対応できますが、その他大勢の生徒には不向きであることが多い。
まあこれに関しては今回差し控えるとして、とにかく生徒というものを見据えた、全面的に何もかもぶち込んだ自作の問題集を創り上げました。オールインワンの問題集、何も足さない何も引かない(これは昔の宣伝文句。前にも一度使って二度目。陳腐だなあ、反省)、いま目の前にある日々の問題から入試問題までの、トータルの学力の基盤になる通年用問題集です。
結果ですか? もちろん、いいですね。これ以上書くと宣伝臭がきつくなるので控えるとして、次のような問題点も出てくるのです。「勝負に勝つが、喧嘩に負ける?!・・・」
もちろんこれは、優秀な生徒やほどほどに出来る生徒には当て嵌まらない。小さな喧嘩(定期テスト)にも勝つし、大きな勝負(入試)にもなんとかまあ勝てる。最大の課題である実力養成は、その容をなした。
それに対し、出来のよくない生徒(実際ほんと昨今、多くなって来ました。「学力低下」などとさも客観的にいった、きれいで曖昧な言葉では片付けられないんですがね)は、何から何まで事細かに面倒をみなければ自分ではなんともしませんから、教科書に密着した内容と先生が補足したプリントなどから出題される定期テスト(小さな喧嘩)には、些細な問題や単語などで蹴躓き、思
ったほど点数が取れない。これに較べ、実力テストのほうが定期テストよりも相対的にまし、という逆転現象は痛し痒し、まるでこれはもぐら叩きではないか。難しいことはやっているのだから、やさしいことはほんの少しでいいから自分でやれ、だね。
すべてを、丸く収めることは出来ない。
さて、英語学習の取り組み方を教科書中心から手作りの問題集へと移行した
話はこれぐらいにして、いまの教科書について少し。
しかしこのことに関しては既に、「英語について思うこと7・8・9<新教科書の内容NO.1,2,3>」で詳しく述べておりますので、別の角度から一点。
それは、中1英語の教える順番に関してです。これはとても厄介で苦慮する問題です。現行の「教科書通りの文法内容」で教えていけば、残念ながら多くの生徒の頭は習い初めて半年も経つと、混乱を起こすか、ないし極めて不安定で浅い文法知識しか身についていない、という結果になることが多い。
なぜなら、「文法が細切れで一貫性に欠けている」からなんですが、そこらあたり次回に述べてみたいと考えております。
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