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§388 問題集の使い方について<続> <前半はたいへん、後半は楽>
前回、問題集を5つに分類したなかで、とくに「復習用問題集」の「使い方」に関するご質問に対し、認識ができるだけ共通しえるようということで説明いたしました。最後に、もうひとつつけ加えておきたいことがあります、と書きましたので、今回はこの部分を書かせていただきます。
そのポイントは、いったん問題集の勉強を始めれば、最後までとにかくやり遂げてください、ということです。
なんだ、当たり前のことではないか、と思われる方も多数いらっしゃるでしょうが、誰しもよーく憶いだしてもらえば、買った問題集はすべて、きちんと隅から隅までやったという方はまずいらっしゃらないでしょう。
やり出しはいいが途中でいやになって放棄したもの、イヤでもないがなにかやりづらさを感じ、ついついする量が減りいつのまにか問題集の存在そのものを忘れてしまったもの、ひどければ、まっさらのまま結局手つかずのまま終わったもの、まだまだ他に理由や理由にもならないこともあるかと思いますが、とどのつまり最後までやり切れていない問題集の存在というものは、成績にいかんに関わらず必ずあるものだと思います。子供の本棚などにある問題集も、おそらく同様でしょう。
それは、ある程度しかたがないものだと思います。勉強でも無駄や失敗、試行錯誤はありますからね。わたしも大いにありました。ただし、やり切れなかった問題集に対し、やり切った問題集の存在も少なからずほしいのです。
わたしの場合、やり切った問題集というものは、当然中身がすばらしかった、または自分の波長に合ったからにほかなりませんが、それは最初からわかっていたというものもなかにはありましたが、大抵はむしろ途中で気づきだしたり、ときには最後になってわかったりしたものです。
これは、読書と似ているかもしれません。最初からおもしろく読める本もありますが、名作や古典というものは、最初からおもしろいものはほとんどないように思われます。むしろつまらないと感じることのほうが多く、なぜ読まねばならないのかとか、別世界のことで理解できないことが多いとか、そんな後ろ向きな感情のほうがより多くこころに占めます。が、そんな苦痛を我慢しつつ読み進んでいると、あるところでふっと我慢していた苦痛を通り越して、愉しい世界に入り込んだ感覚に陥ります。まあ、それでもなかなか作品に馴染めず、途中で降参、あきらめてしまうケースももちろんありましたが。
問題集をするのと読書とでは費やす時間が違って、特殊なものは除いてふつう問題集は、1,2カ月かかるものから1年ほどかけて進めていくものがあり、読書は、ちょっとしたものである場合、2,3日で読めるものもあれば2週間くらいかかるのもあるでしょうけれど、比較的費やす時間は短い。しかし、どちらも接する気分、辛抱や我慢の感情は通底しているように思いますし、すばらしさや価値がほんとうにわかってくるのは、それらの感情と格闘し乗り越えたあとに、あるいは最終に到達したあとにやってくるものでしょう。
そんな意味合いもあって、「いったん問題集の勉強を始めれば、最後までとにかくやり遂げてください」と書いたわけです。
とくに「復習用問題集」をご利用して勉強する場合、その科目は数学と英語になるわけですが、中1全範囲、あるいは中1と中2の全範囲の習った基礎と、知っておくべき基本の総復習が目的であります。
ここですこしエラそうに書かせていだきます(すみません)。たんなる総復習が目的なら、学校の教科書やプリント類、または塾で利用した問題集をやり直したり、新たに市販の問題集を買うなどして、自分で勉強を進めてゆけばいいんです。
しかし、それでは、どこまで自分がわかっているのか、覚えているのかが判然としなかったり、漫然と平面的に勉強することによって重要なポイントや間違えていけない個所に深く目が届かなかったり、くり返しの確認が自分でできずに知識が定着しなかったり、本人的には復習に取り組んだつもりでも、その勉強の中身が表面的に留まって深く食い込めていないため結局思うような成果が出ないケースが数多あるのは、皆様周知のことであります。
問題点はどちらにもありそうです。
市販の問題集や学校あるいは塾などの勉強関係の問題集やプリントで復習した場合、上記のように成果が出ない可能性と、最後までやれるのかどうかの問題、この2点があります。一方、わたしの問題集をご利用いただいたケースの場合でも、誰にも必ず成果が出せるとは申し上げませんが、成果が出る可能性はかなりある、と勝手ながら自負しているものの、最後までやれるのかどうかといった問題点は、同様にあります。
たとえば、わたしの問題集のなかに、勉強すれば100の身につけるべき知識と50の実力をつけるべき内容が入っていると、いまここで仮定します。復習用問題ですからそのほかのタイプの問題集よりも基本の知識を問う問題の割合が高く、応用のレベルはそれほどぽ多くは含まれていません。しかし、学校や塾などのレベル、その他の問題集と較べると、ほんのすこし高いかと思います。
この、ほんのすこし高いところが、他の問題集や教材と絶対的に異なっている秘訣を含んでいるところであり、またほんとうの実力をつける所以にもなっているところでもあります。それゆえ、定期テストの数・英の点数は高いのに実力のつきがいまいち劣る生徒もこの復習用問題集を利用されているケースがよくありますが、その声のほとんどは、「英語の基本がまだこんなにわかっていなかったのか」というものです。そして、この発見(?)はときとして、生徒よりその親御様によりショックを与えることがあります。
「勉強すれば100の身につけるべき知識と50の実力をつけるべき内容が入っている」と書きましたが、この数値でいうと、上の生徒の例でいえば、身につけていた知識はよくて70、実力も30くらいなものです。英語の成績がふつうの生徒なら、身につけていた知識は半分にも満たず、実力も20前後といえるでしょう。
とうぜん問題プリントのはじめから、間違いやわからないところ、ミスをするところが3割からヒドければ5,6割あり、○つけと直しをすれば赤だらけになってしまいます。これに驚いて、ノートに間違い直しを覚えるまでやったり、同じプリントを何度もくり返しをやろうとしたり、とにかく深く覚えるように、また忘れないようにと徹底して勉強しようとされる方がなかにいます。
この姿勢はとてもいいようにみえますが反面、学習スピードががくんと落ちることになります。ていねいにていねいに学習を進めていくことと、荒削りであまりていねいではないけれどある一定のスピードで最後まで仕上げること、のどちらがいったい良いかといえば、わたしは後者をとります。
その理由の第一は、生徒のやる気、意欲の持続の問題です。復習用問題集を仕上げるのには、その外観の分量からみても少なくて1ヶ月、多いものは2ヶ月以上かかります。いきなり毎朝5キロをランニングするのと、毎朝2キロくらいを散歩するのとでは、どちらが継続する可能性が高いかといえば、後者でしょう。途中での放棄、これがもっともやってはいけないことです。勉強も同じです。
理由の第二は、生徒なりにどれほどていねいにやったとしても、その内容が完璧になるかといえば、そうではないということです。これは20数年の経験上、断定します。時間がたつと、程度の差こそあれ忘れます。あれほどやったのにと思っても、もろくも崩れる部分があります。
数学もそうなんですがとくに英語の問題集の場合、前にやった重要な知識や問題、以前に習った文法や語彙などは新しい内容にも意識的に混ぜて作ってあります。つまり、くり返しを入れてあるわけですが、それによって知識の定着をはかっています。問題集をすこしやったくらいで、このことはまだわかりません。ミスも同様です。一度のミスの直しですむくらいなら、もっと実力ははじめからついているはずです。何度も同じミスを繰り返して、やっと直せるのです。
また一般に、積み重ねの教科である数・英の勉強とは、はじめはやさしく次第に難しくなっていくものだ、というイメージがありますが、それはこれからあたらしく習っていく方向で考えるからであり、「復習」という学習の行為の場合、必ずしもそうではありません。その立つ位置と、ものをどう捉えるかの方向性によって変わります。
つまり、問題集によるとは思いますが、すくなくともわたしの復習問題集の場合、生徒は基本そのものができていないわけですからはじめのほうがむしろ難しいのです。正確にいうなら、はじめのほうが間違いが多く、ミスも多く、しっかりわかっていない基本が多いのです。それゆえ、勉強するのに手間暇かかり、進むのに時間がかかるのです。ここをじゅうぶん知っていてほしいと思います。
そうして問題集を続けていくと、徐々に徐々に基本の知識はたまり、間違いも徐々に徐々に減っていくことなるので、やるスピードは徐々に上がり、ノート直しの量も減っていくことになります。勉強に抵抗感がなくなり、自信もすこし出てきて気持ちの余裕が出てくるのは、このへんからでしょう。ですから、とくに復習用問題集をご利用いただく場合、前半はたいへん、後半は楽、という認識と心構えでできれば進めていってほしいと願っております。
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