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§57 中高一貫向けのアドバイス
<勉強は自分でするもの>
今回、福岡在住のKさんからのご要望があり、私立中学に通っていらっしゃるご父兄とその生徒を対象に、ほんの少し意見を述べさせていただきます。
と、いっても、ほんの少ししか知らないのが実情で、あまり知った被りは出来ません。私自身、公立中学、高校、そして国立大学へと進んだ、典型的な公立型タイプですし、私立の良さ・特徴、そして少しの悪さ(?)を肌身で体験したわけではないのですから。
また、指導している対象が公立中学生専門であり、学区内の公立高校(ピンからキリまでありますが、私のところは20数校で1学区を形成しています。トップランク偏差値68から、下は40前後まで。そのすべてを、自分でいうのも何ですが、器用に(?)に教えてますが)への受験合格を、まず圧倒的に本分としているわけです。
ただ、少ないながら、私立中学受験で合格させた体験(100%合格。但しもっと受験指導すれば、合格率は下がるでしょうが)、私立中学生を指導し、また高校生の英語を教えた経験などを踏まえて、またその受験問題レベルも当然研究はしているので、ある程度はわかってるつもりです。まあ、そんなことより、受験という名の最終ゴールを一応大学に置くなら、その道順は違えども、詰る所、勉学の修めねばならない中身は一緒で、そのあたりを拠りどころに、以下述べてみます。
中高一貫教育のメリットはいうまでもないことなので、その中で今回、ポイントを絞り、その学習の進め方、問題点、陥りやすい負の部分について考えてみたい。
科目は数学と英語に限定します。まずは数学から。そもそも中学の数学は、公立でいえば3年かけて(私立は2年でほぼ消化しますね)、一体何を生徒に求めているのか? その能力の基準をどこに措いているのだろうか?ということです。それは、高校入試の問題をみればわかりまね、つくづく、公立も私立も。
前回の56号で書いたのですが、入試問題のページ数でみますと、中1―7ページ、中2―23ページ、中3―38ページ
(計68ページ)でした。この分量の度合いが、そのまま中学数学の修めねばならない内容といいますか、またその重要性を表している、また上で書いた能力基準の評価、といっても決しておかしくないのです。ところが、その各分量を1年費やして勉強しているのが、公立中学です。
仮に68ページの勉強をしなければならないとしたら、すでにバランスがとてつもなくおかしい。基礎は何事も大切です。それにじっくり取り組んで時間をかけねばならない。しかし、それにしても中1の場合、時間をかけ過ぎです。あまりにものろい、というのが私の実感です。半年あれば、今の中1の課程なんか終了できます。一定の数学能力があれば。一歩下がってゆっくり解説、演習、復習を入れても、2学期あれば十二分に終えれる分量です。
それほどの量とレベルしかないということです。今の中1学習内容は昔に較べ単元は減りました。4分の3ぐらいでしょうか。更に2002年の新学習指導要領で、高度な(?)計算は省かれています。習う質が落ちることに他なりません。実質3分の2にぐらいしか、昔に較べ教えない、教わらない、勉強しないということです。学力低下ですね。この論議をすると、大きく公立中学の内容に関わることなのでこの辺に止めておきます。
これでおわかりのように、私立の進みが速いというのではなくて、むしろそれが正常な(?)ペースなのです。ある一定の学力を持った生徒が集まっているのですから。中2学習の半分までは基礎です。そこまでは習う内容に、雑な言い方ですが、さして深い理解力も思考力もいりません。また、それに関する応用問題も数少ない。教えるスピードが速いのは当然です。
それに対し、本当に時間をかけ、演習をし、深く理解し、それを他の問題に活用するまで掘り下げねばならないのは、1次関数と図形からです。やっと、数学らしい問題にぶつかる、といった感じです。関数と図形を融合した問題もありますし、応用問題がどっさりあるのです。また、作り手からいえば、2年の後半の内容が済んでやっと、その学習内容からさまざまな応用問題が作れる材料が出てきたということです。
受験算数で習ったさまざまな文章題、その思考力、そして図形に対する直観力、分析力、解きかたのパターンを考え込む力が要求される問題に出会うんですね。ちょっと語弊がある言い方ですが、受験算数と中2の後半からが思考力のレベルに措いて結びついている、といってもいいかも知れません。じゃあ、それまでは何なんだ、といえば、あくまで数学の計算(正負・文字式・方程式)に馴染むことと、若干の考え方の拡がりを持つこと、数学の基礎的な約束事を身につけ慣れること、といってもいいかも知れません。
中2の後半と中3学習に、数学思考の豊富な問題があり、応用力を問われるさまざまな問題が、教科書の裏側に隠されてる、といえます。そして、それが入試ではなぜか多いに問われるわけですね。公立では教科書の基本をするだけで、また私から見れば、問題として表面的な浅い部分だけを行い、本格的な応用問題は授業では殆ど触れず、解説も説明もせず、これでは入試問題の応用が出来るとは、とても思えません。
そのあたりが私立では十二分にわかっているので、易しい基本はどんどんやり、また時間もあまりかけず、後半の大切な数学部分に時間をかけ、演習を厚く展開するというスケジュールだと思います。
さてここから問題に触れたいと思いますが、上で述べたことはあくまで理論というか、机上の筋書きといいますか、経験した者がまだ経験していない者に言える、俯瞰した物言いでもあります。生徒は今の自分の立場、学習状況を俯瞰することは出来ないのですから。私自身、中学時代を想い出しても、ただただ今与えられてる課題をこなすことが精一杯で、その先にどんな問題が待ち構えているのか想像もしなかったし、今学習してることが先にどう繋がってるのかなんて、まったく考えもしなかったですね。
ただアドバイスになるかどうか、次のように考えている。
『勉強って、自分でするものでしょう?!』
これが気持ちの中に、心の奥深いところで、どしんと揺るぎもせず納まっているかどうか、です。一度、教われば、それで終わり。その姿勢と覚悟。あとは自分の力で、その教わった内容を自分のものにするため、考え、理解し、覚えればよい。当然復習しなければ、自分のものにはならない。
自分の頭でもう一度、家に帰り自分の机の前で一人、復習しなければ、果たしてわかったかどうかがわからない。そして、授業を聞いてわかったようなつもりでいることも、半分以上は、実は本当にはわかっていない、またよくは覚えていないことに気付く。ですから、何となくわかったこと、うーんこれは難しいなあ、と感じたものは、全然身に付いていないことを、私は、中学時代には識っていた。随分脆いあやふやな頭であることを。
だから、即時復習するのは当たり前。じゃあ、その復習のしかたはどうすればいいんだあ?ってことになるけど、そんなことは自分で考えろ、といいたい。自分に合ったやり方を見つければいい。試行錯誤ですよ。やりながら、工夫改善をしていけばいい。ポイントは習ったことを覚えること。時間が経っても、風化もせず忘れもせず、鮮やかに、基本的なこと重要なところはすべて頭に浮かぶような、身体に沁みこむような学習を。短くいうと、演習とノートまとめでしょうけど。
『自分の勉強は、自分で取り仕切れ!』 もう一つ言いたいのは、これですね。
今の生徒に多いのは、与えられた課題はするが、それ以上は見事にしない、ということです。与えられらた、また仕組まれた段取りにはついていくが、それはレールに乗っているだけで、自らレールを敷くという困難で面倒なことはしない。
確かに今の私立有名中学受験では、小学校の勉強とそのお粗末な教えだけでは、たとえ4科目100点近く取っていても到底合格が果たせるものではなく、その問題内容はまったく異次元といってもいいほどですから、特殊でもないんですが、相当高度な問題演習と恐ろしいくらいの詰め込み、暗記を体現して行かなければ、合格は覚束ない。それ相当の能力と猛勉強あっての結果です。
けれど、中学に無事入れば、脱皮をしなければならない。これは公立高校のトップ進学校にもいえることなんですが、何か勘違いをしている生徒が多数いるんですね。合格した余韻と自信を味わうのは1ヶ月でよい。そのあとは冷たい波が襲ってくるのですから。伝統校で進学校になればなるほど、生徒の自主性が重んじられる。先生が学習面でこうしろ、ああしろと、いちいち言わない。言わないでもそんなこと、お前らわかっているだろう、という姿勢と学習の進め方です。
ところが、自らの力で合格したした生徒はわかっているが、塾で猛烈に受験学習とノウハウを叩き込まれ、揉まれた生徒の中には、自らで学習を組めない生徒も結構いる。ほんとうはその中で、学習のしかたを会得する、参考にすることが必要なんだけど、十分にはわかっていない。悪いことに、へんに頭がいいと思ってるものだから、頭がいい勉強をしてしまう。スピードは速い、習うことが多い。理解、演習不足は意識しているものの、こんなものかと思ってテストを受け、返ってくると、ひどい点に驚かされる。
なるほどテストの問題レベルは高いのだけど、自分の点数が54点、平均点が61点だったとすると、次第にまあこんなものかと妥協する。そして平均点に拘るようになる。ところで、出来てる奴の点はどうなんだ?といえば、例えば数学で、90点台が1人、80点台が3人、70点台も5,6人いる、という内容です。まあ、科目によりましょうが、数・英でこんな点では先が思いやられる。このレベルのテストで通じるのは、70点以上取っている生徒ではないですか?
厳しい冷たい波に揉まれないように、できればその波の上をすいすい泳げるように、地に足が着いた勉強と頭がよくない勉強をすることを勧める。上には上がいるもので、頭がかなり切れる生徒の真似をしたって、糞の役にも立たない。自分は自分なりの勉強のしかたがある筈だ。教えてもらう気持ちから、教わる気持ちになり、自分の勉強をコツコツ一歩一歩積み上げて、人に頼らない自分の形を決めていくべきだ、と思います。
英語については触れませんでしたが、また機会があれば書きます。でも、その根底になるのは、既述したことと同じです。かなりの能力があるのですから、頑張ればできる筈です。
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