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§336 基本を守って勉強しているのかな?! <いいタイミング>
新中2、新中3になるにあたって、いろいろと成績に関する悩みや勉強に関する問題点が浮かんできている親御様は、とても多いかと想われます。もちろん新中1になる生徒も同様でありましょうが、ここではすでに中学の勉強をある程度経験した生徒を対象に、ちょっと見直しておくべき点について触れてみます。
といっても、これは、生徒の数だけ問題がありその症状と背景も微妙に異なり、仮にパターン化しても2,30以上はありそうですし、それを想定しただけで、書くほうもその量の多さにメゲてしまいそうなので、たったひとつに絞り込んで書いてみたいと思います。
塾に通っておろうが通っていまいが、成績がよかろうがよくなかろうが、とにかくそんなことは関係なくほぼすべての生徒に、確認しておきたいことがあります。
それは、「基本を守って勉強しているのかな?!」ということ。
基本を教えないで済む生徒は、どれほど楽なことか、というのが、いつわらざる意いです。新しい内容にだけただ集中して教え、わからないところ、理解しづらいところはちょっとよぶんに説明し、また教えたあと、問題演習での間違いやミスした個所の直しをやり、その反省とともに間違えない工夫も本人に促す。
あとはそれを本人が、どう実力として身体のなかにまで染み込ませるか、関知しない、知ったことではない、と思えればどんなに気が軽く、楽になることだろう。つまり、どうすばやく復習し、習った内容について深く要点を覚え、暗記するべきところはすべて暗記してしまう勉強を行うかは、本人の根本姿勢と努力次第。頭のなかだけの単なる理解から、自分であらたな知識や情報をしっかり手のうちに入れて、さらに使いこなせるようにする勉強は、自分の手と力で行う。
これができる、いや、できるようつねに努力ができる生徒は、ほんとにすばらしい。と、つい思ってしまうが、これはよく考えると(よく考えないでも)、当たり前のことで、勉強の常道、当然あるべき正しい姿である。勉強上の、あらゆる基本をよく理解し、そして守って勉強しているすぎないのだから。
ところが、24年の塾指導と数年の家庭教師指導のなかで、実によく味わってきて気づいたことは、いいやこの表現はどこかまだ生ぬるいですね、つねに悩まされストレスを感じつつ、そして苦く味わって思い知らされたことのひとつは、ほんとにごくごく一部の生徒を除き、圧倒的大多数の生徒(それも成績に関係なくですが)は、あらゆる場所と段階で、「基本をあまり守らないものである」という、まあごくありふれた、しかし一般の概念とはかけ離れた事実であります。
ろくに日頃満足に勉強しないで結果だけをなぜか強く求めるような、また自ら試行錯誤もしないで人に効率的な学習法を訊くような、そうした生徒の虫のいい話は論外として、「1年生では地道にコツコツやっているわりには定期テストの点数が思ったほど取れなかった」とか、「塾に通ってこの2年勉強しているのに、テストの点数が伸びませんでした」とか、あるいは「定期テストではかなり取れていても実力テストとなると、理科と社会ではがっくりするようなヒドい点数をとってしまう」とか、そのほかいっぱいあるでしょうが、このような問題と悩みで、それらの生徒の原因はどこにあるかというと、「基本を守って勉強していない」ことにある、とつよく指摘しておきたいと思うのです。
そんなことは言われなくてもわかっているよ、ということなんでしょうが、しかし、わかっていてもやらないのなら、ほんとうにはまだ改善する気にはなっていないといえるし、不満や反省の弁を述べるだけでもし留まっているなら、問題の解決にはなんら今後も至らないでしょう。
また、わかっているけれど実際やれないのも、これまた世のなかとても多いケースで、ほんとにあきれるほど多いケースで、そうなると塾など人に頼ることも改善策のひとつになりますが、当の本人がデタラメでは、またデタラメを続けるようでは、やはりずるずる穴があいたまま、その効果もあまり期待できないのは、周知の事実でしょう。
そうではなく、ここでわたしが問題にしているのは、「基本を守って勉強する大切さ」がわかっていて、それなりにいままできちんと勉強しているのだけど、それでもどうもうまくいっていないケースについてです。
これは一般に、性格的に真面目な生徒が多いわけですが、語弊のある言いかたながら、その真面目さが勉強へも真面目かというと、どうもそうではないよ、と感じてしまう生徒は、けっこう多いのである。
勉強への真面目さとはどういうものか、というと、習った内容を深く理解し、かつ身体にまで完全に染み込ませ覚え込む作業をする、そこまでの徹底した勉強の追及をつねに日頃、ふつうにできるということです。
つまり、宿題をきちんとやっているとか、また提出日に遅れず出しているとか、学校や塾の先生の授業をしっかり聞いているとか、その場の問題演習を集中して行っているとか、教えられた段取りで問題を解いているとか、毎日勉強時間をこれこれやっているとか、こうした外見的にみえる、また学校など成績表として評価される基準とは、かなり違う部分があるというか、判断の拠り所を別けて考えることが必要じゃないかと思うのです。
たとえば宿題は、次の授業までにきちんとやっていればいいというものではないでしょう。帰ったその日にやるのが基本です。3日のちにやるとか1週間も経ってバタバタやるのとでは、知識の定着にどれほどの差が出ることかはよくご存じのとおりです。授業をしっかり聞いて、その場の問題演習ができれば、その内容がすべてわかったということにはなりはしまい。学習は繰り返しのなかで理解の厚みと暗記の深さが養われるけれど、たとえコツコツ勉強しているように見えても、その学習が通り一遍で済ましているようなら、またつねに自分の頭で考える習慣や要点を押さえる勉強がそのなかになければ、定期テストでもいい点数は取れにくいだろうし、仮に取れたとしても実力テストとなると、その欠陥はまちがいなく露呈することになろう。
これはほんの一部の指摘にすぎない。各科目で考えるならば、もっと小さな、基本を守らない問題点がいっぱいあります。それらはこれまでのメルマガで詳細に述べてきているので、ここではもう書きませんが、勉強しているのにテストの点数が思ったほど取れない生徒や塾で熱心に勉強しているの成績が伸びない生徒、及びそのご父母の方は、もう一度基本に立ち返って、そして基本とは何ぞやをお子様に列挙させて、そのひとつひとつが守られているかどうかを確認してみることを、できればお勧めします。
おそらくそのひとつひとつが成績の向上を阻んでいる原因ですから、阻むものはつぶして取り除かなければなりませんね。しかし、容易なことではないでしょう。ですから、これは今後必ず守れる、これはまだ守れない(守れる自信がない)、とグループ分けして、まずは守れることから実行していくことです。
なにか新しいものを外に求めるより、すでにある古きもののなかで、よくない部分や要因を取り除くことこそ、効果があるということは案外多いものです。ちょうどこの時期は、そのいいタイミングではないでしょうか。
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