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  高校入試でターイセツなこと、って何だ?!
§239 ノート直しについて
<残りの2や3を自分で埋めてこそ>

 ノート直しについて、今回すこし書いてみます。

 吾がホームページ上の「学習のしかた」ではすでに、「ノートまとめについて <実力獲得の近道>」というものを載せています。まあ、どちらも学習上の作業としては欠かせないもので、勉強の基本スタイルとしてきっちり身につけておきたいものなのですが、現実このどちらもできうる力のある生徒となると・・・。

「ノートまとめ」が攻めの勉強のなかのひとつの大きな武器とするならば、またこれはどの生徒にもできるものでは決してないということを空疎な理想は別として痛いほど経験し、知っているわけですが、いや、思い知らされたわけですが、この「ノート直し」のほうは、ほぼ誰にでもできるものであり、守りの勉強としてどうしても必要で、最低限きちんと正しいやり方を身につけておかねばならない、基本中の基本の勉強の作業といえるでしょう。

 ところが、これが中学の2,3年生にもなってまだ自分のものになっていない、やり方がどうにも拙いというか、下手すりゃあなんのためにするのか、それさえ理解していない生徒が、もう勘弁してもらいたいのだけど驚くほどいるわけです。その意味と、こうしてやるんだと具体的に明示し、詳しく説明しても、3,4回も規則的に続ければすぐに乱雑になったり、旧弊・旧悪とでもいいたくなるほどの以前の自己流の雑で頼りない基準に戻ったり、またはこころと気持ちがほとんど入っていない作業というか、つまり、頭になんら記憶されているとは思えない、表面的な、ただ言われるからやったにすぎないことがみえみえのノート直しの作業になっていたりと、勉強のなかのこの簡単明瞭にできる領域ですら、安心してまた信頼して観ておれないのには、ほんとに疲れるところであります。

 成績が悪いからこのノート直しも杜撰になるのか、ノート直しを杜撰にするから成績も悪いのか、そんなことはほとんどの場合、必然的に絡み合っていてどっちでもいいのですが、とにかく比例していることは間違いない。わたしの目からいえば、公立中学生の半数は、このノート直しが杜撰である。残りの半数も形だけの勉強であり、内容が伴っていないことが多い。

 そのノート直しの科目とは何か?――

 授業などは別として、自分で5科目のノートを使う学習においては、理科と社会は、勉強の進め方において、ノート直しという作業そのものは不似合いな科目であり、むしろノートまとめを如何にやるかがポイントになる科目といえるかと思います。そして国語も実際、漢字や文法などは有効にしても、その他の場面ではノート直しの量は少ないでしょう。つまり、最もポピュラーなノート直しといえば、十二分にご承知の如く、数学と英語の2教科になりますね。

 よって、この数学と英語を想定して書いているわけですが、本来、ふつうに勉強しておれば、即ち、ふだんやるべきことをやって、考えるべきことは考えて、覚えるべきことを深く覚えておれば、そして定期テストだけではなく実力テストになったからとて急激に下がるようなこともなく、良い点数が維持できる勉強をしておれば、ノート直しの学習などは、最後の受験対策に入った勉強でない限り、特に必要ないのです。

 しかし、この意見は、冒頭で書いた、どちらも学習上の作業としては欠かせないもので、勉強の基本のスタイルとしてはきっちり身につけておきたいものなのです、とは明らかに齟齬があります。つまり、生徒すべてをひとつの条件で括ることは無理なわけで、これはあくまで一部の寡少な生徒にだけ当て嵌まることであり、もう圧倒的多数は、その成績を上げるためには、このノート直しは欠かせない必須の作業といえるのであり、対象を二面的に見ざるを得ないわけです。

 これをお読みの方のなかにも学生時代、さしてノート直しなんかしなかった、なぜこんなことをわざわざ強調するのかわからない、という方もおられるでしょう。わたし自身も「ノートまとめ」のほうはそこそこしましたが、「ノート直し」に関しては、ほんとうに応用的なものを除いてほとんどどしませんでした。それは、ふつうに勉強していくなかで、ノート直しなどしなくてもよいように、「ふだんやるべきことをやって、考えるべきことは考えて、覚えるべきことを深く覚えた」からであります。つまり、ふだんの学習の中で、勉強はほぼ完結していました。

 こう書くとなにやらカッコいい、スマートな勉強のしかたのように見えますが、事実はその逆です。決して難しい勉強のしかたではないし、当たり前のことを当たり前にしただけなので、詳しく書いてもここでは話しが拡がり過ぎて意味はありません。ただ、勉強は教えられた事というものは高々半分にも満たず、残りは自分の責任のもと自らの頭で考えるものだという意識を、ごく自然に持っていたように思います。

 この認識が、いまの生徒には乏しい。学校だけでなく塾にも通ってよぶんに勉強しているのに、それでもその勉強が完結していないことが如何に多いことか。塾に通って1年、あるいは2年と経つのに、成績が一向に上がらない生徒が、一般に呆れるほどの率でいるものです。このことを生徒の側だけであえて捉えていうなら、「いつまで経っても勉強を自分の手で完結させない」からであり、その姿を外側から視ると、前に書いたけれど、排水管を空けたまま水を入れている状態というか、もう少しましな生徒でも、排水管を閉めたのはいいがきっちりしまっておらず、ちょろちょろと漏れているのに気づかず、時間が経てば溜まったはずの水がすっかり減ってしまっている、とでもいえばいいでしょうか。これでいったい、どうして成績や実力が上がるのだろうか?!

 10のこと(←ここでは基本とする)を習ったなら、10のことを吸収し自分のものにするのが勉強だろう。それが7や8できたところで満足し、またそれで大いに勉強していると思っているのが、ふつうの生徒の感覚である。自分で勉強している生徒ならまだわかるが、塾やその他の勉強を余分にしてこの結果であることが一般的だから、どうにも頼りない限りである。

 残りの2や3を自分で埋めてこそ、8や7の学習が生かされるのであり、そして10の吸収となるのだけど、その2や3はただ眺めているだけか、あるいは放置しているのだ。ああ、わかっていたのにとか、単なるケアレスミスだとか、あるいはじゅうぶん考えようともせずわからないとか、説明や解答を受けてふむふむなるほど、と解かって自分でできるように錯覚したりとか、まあそんな状態で。

 では、いつかこの残りの2や3の内容を吸収するときが来るのかといえば、もうそれは断言するが、来ない。勉強するとは、実は残りの2や3を埋めていくことであるということがほんとうに自覚でき、こころの底から感じとらない限り、それは無理な相談である。その自覚と認識がもしあれば、ノート直しの必要性は他人からくどくど言われずとも自分で当然しているはずであり、真剣にかつていねいにしているものであろう。

 さらにもう1点、大事な事実がある。

 それは、忘却である。10の基本を習っても、時間が経てば(半年もすれば)、10すべて覚えていてできる生徒というものは、たとえば当初は10%いたとしても5%以下に減っているであろう。では、7や8できたところで満足している生徒はどうだろうか? その力は5か6になっているのが常識の線である。つまり、2や3の自分で埋めておく部分が相変わらず抜けているのはもちろん、わかってできていたところでさえ忘れるのが、その有り様である。

 これではいけないことは十二分にお解かりであろう。だから、どうすべきか。それは、すでに書いています。

 一度、ノート直しの内容を、実際に自分の目で見ることをお勧めします。 そんなものはないよ、という、とんでもない返事が返ってくる場合は別として、その直したもののなかより、ランダムに抽出して覚えているかどうか、できなかったものができるようになっているかどうか、問うてみればいい。ひとつでは学習の正確な姿はわからないので5つほど抜き出し、確認してみればいい。

 ノート直しには、日々の学習のなかでするものや、定期テストや実力テストなどのテストの直しもあれば、またいままでに習った範囲の総復習の勉強に対してするものもあります。それぞれ微妙に内容が違うでしょうが、やるべきことは決まっている。そしてノートに直したことがすべて、正しく頭に入っているかどうか。さて、その実像はどうか・・・。

 そこから、ノート直しの実態がはっきり把握でき、また隠れた問題点が見つかり、よりよき勉強の進め方の道もみえてくるのではないかなと考えます。