|
§25 勉強のしかたがわかりません、について思うこと
<復習するって、どういうこと?>
今回は「勉強の仕方がわかりません」について、すこし書いてみます。
よくお母さんから聞く言葉――本人は勉強のしかたがわからないと言ってます、どういうふうにしたらいいんでしょうか?――と。
お母さんの子供を思う気持ちは痛いほどわかる。わかるけれどこのタイプの質問、まるで雲を掴むようなもので、質問されるこちらは「ああそうですか、ではお教えしましょう」と即答できる種のものではない。あまりにも漠然とした質問、実態がまるでない。
漠然とした質問には漠然と答えることが精神衛生上好ましいのだが、「先生の言ったことを注意深く聞いて、そして家に帰ったら復習することです」と、きわめて平凡でまともな返答しても、恐らく満足してもらえまい。
それにしても、なんと抽象的な言葉か!・・・ そして、実態のない言葉だろう・・・ 正直いまだ、これをどう受け止めていいのか、非常に戸惑いを受ける。何故なら、この言葉を聞くのはその殆どが入塾テストの後か、新しい相談の時であり、まだこちらとしてもその生徒の学力、普段の勉強の仕方、癖など十分を把握していないからである。
そしてさらに、5教科の中の何の科目の勉強のしかたがわからないのか、それは学習科目全体にまたがることなのか、あるいは特定の科目のなかのある単元なのか、そういったことが、この問いにはなく、こころに思ってることをただ吐き出しただけに終わっている。具体的にいってもらわなければ、具体的に答えようがないのである。
例えば、数学の図形がいまいち解けないとか、社会の地理のグラフや統計の問題がさっぱりできないとか、英語の文法で不定詞の区別がわからないとか、具体的にいってくれれば、その場で一応アドバイスは真剣にできる。しかし、そのことをお母さんに言ったとしても、生徒にそのまま上手く伝わるかどうかは、またまったく別問題なわけですけど。
先日、こんなことがありました。中3です。実力テストがあり、その結果をを紙に書いて提出させました。5科目の中で共通して悪い成績を取った科目があります。一人をのぞいてあと全員が、50点以下(目が点になりました)。18点、22点、32点、40点、そんな点ばかりで、書くのが不愉快なほどです。一人だけ、70点を取っていました。その科目とは、理科です!
もう言葉になりません。アドバイス? そんなことができるのは、少なくとも70点以上の生徒に対してだけでしょう。もう怒る元気もありません。わたしは生徒に指示しました。
「来週の時間までに、自分がとった点数を反省して、理科の勉強のしかた、復習のしかたを具体的に考えてくるように」と。
さて一週間が経ち、生徒一人ひとりに、理科の勉強のしかた・復習のしかたを訊きました。集約して書きますと、次のごとくです。
「やり直して、どうしてもわかんないところを、先生や友達に聞きます。」
「自分で出来そうな問題集を買ってきて、中1から勉強しなおしたい、と思ってます」
「わからないとこや間違ったとこを教科書やプリントで調べて、ノートや紙に書いて覚え直したい」
「パソコンの理科のソフトを買ってきたので、それでやってみようかなと思ってる」
これが生徒の一般的な答えです。皆様はどうお感じになりますか? この学年は特に優秀な生徒はいませんが、現今の中3生の、全国的にみてもごく平均的な答え、考え方だと推量します。きれいな、模範的な答えです。言い換えれば、表面的な、抽象的な答えです。自分のことなのに、何故か他人がするような、遠い世界の勉強を頭に描いてるような、実態のない答えです。
これは悲しくも、「勉強のしかたがわからない、どういうふうにしたらいいんでしょうか?」という次元と、見事に符牒が合っている。
わたしが言ったのは、自分がとった点数を反省して、理科の勉強のしかた、復習のしかたを具体的に考えてくるように、と指示したのです。この生徒の言のどこに、<具体的に>考えたところがあるでしょうか?!
抽象的なことはほぼ95%実行できず、具体的に考えたなかで、それも自分にふさわしいやり方しか実行できないものです。即ち、上の生徒の答えは、画餅に帰すのが目に見えている代物といえる。
なぜ、あなたはそう断言できるのですか? 生徒の考え、意志といったものをもう少し尊重するというか、信用してもいいのではないか? 自立性を助ける、また指導する方向を指し示せばいいのではないか? といった意見が、聞こえてきそうですね。なるほど正論です。わたしはこれを否定するものではありません。
しかしそれは、たかだか5%前後のよくできる生徒に当て嵌まる正論にしか過ぎない。逆に生徒の現実を見ないその正論のおかげで、30点しか取れない生徒が半数近くもいるのではないでしょうか? よくありますね、対策って言葉が。夏休みには苦手な科目を克服するいいチャンスで、一冊の問題集を計画的に繰り返しやると効果がある、って表現が。確かにその通りなんです。
わたしもかつて、「○○○という理科の問題集がいいから、本屋さんで買って、夏休みの間に最低2回繰り返してやりなさい。わからない処は解答をよくみて理解し、覚えなさい」と、よく指導・アドバイスしたものです。2学期に入って理科の実力テストの結果を楽しみにしたものです。例えば、48点しか取れなかったのならば、75点は無理だとしてもせめて60点は越すだろうと。
返ってきた点は52点。もちろん点数だけで判断すべきではないけれど、出題範囲とか問題レベルとかの考慮はいるものの、それでもこれではおかしいわけです。不思議なわけです。そんなことを試行錯誤しながら毎年繰り返していると、生徒の実情に適っていない、と否が応でもわかるわけですね。
恐らくその勉強の内容は、アドバイスを受け入れて実行したものが半数、その半数は途中で投げ出し、残りの半数は最後までしたとしても、表面的にしたものが半数。解答合わせをして出来ない箇所の追求が出来ていない者がまた半数。一応曲がりなりにもやり終えた者の中で、更に忘れてるところがあるからもう一度復習した生徒は? この論でいくと、確率的に3%になるんです。これでは机上の計算としても、10人にアドバイスをしたとしても、1人も実力をつける復習にならないではありませんか。
生徒の言に話を戻しますが、復習のしかたでその具体性のなさの他に、もう一つ気になるところがあります。それは、「わからないところは・・・」という文句です。別に生徒の言葉の足りないところを論うわけではないのですが、冷静に考えて、わからないところ、という文句は例えば78点しか取れず、22点もわからなかった、という時に使うんではないか。
ひねった応用問題や難問が出題されてるわけでもなく、1年、2年で習った基礎問題からなる実力テストで、30点、40点しか取れない生徒が、「わかんないところ」は教科書、プリント、問題集で調べたり、友達、先生に訊いたり、という発想自体が、何ら自らの学力を反省していないし、問題そのものを振り返っていない証拠ですね。つまり、まったく考えていないのです。考えていないから、きれいな当り障りのない言葉になるんです。
ちょっと真剣にテストの問題を検討すれば、そして自分ができなかったところを見つめれば、次のようになるんではないかな。
自分の取った点数が30点とすると、残りの70点のうち少なくとも40点は忘れてしまったものであり、あとの30点がわからない問題だ、ということに。
ですからまず、忘れてしまったところから復習していけばいいのです。ややこしい計算(理科は殆ど比例でしょう、グラフや文章の数値から比例式を作って解けばいいと思うのですが)や十分理解していないと解けない問題、単元は後回しにして、覚え直せばすむところからまず第一段階として、学習を積んでいけばいい。忘れた40点に目を向けることから、復習は始まると思いますが、どうでしょうか。
それに使う材料は、何も新しい問題集やソフト、ましてや友達、先生を必要とするものではありませんね。自らの頭と使用した教科書、プリント類、問題集で十分だと思う。それができれば次にどうするか、ですって? まず、やり遂げて下さい。30点+40点−10点=60点を取ってから考えればよい。もし取れれば、次の段階の具体的なアドバイスをさせてもらいます。
(−10点て何? それは復習してもまた忘れるでしょう、その点ですね)
|
|
|