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§299 中2学習について VOL.2 new
<予備知識として>
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4.英語の学力格差はこの中2で、さらに拡がる。決定的といってもよい。
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中1英語で習った内容が基礎なら、中2英語で習う内容もまだまだ基礎である。平ったくいえば、基礎の内容を横に広げていくのが中2英語の学習といえようか。学力の格差をさらに広げていくのは2学期以降だが、学力の格差を縮めておけるのは、1学期である。
1学期の学習はひと言でいうと、ゆるい。英語の学力が思わしくない生徒にとっては、とり返す絶好の機会である! わたしの感覚でいえば、敗者復活戦(?)みたいな期間である。習う単元は「過去形」が中心。過去形ほど文法がやさしい単元はないだろう!? 文法的には過去形の規則を理解し不規則動詞のスペルを暗記すること以外、いったい何があるというのだ? ほかに何が理解しにくい点があるのか?
語彙など増やすほか、ありません。ただ現在形で習った文法とその約束事、そしてさまざな知識を、そのまま過去形にも持ち込んで対処すればいいだけのことだ。だから、ゆるいと書いた。しかしこれは、鷹の目である。
蟻の目でみれば、事態はとんでもない様相を示していることに気づく。また気づいてほしい。中1で習った文法に、ひび割れがあちこち生じている。憶えていて当然の単語が正確に書けない。熟語も思うほどまだ知らない。基本的な英文も暗記できていない。など、よくもまあそれだけ物事を忘れるねというのが、平均的な生徒の英語力の姿です。
これは知識面で書いているが、実際には作業面の問題もさらに深刻に付加される。疑問文で?マークがつかない、肯定文でピリオドを打たない、疑問詞のある疑問文の語順が基本的にまだわかっておらずデタラメな文を書く、進行形なのにbe動詞がない、和訳が適切でない、などなど数多のミスをする。
こうしたことをね、英語の学力が不十分な生徒(8割以上いるけれど)は、過去形のゆるい学習をしているあいだに、真剣に直していかねばならない。あるいは、一から学び直し覚えていかねばならない。英語の学力がじゅうぶんついている生徒(1割未満)は、叩いて叩いてその基礎を、さらに強固にしていってください。
そうでないと、基礎の内容をぐんぐん横に広げていく2学期以降の学習で前者の生徒は、つねに上記の負の学力を引きずることになり、勉強はしている(?)のにテストでは相も変わらずあれこれ間違って、自分が思ってるほどいい点数はとれないことになる。もう一度書く、学力の格差を縮めておけるのは1学期です。
以下5から8は、問題提起or注意喚起である。では具体的にどうすればいいんだという方法や助言は、HP上にさまざまに細かく載せておりますので、それらをまたご参照ください。あくまで生徒自身が考えること。これがなにより大事か、と。
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5.国語の力は中1と較べて、どれだけ進歩したのか?
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一般に、なんでもいいが何か勉強をするかぎり、その知識と力は、1年前より、程度の差こそあれ確実に増え伸びているはずです。(この定理は正しいですか?)ならば、国語の勉強はどうなんだろう? 1年前とさほど変わらないという印象をもし抱くなら、それはとんでもないことだ、とは思いませんか?
英語や数学、社会や理科とその知識・学力の進歩を較べること自体、そもそもおかしなことなのかもしれないが、そんなことお構いなしに同列にみて、国語の勉強のしかたを問う人は多いものだ。
国語が得意な生徒(あるいは親)が、国語の勉強のしかたを問うことは、わたしの知る限り、100%(?)いない。国語を完璧に苦手とする生徒(及びそのご父母の方)か、他の科目に較べて点数がおおいに劣る生徒だ。
それに対し、数学や英語の場合、苦手な生徒はもちろんだが、たとえ得意であっても、数・英の勉強のしかたを問うことはけっこうあるといえる。その理由は、さらに伸ばすため、あるいは本物の実力をより磨くために、である。
この違いに、国語の科目の本質性がある、とはいえまいか。
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6.理科と社会の勉強は、あいかわらず浅いのではないか?!
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定期テストのためだけの勉強、またその覚え方では、決して実力はつかない。(決して、という言葉は例外もありあまり使いたくないが、その例外を生徒にみた経験がこれまで一度もないので、ここでは使うことにしました。) こうした浅い学習は、その目的が済んだらすぐ忘れる。
勉強して忘れることは、わたしなんかが学生時代だったときはとくに、自分自身に対してとても情けなく、恥だと思っていたが、いまはそうでもないらしい。忘れて平気な生徒、忘れることになんの痛痒も感じてないようにみえる生徒が多すぎる。また、定期テストでは90点そこそことっているのに、実力テストになるとガタッと下がって、平均点くらいになるんで困っています、なにかいい勉強方法はないでしょうか?と、どうして忘れるのかの原因分析、反省もじゅぶんないまま、丸投げの質問をする親もネット上ではけっこう多く見受けられる。
よくね、勉強は量より質である、と述べる人がいます。これはきわめてもっともらしく聞こえるけれど、ほんとうか? 基礎がなっていない生徒には、質を追求しても、その質は染み込まない。量が、要るのだ。では、基礎ができている生徒にはどうか? 同じですよ、量が要る。では、応用ができている生徒にはどうか? ここではじめて、質が問われるのだ。
一度勉強したことを忘れるというのは、記憶力の良し悪しとその鍛錬にも負うところはあるけれど、そもそも量がまったく不足しているからである。ここに、量を追求する学手法はあるにしても、質を追求する学習法なんてない。質を追求できるのは、量がこなせたあと実力がちゃんと備わってからである。
ただし量とは、単純に数量的に多ければいいといっているのではない。時間を置いての繰り返しとか、問題への角度を変えての学習とか、またもっと考える勉強の時間の増加とか、これらを総合した量のことを指している。
理科と社会の勉強において、まずは量がこなせているかどうか、そこを自身に問うてもらいたい。
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7.中2の学習がまずければ、3年になれば実力は下がる。当たり前ではないか。
問題はそのまずさに気づいていないことだろう。
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「成績が下がる」とは書いていない。「実力は下がる」と書いている。
ふだんの成績=実力であれば、ほんということない。そういう生徒も確かにいる。そうでない生徒も確かにいる。五分五分ならわかるのだけど、残念ながらそうでない生徒の割合がとても高いのである。用心である。
まずい学習というのも、効率的な学習と反対の意味で使うなら、それは必ずしもまずい学習とはいえない。なぜなら、とかく生徒の効率的な学習には実力が伴っていないことが多いからだ。その反対に、傍からみてまずい学習をしているようにも見えても、実力が形成されていることがある。
だから、まずい学習というのは、必ずしも世間の尺度どおりとはかぎらない。前回では数学について、まずい学習の姿は言及した。今回でもすぐ上の5,6でも国語、理科、社会についてまずい学習の姿を述べている。
ふだんの良い(?)成績に目をあまりに奪われずに、その裏に隠れている学習行動の在りかたとその実力の所在を、しっかり掴んでおきたいものである。
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8.中2の実力は、高校入試の視座で瞰ると、まだ半人前以下である。しかしその半人前
以下の学力を、中2のあいだになんとしてもつけておきたいものだ。
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これはHP上で、
・「中2から中3に向けて<疑問と指摘しておきたい点>」
・「中3学習のありかた VOL.1 <理科と社会について>」
・「中3学習のありかたVOL.2 <数学と英語について>」
・「中3学習のありかた VOL.2(続)<数学と英語について> 」
のブログ内容を、すでに読んでいらっしゃる方には説明を申し上げることはありません。この真意をできるだけ正確に伝えるためには逆に、これほどの内容量がかかったということですが。よければまたご参照ください。
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