|
§78 中2の英語― 平均的な生徒の勉強の姿 new
<do one's homework>
今回は公立中学の2年生の平均的な生徒、それがあまりに平均なる姿ゆえ、とてもしんどく感じる現実についてつらつら述べてみたい。英語の場面で。
She will finish her homework by tomorrow. <問題文の中の1例>
解答合わせ、現在形から未来形への転換問題であった。これはできている。助動詞のあとは原形、という文法ルール。ふと気になったので、答えをいった生徒に訊いてみた。
「いまの文、訳してみろ?――」
と、わたし。
その生徒、ちょっとまごまごしてから、
「彼女は明日宿題を終えるでしょう」
「ちゃうだろう、明日なら、tomorrow だけで、by はいらない。by tomorrow になっているのだから、by を押さえて訳さなあかんだろう?」
「・・・」
沈黙の30秒が過ぎる。わたしはこんな場合、沈黙には沈黙で答える。あたらしい文法や語彙ならすぐにヒント、アドバイスはする。しかし、これはこれまで意識的に何度も出題してきた前置詞なんだから,、がっくり・・・。そもそも質問は、教えたなかでしか基本的にしない。考えている光景は、考えているのではなく、ただ忘れてしまっていることを意味する。忘れたことは、考えても、うーん、たいてい出てこないのである。偏差値50前後あたりの生徒の場合は、90%以上なぜか・・・。
英語なんて、覚えているか覚えていないか瞬間に出るものが、大袈裟だけどひとつの知識で、勝負でしょう。忘れたことなんか、いくら考えても浮かんではこない。この表現、かなり危ういけれど、成績が平均的な場合の、学力の深刻な一面です。沈黙しないで、早く教えてあげれば、という声が聞こえそうだけれど、それは現場にいない高見の意見であります。すぐに答えを言えばすぐにまた忘れることを、ご存じない。たとえばこれまで5回も出てきた(そういうふうに問題集を作ってあります)として、6回目のby
の訳が忘れたとしたら、またその事実は7回目にまず確実に繋がるのである。それをなんとしても避けたいのである。
ああ、ほんとに、生徒はミスを「素通り」します。これは英語だけに留まらないけれど、つくづく不思議でならない。ミスを直す、誤りを指摘する、それを修正したかと思うと、生徒の鉛筆はすぐに次の問題に移るのだ。その間の思考がない、欠けている。自分でなんら学んでいない、誤りからね。
そもそも最初から、習った事はまず正しく覚えればいい。それも暗記ですむようなレベルの問題なら、なおさらだ。しかし自然に頭に入ることはほぼないので、復習は最低必要。テストに出て、忘れてしまったためできなかったとする。そしたら、覚え直せばいい。これは一度の間違い、ないし忘れですね。数ヵ月後、またしても同じ問題なのにできなかったとする。二度目だ、もうこれは大変と、今度はしっかり深く何がなんでも暗記すればいい。そこまでだと、思うんですけどね。
ところが、現実の生徒は、テストに関係なく覚えねばならないことをいとも簡単に、それが自然であるかのように忘れ、また繰り返し繰り返し同じミスをします。「3・単・現のs 」はその代表である。英語は必ず主語から入れ、主語の確認をして、時制と文の形は間違うな、これが最低条件だと教え、その誤りを何十回、何百回(中3までなら)訂正しても、なかに間違う生徒が、数%はまだいるのです。
ここで、ミスとはいわないけれど、もう勘弁してくれ、ちゃんと読んでよ、という2つの簡単な単語の読みを出してみます。10秒もかかりませんから、単語を書いて、生徒、お子さんによければ読ませてみてください。
walk(ウォーク) とwork(ワーク) 、take(テイク)
とtalk(トーク) の発音の区別です。
2語並べてではなく、1語ずつ単語を書いて読ませてみてください。瞬時に読めねばなりません。もたもたしたり、間違って読んでる生徒は、上で書いた勉強の症状、繰り返しのミスと忘れをやっていると思って、ほぼ間違いありません。
何だ、そんなこと、簡単じゃない、また正しく読んで、なんでいったいこんな簡単な問題出すのよ、変だよ、変ね、と不思議な顔をする生徒は、ちゃんと英語を勉強していると判断できます。これを更に大丈夫か確認するために2つ、下に問題を用意しました。日本語訳させてみて下さい。
・Mary left Japan yesterday. (メアリーは昨日、日本を去った)
・Tom will leave for Kyoto tomorrow. ( トムは明日京都に出発する予定です)
これも同時に出さず、1文ずつです。leave 〜(〜を出発する・去る)とleave for 〜(〜へ(向けて)出発する)の区別です。これもすんなり訳せば、英語の今の勉強はまず大丈夫、あまり心配ないと判断できます。
さて、話を戻します。
She will finish her homework by tomorrow. で、ちょっと気になり確認したかったのは、by tomorrow
の訳ではなく、finish her homework の部分についてなのです。こちらがくり返しの説明と確認したかった知識、しかし、そこまで行くまでに予期しえぬ、もっと次元の低い問題が勃発し、それに時間が喰われた形です。このような例は、しょっちゅう起こります。
まあ、なんとかby tomorrow の訳と生徒の記憶に焼き付ける作業はなんとか片づけました。
「この文で注意することは何だっ?」
と、生徒全員に訊きました。
ある生徒は、考えているだけで答えない。ある生徒は「will のあとは原形動詞です」と答える。それはそうなんだよな、でもそんなことは当たり前、今やっている文法なんだから。目の付け所がどうもちぐはぐ、文法以外に英文を絶えずみて、自分の頭で確認チェックをしなければ。それがね、あまりにも希薄なんです。もう堪らなく不足しているんです。
この短い文章で質問されて、どこをいったい注意して見ればいいんだか、生徒はそれがわからない。つまり、平常何も考えていないことが、よくわかる。これが大袈裟な言い方としたら、みる視野があまりにも狭く、考える焦点が合っていない、といいたい。教えるって行為は辛抱することに尽きるし、またそれの果てしない連続だが、辛抱しても結果が出て来ないときは、へこむね。
失望半分、苛立ち半分拮抗して、無理やり声を大にし、
「finish her homework のher だろう!!」と、説明する。
「宿題を終える、で彼女の訳があるか? 英作することを考えれば、いつも問題点は自分で見つけられる! 自分が書けない、間違ってしまう箇所がわかるはずだ(この科白、何度言ってることやら)。それをふだんの学習のなかでつねに押さえ、注意し、覚えこまなければ。覚えていたらなおのこと、頭に押し込んでしまわねば!」
「主語がshe だから、her なんだろう?! 熟語として覚えるには、finish
one's homework。one's は所有格を表すんだな」
「ところで」――この言葉で、またまた思わぬ泥沼に嵌りこんでしまった。
「ところで、じゃあ、ボブは宿題をした、なら、どう英文で言うんだ? 〇〇、言ってみなさい」
と、わたしは追確認をしてみた。
「Bob did homework.」と、その生徒。
「・・・?? ――?!」
私の顔は蒼くなり、赧くなり、もう今まで何を噛んで含むように教えてきたのか、また解説してきたのか?・・・。しらける気持ちと脱力感を必死に押さえながら、暫し沈黙。エネルギーが回復するまで。それでも教えなければならないという気持ちが湧き出るまで、ぐっと耐える。
時間が過ぎ、もう、待てない。生徒に答えを要求しても無駄と、さみしく割り切る。
「あのなあ、宿題をするは、do one's homework
! ボブが主語だから、do his homework 。答えは、Bob
did his homework. 」
半ばやけくそだ。
「主語が私なら、わたしは宿題をする、は、I do my homework. あなたなら、You do your homework. 彼なら、He
does his homework. 彼女なら、She does her homework. 私たちなら、We do our homework.
彼らなら、They do their homework. do one's homework の使い方、わかったあー?――」
ああ、一部の生徒は、それにいちいち反応して頷いている。しかし、それもいい。覚えてくれりゃあ。
でもね、今まで中2なら何度か解説してきたし、それ以上に問題演習のなかに反復して入れ込んであるのだが。つまり、finish one's hmework
以前のdo one's hmework でさえ、実はわかっていない生徒がいたことになる。
これが、できる生徒ばかりなら、というか、ごくふつうであればいいんだけど、そのふつうという感覚が最近どうもおかしくなってきたね、最近の生徒を教えていて。以前のふつうなら、by
tomorrow の訳で躓いて停滞することはなかったし、「この文で注意することは何だっ?」に対し、「her」と間髪いれず答えてくれた。それだけのことはじゅうぶんすぎるほど演習してきたのだから、当たり前なのだ。こちらも冷静に、「do
one's homework に加え、finish one's homework も頭に入れておくように」と、ひと言いえばそれで済んだ。
この確認指導1分と20分の差は、そのまま学力格差である。また使うエネルギーと気力も相当に差が生じるわけで、最近、その割合がとみに増えてきた感じである。だからどうなんだ、どうしなければならないのか、と今回は言うつもりもない。その奥にある問題に目を遣ると、あまりにも深淵があり、複雑である。
|
|
|