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  高校入試でターイセツなこと、って何だ?!
§22 覚えるということについて 
<実力の所在>

 今回は、「覚える」ということについて、少し書いてみたいと思います。
 実は、なぜこのような大きな、抽象的な表題について書く気になったかといえば、次のような表現を目にするにつけ、小首を傾げるとともにある種のやるせなさを感じるからです。

「・・・・、毎回読んでいけば自然と成績がアップします」
「・・・・、毎回解いていけば自然と実力がアップします」
「・・・・、読むだけで頭に入るように作られています」

 世のなか、キャッチフレーズだらけ。今や雑誌のみならず、本の題名も人の目と注意を惹くキャッチフレーズが氾濫し、インターネットの世界でもそれは常識となっています。しかし、よく見ると、或いは知っていくと、その半数以上は内容が浅かったり、思ってることと随分違ったり、単に利用されている立場だったりして、がっかりすることが多いですね。

 本当に役に立つ情報というものは、これだけ氾濫する情報の中で驚くほど少ないと、あらためて気付いている次第です。またキャッチフレーズについても、わたし自身数々失敗し、苦渋を飲まされたものに、「簡単に・・・が出来る」という文句があります。パソコン関係の雑誌、本に必ずといっていいほどに載ってる、購買意欲を促すフレーズ。実際は簡単どころか、とっても難しいので、途中で投げ出したり、自分の力が未熟なのかと劣等感に苛まされたり、自信がうせてしまったり、そんな痛い経験を何度もしました。

 最近ようやく学習できたのか、その文句にも騙されず(?)に、用心するようになって来ましたが。今回も前置きというか、のっけから話題が少しずれましたが、生徒を教えてきて20年近く、「覚える」ということに随分悩み、考え込み、試行錯誤して参りました。

 その結果の真実は、「覚える」といことは生徒の実態に照らして言えば、「忘れる」ということです。もうこちらが、「唖然とする」という言葉をはるかに越えて生徒の「覚える」という行為は、時間の経過によって圧倒的な迫力をもって「忘れる」という忘却の海に流していきます。

 では、「忘れる」とは具体的にどういうことか。その定義を次のように捉えています。100の基礎的なことを習った。もちろんその他応用や詳しいことも当然学習しています。100を例えば塾で知り、理解し、演習し、覚え、更にその上学校で学び、テスト前には再度、塾や自分で復習し、忘れてるところは指摘されたり、覚えなおした。よく頑張って、テストの点は90個出来、90点を取った。

 <時間が経過した!> 3ヶ月でも半年でもいい。でもここでは、ほぼ1年後の実力テストの段階としましょう。応用ではなく基礎の100です。人間ですから忘れますね。自然なことです。当たり前です。でも、ややこしいとこではなく基本ですから、わたしの基準ではまあ甘く見て70ぐらいは覚えていて欲しい、と思うんです。それが実際は50ぐらいなわけですね。わたしの基礎チェックのテストでは厳しいのか30ぐらいになります。このレベル、状態を「忘れる」という言葉で表しています。

 これが公立中学に通ってる生徒の大部分の姿であり、現実です。

 よって、最初に書きましたようなキャッチフレーズの中で、「自然と」成績が上がるなんて文句はとても考えられず、ましてや「自然と」実力がアップするなんて夢物語なわけです。「読むだけで」頭に入るなんて、確かに入るかも知れませんが、入った後、直ぐさま抜けるんではなかろうか?! 読むだけで頭に入るのは、知能指数130(?)以上の秀才、天才の頭脳の中の出来事だろう。また、私自身も含め、こと勉強に関して、今までに「自然と」成績が上がった者を知らないし、教えたこともない。

 たえず新しいことを学ぶに際し、「自然と」忘れることは苦もなくできても、「自然と」覚えることは誰一人できない。もうこの辺で「自然と」という言葉とおさらばしたいが、およそ勉強に関しこれほど不似合いな、場違いな言葉はないだろう。

 努力をしなければ成績は上がりません。習ったことはしっかり深く覚えなければ実力はつきません。忘れたら、というより、忘れるから、繰り返し復習して完璧になるまで覚えねばなりません。習ったあと直ぐできたとしても、それは実はまだ完全に覚えたのではなく、本当にわかったと、自分の頭と手でできるまで考えねばなりません。

 これらの作業と考えるという姿勢によって、「覚える」という行為が身につき、頭の中に定着するのだと思う。
 現実の中のわたしは、生徒の学習作業と、特に問題を解いたあとの顔を観て、
「ああ、この問題はこの生徒に残らない」と感じることがしばしばあります。
 何故か? その生徒はすらすら解いてるのです。他の生徒より早くできてるのです。その後の過程を先に述べますと、定期テストでは80何点かは取るのです。

「こりゃ、ぼけっとすんじゃない。考えんか、今何をしたかを。そのポイントを自分の頭で考え、覚えんか」と、わたしは生徒に注意します。

 ここで生徒のタイプを大きく別けてみましょうか。一つの課題(大体、5分から10分の作業です)をした後の姿です。

1.顔が下を向いていて、やり終えたあと、自分の書いた内容に誤りはないか、或いはどこが大切 なのか、等を考えてる生徒です。
 
2.「その場ではわかるんだよ。わかるように教えてるんだから。問題はそのあと! 今度は自分  の頭で考え、理解し、覚えること。それには今!やってることを深く見つめ、ポイントを捜し、覚 えることに集中すること」―――
 この指摘、注意を(何遍もいいますが)、素直に自分のものとし、実行してる生徒。

3.顔が上を向いてるか横を向いてる生徒。即ち、2のことを何度指摘しても直らず、または時間  の経過とともに直ぐに自己流の浅い勉強の仕方に舞い戻ってしまう生徒です。学習内容は理  解できてます。

4.2を頭に入れて、何とか守ろうとするのだけど、時間一杯かかり、自分の頭で思考する余裕の ない生徒。表面的にしかわかっていませんね。

5.その場の学習が飲み込めない生徒。

 上でわたしが注意した生徒はもちろん3番目ですね。厳しい言い方になりますが、これでは定期テストではまあできたとしても、実力はつきません。皆様のお子様はどれに該当するのでしょうか。勉強に対する姿勢という前に、性格の姿勢といえばいいのだろうか。これは入塾テストでは知りえないことで、実際教えてみてそれも数ヶ月経たねば判断できないことでもあります。

 こちらが何も言わなくても1番のことができる生徒は、ほんの数パーセントに過ぎませんです。5番の場合もたまにあるのですが、大部分は2,3,4番に当て嵌まります。わたしの指導は少々強引にも全員を2番へもっていこうとするのですが(勿論、いい面と悪い面もありますが)、理想は1番で、そんな当り前のこといちいち言う必要もない基本です。

 しかし、現実はそれを許しません。残念ながら口うるさく2番のことを言わねば、生徒はわからないのです。そして更に2番を分析すれば、問題点というか★「実力の所在」★が明確になってくるのではないでしょうか。

2 番をもう一度書きます。
「その場ではわかるんだよ。わかるように教えてるんだから。問題はそのあと! 今度は自分の頭で考え、理解し、覚えること。それには今!やってることを深く見つめ、ポイントを捜し、覚えることに集中すること」―――この指摘、注意を(何遍もいいますが)、素直に自分のものとし、実行してる生徒。

 まず問題点から言いますと、これはあくまで塾の中での出来事、事象だということです。家に帰り、宿題(当然出ます。習いっぱなしで何の力がつきますか? 少し大袈裟ですが、一を聞いて十を知る生徒ならその必要はない。一を聞いて一を知る努力をする生徒も宿題を出さずともよい。けれど現実は、十を聞いて一を知る生徒のなんと多いことか・・)を今度自分でするわけですから、その場合、大きく二つの流れになるわけです。

 一つは、そのまま自分で学習する場合でも、再度ポイントを考えながら覚えようとする生徒ですね。もう一つは、与えられたからしなければならないと、ただ漫然としている生徒です。このあたりはもう少し詳しく述べたいのですが、長くなりすぎるので別の機会に譲るとして、前者は当然少ない。大半の生徒が後者になるわけですが、その学習は目減りしています。

 そして、実力の所在は前者の学習姿勢にあるのであり、自分の頭で考え、理解し、「覚える」という作業にあるということです。このことは何も塾に行っていなくても同じです。要は、習ったことは覚えるという簡単な理屈を、どう体現しているかなんです。

 成績が上がれば実力が上がるものでもない。また、実力は人がつけるものではなく、自分が勝ち取っていくものだ、ということをしっかり認識して欲しい。それは、わかったという表面的な意識から本当にわかったのか?という問いを自ら発し、自分の頭で考えるところから生まれる。その場所は復習にある。