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§322 ひとつの問題集をやり遂げるコツ(改訂)
<目標を低めに設定する>
勉強のしかたにはほんといろいろ方法があるものですが、どれがいったいその生徒に一番適っているかは、一概にいえないものす。(ただそうはいっても、基本となる勉強のしかたと姿勢は古今東西それほど違うものでもなく、大筋のところは決まっているものですが。)
また勉強の中身からみれば、学校や塾の授業を通した勉強もあれば、それらの宿題をやるのも勉強でしょうし、孤軍奮闘して予習するのも勉強、日々の地道な勉強もあれば、夏期・冬期講習などの勉強、そして入試勉強などさまざまなタイプとその目的があり、一括して論じることなどとてもできるものではありません。
そうしたなかで今回、勉強のしかたのなかの一局面、「ひとつの問題集をやり遂げるコツ」について、すこし書いてみます。
学校や塾で教えられるまま、与えられるままの勉強ではなく、自分で主体的に動く勉強、それも1年あるいはそれ以上かかる長期の勉強ではなく、長くて半年、短くて1、2ヶ月くらいの期間で完遂可能な、「問題集」を利用した勉強を想定することとします。あとうすっぺらな問題集ではなく、そこそこの量と内容があるものとします。
さて、問題集をやり遂げるのになにが一番大切かというと、その原動力及び推進力として、「やる気」と「辛抱」が断然挙げられるか思います。が、しかし、実はこいつほど、当てにならないものはありません。
じっくり気長に待てばやる気が俄然出てきたり、辛抱する性格が急に備わったりするものではまずありません。そしてまた、あくまで本人の勉強へのつねの姿勢、その資質や取り巻く環境に拠ってその様態もさまざまに異なるものでしょう。
なぜ当てにならないのか。それはこれまでの自分の行為に照らせばほとんどの者は一目瞭然(?)にわかりえるはずなのですが、あるホームページに書かれていた内容をもとに、やや理論的(?)に説明すれば、次のようになるかと思います。
人間の意識には、顕在意識と潜在意識というふたつのものがある。前者は自分で自覚できる意識、後者は自分で自覚できない意識。その割合としては、13分の1が顕在意識、13分の12が潜在意識である、と。そしてこれは、氷山の海面上に見えている部分を顕在意識、海面下の本体を潜在意識、に喩えることができる、と。(ふーん、なるほど。)
たとえば初めて中学(or塾)に行くとかなら意識しているわけですが、1,2ヶ月もすればすっかり馴れてしまい、いちいち行くことに意識はしないはず。絶えず意識して行動してたら、疲れ果ててしまいます。つまり、潜在意識の働きの方が多いことがわかります。
なにやら心理学をちょっと齧ればすごく当たり前のようなことを述べている感じでありますが、次の記述部分が気に入ったので、というか腑に落ちたので書いてみます。
「13分の1の顕在意識と13分の12の潜在意識との間で衝突が起こった場合、顕在意識に勝ち目がない、ということです。」
そうなんですね、まったく。衝突するんだなあ。たえず衝突しているみたい。あれこれその内容は人によってまちまちだけど、1日のなかだけで考えてみても、ごく小さいものならつねになにかしら衝突しているみたいだな。それも潜在意識のパワーと量にはるか凌駕されて、顕在意識に勝ち目がないとは、みごと言い得ている。(こんなことにいまさら感心している場合ではありませんが・・・。)
たとえば、相撲の力士になりたいと顕在意識が思い、努力しようとしても、潜在意識では力士になることを望んでいなかったとしたら、どうあがいても力士になることができない。自分にとってなにか人生の大事な目標を達成しようとするときに、顕在意識がいくら頑張っても、潜在意識の力がなければ、その目標を達成することができない。つまり、ほんとうに達成したい目標がある場合、「潜在意識をいかに味方につけるか」が重要なポイントになる。
これを勉強の場におろして考えても、まったく同じことがいえるのではないか。たとえば公立トップ校に入りたいと顕在意識が思い努力しようとしても、潜在意識では公立トップ校に入ることをそれほど望んでいなかったとしたら、どうあがいても公立トップ校に入ることはできないし、公立トップ校に入りたいという顕在意識がいくら強くても、潜在意識の力がなければ、その目標を達成することはまずできない。
「やる気」なんて気持は、顕在意識の代表みたいものだから、本人ばかりか他人にも、当てにはならないのである。その裏にある潜在意識をいかに味方にするか、それができなくても、絶えず衝突する危険性に満ちた潜在意識といかに折り合うことができるかその方法にこそこころをくだいて考え、求めるべきであろう、と思う。
また、潜在意識には、顕在意識とは別の独自なルールがあって、これをきちんと理解し実践することで、潜在意識をある程度は制御できるようになる、とその説明には書かれてありましたが、その具体的内容までは触れておらず、まあそんなことは、心理学の本とか成功するための○○といったノウハウ本に譲るとして、わたしなりの「潜在意識といかに折り合うかについて」、つまりこれが「ひとつの問題集をやり遂げるコツ」になると思われるので、以下書いてみます。
やる気もあり、辛抱もある、は当然とします。しかし、やる気ははじめの3,4日で消えますから、消えたあとに推進力として、まるで慣性の法則のように運動状態をそのまま保とうとする動きが、潜在意識にふつふつと最後まで湧き続ければいいのです。
ですが、これを持っている生徒は、「問題集をやり遂げるコツ」なんてまったく歯牙にかける必要もありません。そういう生徒は、います。というか、とくに勉学に勤しむ年代には、これが基本だろうと思います。このメルマガをお読みいただいているご父母の方にも中・高の時代の自分の勉強の様子を憶い出してもらえば、ただ無心に、情熱と気力だけで推し進めて行った方もけっこうおれるのではないでしょうか。わたしなんかもまあこのくちでした。
もうこの問題集をやると決めたら、最後まで一気に突っ走ってしまう。やっていてほんとうに相性の悪い問題集だなと感じないかぎり、ぐだぐだ考えないで、潜在意識がどうのこうのいったヘチマもなく、ずんずん自分の計画にそって邁進、やっつけてしまう。このパワーと意欲がいったいどこから来るのか、そんなことは考えも意識もせずに。
しかし、ここ最近、ひと言でいえば、永年の金属疲労なのか、やる気と意欲がとみに減退してきたのを感じています。たとえば問題集の制作も以前なら1冊を数ヶ月(ときに1年も)かかって仕上げて、心身ともへとへとにくたばっても、次の問題集制作への意欲と気力は、いつのまにか我が体内の貯水池に満々と蓄えられていてすぐにも次に行動できたましたが、いまはそうではない。空っぽです。だから徐々に溜まってくるのを、じっと待たねばならない。上の言葉を借りれば、顕在意識がいくらばたばた噪いでも、潜在意識が邪魔をするというか、言うことをまったくきいてくれない。まるで重い荷物を背負ったラバが困憊して、主人のムチに打たれても脚を踏ん張ってその場を一歩も動こうとしないのに、どうも似ています。
それでも、なんだかんだしつつようやく気力も創作意欲も充実してきて、いざとりかかっても以前のようながむしゃらな推進力と辛抱が、どうもいまいち不足しております。最後まで一気に突っ走ってしまう根性が無い。そこで、どうしているか――。
そのやり方が、「潜在意識といかに折り合うか」の例のひとつといえるでしょうか。すなわち、「問題集をやり遂げるコツについて」とたぶんに共通しているようです。それは、三つ。
・「全体を観ない。」
まず、なにも考えないで、とにかく手をつけてしまうことである。仮に問題集の枚数(orページ)が100枚あるとすれば、ぶっつけで4,5枚やってしまう。次にする日も3,4枚する。そして次にする日も、内容がすこし難しく遅々として進まず、2枚が精一杯だったとする。さらにそれを続けて5日目くらい、ようやくここで、全体を考える。いったいすべてを終えるのは、どのくらいの日数と時間がかかるのか、また問題集の構成内容をつぶさに視て、どういう組み立てとポイントがどこにあるのかを自分なりに考える。
・「目標を低めに設定する。」
これは、ふたつある。まず大きな目標のほうだけど、それは問題集を途中で投げ出すことなく、とにかく最後までやってしまうこと。しかし、そのためには、矛盾するようだけど「目標を低めに設定する」のである。
どういうことかというと、その問題集の「3分の1だけ」をとにかく夢中でやり終えればいい、と目標を決める。上の場合でいえば、33枚くらいである。別に半分でもいいじゃないか、となるけれど、半分はちょっと気分的にしんどいのである。3分の1は、わりかし楽である。変なもので、150枚で3分の1の50枚は楽に感じるのだけど、100枚で2分の1の50枚はしんどく感じる。しかし実際は、それでも楽ではない。けれども、とにかくそこまでやり抜く。
到達できれば、一応の達成感はある。しかしほんとうに大事なのは、そこまでの過程でなにをつかんだか、どんな知識を身につけたかという実感があることである。それが次への推進力を生む。なければ、やめるしかない。勉強のしかたと気の入れ方、真剣さが足りないのであろう。いいことばかりは書かない。あれば、次に進む。進めるはずだ。
次の問題集の「3分の1だけ」を、とにかく夢中でやり終えることを目標とする。ここはしかし、はじめの3分の1よりもしんどいであろう。なぜなら、顕在意識と潜在意識との間での衝突頻度が高くなるからだ。それはなかなか回避できない。乗り越える方法は、一歩一歩コツコツ進めること、歩みを止めないことである。風はつねに前から吹いてくる。追い風なんて、まず吹いてくれない。我慢に我慢である。
3分の2ができた。ここまで来れば、もう大丈夫、とはいわない。一瞬達成感を味わって、気を引き締めなおす。けれどもここは、そのやっている内容がたとえ難しくとも(大体が、問題集ってなものは、最後のほうが難しい単元があるね)、気分的には坂道を下っているような感覚で、わりかし楽である。もう
引き返すことも投げ出すことも実に惜しいので、最後のゴール目指してとぼとぼ進んでゆけばいいだけ。
大きな目標は、こんな感じ。次に、小さな目標。これは日々の目標である。目標を低めに設定するとは?
はじめの4,5日すれば、その問題集への自分の取り組む要領と勉強量がおよそ測れるものでしょう。それが、たとえばがんばって4枚できるかなとすれば、日によって気分の変動があるものだから、つねにがんばる仕事量(この場合、勉強量)を維持、続けていくことは無理なのである。昨日は気分よくすいすいこなせたものが、今日はなぜか気分重く、どうもやる気もいまひとつ出てこず、目標とする4枚をこなせる気がしないってこともある。
そういうときは、今日は2枚をすればいい、とはじめに目標を低めに設定すればいいんだね。これなら気分も軽くなる。その2枚だけをとにかく集中して、やり遂げる。そうすると、やっているうちに気持がなぜか入り、もうすこし続けようかという気も起こるかもしれない。そのときは粘り強くすればいいし、起こらなければ、満足して完了だ。
よくないのは、今日はどうも気分が乗らないからとか、他の用件で時間がなかったとか、そんな理由でまったくしないことである。結果をつねに残す。それが目標に届かずとも、どんなに小さくてもいい、目にみえる結果と痕跡を残す。これが大事なのである。次につながるから。
・「けじめをつけない。次の作業のすこしをやり残す。」
常識では、勉強が終われば、机の上はきちんと整理整頓できていなければならないはず。しかしこれは、90%正しく、10%間違いである(数値はいい加減)。板前さんやコックは仕事が終われば、包丁やフライパンをきれいに磨きあげるが、画家は仕事場の絵筆を片づけるか? 作家は執筆中の原稿を片づけるか? はじめに、勉強の中身もいろいろあると書いたけれど、1冊の問題集をある期間内に集中して仕上げる勉強は、上記の喩えのどちらに近いのだろう?
そうです、後者のほうです。つまり、机の前に座れば、すぐに鉛筆を持って問題集に取りかかれるのが、いいのです(と、わたしは思う)。考えるヒマもなく、即没入できる状態、これがいい。なぜなら、顕在意識と潜在意識が衝突するヒマも無いからです。
けじめをつけて整理整頓されていると、勉強に取りかかるまで、いろいろな動作とそれに付随する当てにならない気分が、まず混じるでしょう。これをできるだけ遠ざけたい。
また、「次の作業のすこしをやり残す」とは、今日の勉強のノルマが問題用紙3枚としたら、次の4枚目の1問とか、ほんのちょっと先まで中途半端にやっておくことを意味します。これなら次の勉強のときには、その続きから即刻スタートが切れる状態にあるんですね。
このちょっとデタラメでいい加減にみえる勉強のしかたは、ふだんいい加減に勉強している生徒にはまったく向かない。むしろ性格的に几帳面な生徒にこそ向いているかと思います。なぜなら、中途半端がキライですから、中途半端が気になってそれをすぐに埋めようと勉強するからです。その中途半端を意識的につねに残す。これが続ける秘訣です。
以上です。「ひとつの問題集をやり遂げるコツ」について、3つ書きました。
やる気はすぐに消え、辛抱も潜在意識との間で衝突を繰り返す。強い勉学意識がある生徒でないかぎり、常識的な勉強方法というものはなかなか通じないのが現実であろう。その意味で、この3つの従来の考え方と真っ向対立するかにみえる勉強のしかたが、なかには役立つ生徒もいるかもしれない。そういう意いで今回、書いてみました。
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