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§140 問題集作りこぼれ話
<解答作りは、ほんと大変・・・>
新しい問題集「算数の図形教室 by Toppo」が漸く完成の域に達したので、今回その問題作りにまつわる裏側の視点と事情など、余談を少し書いてみたいと思います。
まったく何もかも自分で作っていますので、ときどきいやになることがあります。気は滅入るし、肩は凝るし(今回は首が回らないほどヒドイ肩こりに悩まされました)、寝ていても図形のことが頭に浮かぶし(勘弁してくれ)、土・日もすべて潰して問題作りに勝手に励んでいる(?)し、まあ何の因果でこんなことをやっているんだ?!と、独りわけもなく叫んでは、深い溜息をついている有様。
これはまだ理性的というかましなほうで、体内と頭に鬱屈した悪い気を吐き出すために、うぎやーっと唸り声は発するし、大声でうおっーと叫んだり、まったく情けない姿態、いや痴態を、独り孤独に曝け出している次第です。
このバランスを取るためでもないが、昼間は漢詩、中野孝次著『わたしの唐詩選』を繰り返し繰り返し、ここ2ヶ月あまりひたすら読んでいる。まるっきりの素人だけど王孟韋柳の四詩人の魅力に、なかでも中唐の柳宗元に、すっかり嵌っております。これほどに五言絶句や七言律詩が面白く興味深いものとは、それはたぶんに歳のせいだろうけど、新しい発見に少し救われているかな。
とにかく休んだら、目の前の事象は何の変化もないわけで、事態はすんとも進まない、当たり前だ。誰かがほんの少しでも手伝ってくれるわけでもないし、代わりをしてくれるはずもない。ああ、早くも愚痴りだした。あいすいません。 もうまるでそれは、雪山を独りラッセルしている感じで、足取りは重く冷たく、一歩一歩深くはまり込みながら、ひたすら頂上を目指して、いつか頂上に辿り着くだろうと夢想しつつ、ふうふういいながら、いや、ひいひいいいながらよろけつつ登っていく感じです。
突然の小さな雪崩に遭うことは珍しいことではなく、はるか後方に落とし遣られることも中にあるわけで、その都度気を持ち直して新たにラッセルを繰り返す。例によってちと表現が大袈裟だが、そんな心境と、体力・知力(うーん、これがもっとあれば・・・)の消耗を感じている。
当然なのだけど、問題を作れば、今度はその答えを作らなければならない。どっちがしんどいといえば、両方ともしんどい。頂上に辿り着けば、スキーで一気に駆け下りたくなるが、解答作りは、やはりまた、せっせと登る作業なのだ。
その解答作りで問題はさまざま起こるから堪らない。まず解答は正解でなければならない。至極当たり前のはなし。しかしその当たり前のことが、つまり完全に正解である事がなんと難しいことであるか?! 世の中、完全であるものなんてないものなあ・・・。
すべて手書きで、一から答えを書いていくので、それもできるだけ説明を入れて、ポイントから考え方から解きかたのコツから、また途中式を端折ることなく、そして今回は特に算数の図形問題集ということでその図形をすべて、コンパスやものさしをあえて使わずに手書きで描くという条件を課しているから(図形問題の処理は手書きで速く正確に、というのが大事な大事な必要条件なので。これがほんとに、心底わかってもらいたい)、いつも以上に困難で厄介な作業ということになる。
赤のボールペンを使い(ボールペンはパイロットのG−3
GEL 0.5 を愛用している。価格は100円。透明でキャップつき。パイロット製は書きやすく、インクの色もとてもいい。学習上のお勧め。しかし、字が下手なのはなんともいただけないが)、答えを書いていくわけだけど、56枚、小さな問題から大きな問題までその数およそ700問とすると、わたしの正答率は普通95から97%ぐら
いだ。(だから自慢ではないが、テストでは100点なんかなかなか取れなかったね。)
それはよく自覚している。自覚していることは人後に落ちない。どんなに慎重にしても必ずミスがある。難しい問題だからミスがあるわけでもなく、やさしい問題でもミスをするのだから堪らない。まるでそれは、頭の中の遺伝子に組み込まれているかのようで避けようがない。ああ、我が頭がおぞましい。3%としても、単純に全体700問で21問も問題集の中に誤りがあるわけで、これでは信用がガタ落ちである。それを予めできるだけ防ぐために慎重に慎重に、細心の注意を払って解答作りを心掛ける。だから肩が異常に凝ったんだ・・・。
人のミスを見つけることは案外容易いが、自分のミスを見つけることは、それほど容易なことではない。なぜなら、同じ思考回路であるから。
さて、ここでミスの分析を。
我がミスなるものの正体は何ぞや?! ミスをするということは問題が解けるということで、その結果ミスをします。当たり前。えっ? こんなつまらぬあほな事を書くな! ご尤も。
ミスの中身ですが、わたしの場合大きく3つありますね。一つは計算ミス。次に、もう明らかな勘違いのミス。そして三つ目は、絶対間違っていないという自信のもとのミス。どれも勘弁してくれよ、といいたいミスですが、ミスはミス。どういい逃れも、都合のよい言い訳もできません。
今回の解答の自己チェックで間違い数は、まあ漠然と700問として8問ぐらいかな。でもこれを逆に書くと、690問は正解であったので、まずまず。その間違い率約1%で、我ながらましなほうでした。変な自己弁解ですね。しかし、これはあくまで自分なりの確認で、客観的にはまだあるのかもしれない、いや、経験上きっとある。もし発見できていなかったら、その折はすみません(された方のご連絡をお待ちします。速やかに訂正いたす所存です)。
計算ミス3問。これはしかたがない。明らかに勘違い、問題読み間違いのミス、2問。頭を1発殴ればすむ。堪えるのが、絶対間違っていないという自信のもとのミス。わたしの一番多いミスの要因です。それが2問。そのパターンは長年自分と付き合ってきてわかっているのですが、数字の写し間違いが原因で起こります。今回も一つは16のところを図形の記入では10にしてあり、写し間違いもいいところ、それで計算していました。あと一つは何かといえば、えっ、そのあとの式がないではないか!というミスでした。つまり答えも出さずに途中でやめていたんですね。一体何を考えていたのか、あとからはわからない。
問題と解答作りにはとても神経と精力を消耗するわけですが、これはまだ作業上の半分に過ぎないのです。残りの半分は何かといえば、細々したことの集合なのですが、些細なだけに些細で厄介な手間と作業があるんですね。何でももの作りはそうでしょうが。その中で一点、くだらぬことを書かせていただいておきたく思います。
それは、修正液とコピー機の問題です。ボールペンで書いていますから字の間違い(下手な字が極度にひどくなった場合など)、線の引き方の不具合、手書きでの図形の描き方の調整など、さまざまな場面で修正液を使います。その影響もあるんでしょうが、ちいさな汚れがついたりします。コピー機というのはご存知でしょうか、すべてを写し取るんです。それこそ一切合切。目に見えない微妙なものまで鮮明に写し取りますから、ほんの少しの汚れも見落としません。
コピーした用紙をさらにコピーした場合、どんどんそれはより拡大する事態を惹き起し、肉眼で見えないシミを明瞭に浮き上がらせることになるんです。これはつらい。ものすごく煩雑な作業が待っています。修正に修正を重ねたところでいい加減妥協はしますが、手作りというのは、この後ろ向きな仕事とは縁が切れないところがあるんですね。
まあ今回は何の結論も、有益な内容もお話ししてはいませんが、少しでも問題集作成の裏側の事情をお察しいただければ、有難く思う次第です。
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