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§193 問題集の選び方について
<問題集の買い方に・・・>
問題集の選び方について、という題名にしましたが、実は言いたいのは、問題集の買い方なんですね。
どの問題集を選べばいいのか、というのは、それを使う生徒の力、目的、また学年、使う時期によっても、別けて考えねばなりませんね。実際、教科書準拠の問題集からワーク形式のまったく基礎だけを固めることのみ重視した問題集があるかと思えば、応用と発展のみを取り扱った難度の高い問題集、説明とまとめがあり、そのあと基本問題、標準問題といった、一般的によくある構成の問題集もまた数多くあります。1,2年に限定した復習編の問題集や、入試対策の問題集にも、そのレベルや過去問の編成などで実はさまざまな種類があるのが実情です。
さらに、学校から与えられるサブの問題集もあるでしょうし、塾に通っておれば当然、塾専用の問題集や大手の塾ならオリジナルの教材を使うところもあり、そういう場合、どの問題集を選べばよいかといった問題はあまり生じないこともなかにあるでしょう。
まあ、そのケースは除くとして、個人で任意に購入される場合、使う事情や目的によって択ぶ問題集が異なってくるのは当然なんですが、大きな書店なんかに行くと、平積みから棚からそれこそ一杯並んでいて、択ぶに相当迷ってしまう。
実はこれを書いている最中にも紀伊国屋書店に行ってきて、問題集を一冊買ってきたのですが、たったそれだけでへとへとに疲れました。小1時間突っ立って、あれこれ手に取り、調べ、今回わたしの意図に合致してくれる問題集はなく期待はずれ、諦めてその関連の問題集や参考書すべてに目に通したのですが、どれも一長一短、なかには表紙の謳い文句や艶やかさに比して内容はどうにもお粗末、これじゃあ一短ばかりが目につくと思えるものもあり、 そんなことはこれまで何度も、いや何十回も、職業柄人より多く経験はしているのですが、今回も同じ轍を踏むことになりました。
二冊は買いたいなと思っていたのですが、どうにもその二冊目にいいものが、気に入って納得するものが見つからず、ここでへたに妥協するのもよくないと一冊だけにし、帰り途中、喉が渇いたもので喫茶店に入り、その買った一冊をあらためてじっくり視ました。ところが、・・・。
うーっ、これは、ちょっと失敗であるなあ・・・、と深い溜息となんとも情けない想いが、瞬く間に体中に伝わりました。あくまでその失敗の理由は、この世でただ孤りの個人的な意図に属し、説明したところでなんのこっちゃ?という、お粗末なしろものに過ぎませんので割愛(?)するとして、二兎追うものは一兎も得ず、の諺をそのまま地で行ってしまった感覚だけが残りました。
それでもですね、負け犬の遠吠えみたいで説得力には欠けますが、わたしなりにその混迷の1時間のなか、形としてはありませんが、あれこれ雑多な問題集を択ぶ作業を通じて、情報として、また判断する材料として掴んだものが二、三あるわけです。
勉強をする者と教える者と、その立場や長年のキャリアが違えば当然、問題集を視る眼も角度も、また分析の深さや判断も異なるのはしかたがないわけですが、ある意味、そんなことはどうでもいいことだと思うのです。
中学生にもなれば、自分の足で本屋に行き、自らの眼と手であれやこれや問題集、参考書を手にし、比較し、大いに迷い、足が棒になり、くたびれ、最終自分に適った問題集を決める、これが大事ではないか、と。
わたしなんかも遥か昔、それは小学生の5,6年から、近くの本屋に行っては自分の眼と感覚で、気に入った問題集や参考書を買い出しましたが、そして中学生にもなれば、母親から貰った貴重な大金を手にして、2,3時間もかけてああでもないこうでもないと粘っては、10冊前後の問題集や参考書を買って帰った記憶が、幽かですが憶いだされます。
もちろんその中には使い切れなかったものや、使っていくなかでどうもいまいち波長が合わない問題集もありましたが、自分で決めて買ったのですから親にも自分にも責任があります。途中で気に喰わないと放擲することは、子供なりの自尊心(?)が許さず、まあその8割くらいはどうにかこうにかこなしていったかと思っています。
いまは勉強を取り巻く環境や状況もガラリと変わってしまった感がしますが、そしてインターネットが発達してネット上での学習はもちろんのこと、わたしなども作成・販売している、まったくオリジナルの教材もネットを通じて知り得たり、使っていただいたりするわけですから、子供が直接に手の届く場面や世界は、ある意味逆に狭くなっているのかも知れません。
それゆえ尚のこと、自らが動ける範囲は、立ち竦んで足が棒になり、いったいどの問題集を選べばいいのかと迷う姿は、母親にではなく子ども自身に欲しいと願うのは、わたしだけではないと思うのですが・・・。
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