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§161 英語の出来がよくない生徒にVOL.3
<入らないでしょう、最初は>
教科書の音読が・・・。
やることやって、といってもまだ教えて3ヶ月が過ぎた頃だが、成績が意外と伸びない生徒Aをどうするか? ひょっとしてこ奴は、どうしても無理な10人に1人のケースに入るのかな・・・。
やることをやっての中身には、限界がもちろんあるわけです。つまり家庭での本人の学習のしかたに、こちらが指示した、また口うるさく注意したり助言したことの徹底化をどれほど図ったとしても、中途半端なところと詰めの甘さがあると、折角塾で築いたことがまた築こうとすることが、空回りしたり、下手すると半減したりすることになります。
現在の公立中学生を指導して痛切に感じるところは、大なり小なり9割以上の生徒はそういうものだ、ということ、問題集上の、或いは授業上の指導で数々の工夫をしてそれを、つまり本人のまだ至らない部分や穴を塞ぐことに努めフォローをするのですが(しかしこれは、おかしいのですよ、本来これは自分ですることですし、そこが勉強の基本であり、核心でしょう)、できのよくな
い生徒というものは当然というか、特に自分ひとりで押さえるべき勉強の中身の1つ1つが不徹底なので、学習上の進歩の度合いに鈍いものがある。
では、何か効果的な学習法があるのか? 「効果的」という言葉を除けば、ある。わたし自身、学生時代、「効果的」な勉強をした経験も覚えもない。効果的という言葉とはまったく無縁なところで勉強してきたし、そこにはわたしなりの多少の工夫の積み重ねがあったとしても、大抵はまともにぶつかって、しどろもどろのなか、また勝手気儘ななかで多くの壁と障害に遇いながら、あ
るときはそれを乗り越え、あるときは完全に負けて、まあ皆と同じようになんとかやってきたにすぎない。ただそこには、他人からは安易に教わらない、自分だけで、自分の力のみで会得してきたものが、少しはある。
効果的というのは、本人の9割の努力があってその上に、あと1割を載せるときに使うんだろう、また可能性として生きてくるんだろう。そもそもいい加減なところで、また大した努力も試行錯誤もせずに、3割ぐらいの過程の段階で効果的なこともなにもあったものではない。相当にやっている生徒でも、わたしの目から視れば、いいところ7割前後にしか映らない。まだ2割ほどは本人の
自覚と必死の行動で補えるのだ。それがもし詰められて、いよいよ本人の努力と試行だけではなんともならない、まさにその状況下で、効果的なアドバイスなり、打開と実践につながる方策を提供しえるのだと考える。
厳しい視点ながら、残念なことにこれまで、そこまで到達している生徒に出遭ったことがない。それゆえ、生徒には基本の学習と正しい勉強姿勢を教えるのみ。その範囲内で、生徒Aの足りない部分、欠如しているものは、何か? いや、この言い方はおかしいですね。足りない部分、欠如しているものが多過ぎるから、結果が思うように出てこないわけですから。その原因がどこにあるのかは、いままでにかなり書いています。
そのなかで、一つ、教科書の音読、これが足りません。
教科書をかなり重視する塾の場合、これは義務としてそこそこ行っているでしょうが、一般には極めて不足しています。わたしの塾の場合、教科書中心からオリジナル問題集中心にその重点を移行したため、重要構文の暗記とその音読はかなりするのですが、やはり力の不足している生徒は実力面はもちろんのこと学校のテストに対しも、教科書の内容が十分にのみ込めていませんから、当然のごとく点数は悪い。
そして同時に、英語感覚なるものが、まったくといっていいほど染み込んでいない。それは英単語を書かせればすぐにわかりますし、また英文を読ませれば一目瞭然です。なんてひどい読み方をするか、教科書を持って来させ、いま習っている章を読ませてみてください。聞いているこちらの気持ちがギクシャクして肩が懲りますから、すぐにわかます。
ぎこちなく単語をきざみながら、そして途中の変な箇所で区切って読んだり、またつまって読むのをやめるのはもちろんのこと、疑問文は最後を少し上げて読む、疑問詞のある疑問文は肯定文と同様下げて読む。この基本ですら、まったくできていませんから。そしてそれを直すのに、少なくとも延々30回以上は繰り返し注意しなくてはならないことも、不連続でも長く教えればわかるでしょう。
この教科書の音読は、塾に行っている行っていない関係なくできますから、是非やるようにお勧めします。それをしたら、どうなるんだ、と功利的に考えないほうがいい。しないよりはするほうが、いつもいいんですから。それは3ヶ月ほど経ったときに漸く、少しは進歩していることに気付くでしょう。
問題はここでも、継続できるか否かです。しかし、ここまでなら誰でもいえる。実行は、いつでも具体的でなければならない。生徒Aとそのお母様にも課した指示とアドバイスをここにも書いておきます。ご参考になるところがあれば。
教科書のいま習っている単元を、毎朝、毎晩5分、声を出して読む。机に向かって座り、行儀よく読むのではない。そんなことすれば、3日と続かない。何も勉強は机でするものと決めてかかってはいけない。その気になれば、どこだってできるさ。この場合は寝床のなかでするんだ。だから普通の勉強がすんで寝る直前というか、ああ、疲れたわいと、ごろんと横になった状態のとき5分、そして朝目覚めて起きようとするその前に5分、すればいい。
だから、教科書は常に、布団の枕の傍らに、手を伸ばせば届く範囲にほっておかねばならない。慣習化するということは、できるだけ楽な状態に持っていくことだ。寝る前とか、朝起きたときとか、そんな時間帯は一番頭が働いていない時ではないか?という質問が来そうですが、別にいいじゃないですか、「効果的」な勉強法を書いているんではないんですから。
これからすることが何かに役立つのだろうかとかすぐ結びつけて考えがちですが、或いはその目的は何と性急に答えを要求しがちになりますが、大切なことはなんでも、すでにやり始めているんですよ、そのなかで考えるのですよ。第一、英語は語学でしょう? 音読は、その学習すべき方法の中の大切な一つであることは、誰でもご存知のはずです。それを満足に実践もせず、成績も振るわずまだ頭で考えていること自体、とてもおかしなことだといわねばなりません。
夜疲れた頭で、朝寝起きのぼやっとした頭で音読して、英文が頭に入るんだろうか?という、またなる疑問。入らないでしょう、最初は。しかし人間、同じことを10回繰り返せば、少しは考えるようになる。意識するようになる。さらに10回読めば、気なることも出てくる。さらに10回読めば、半分くらいは薄ぼんやり覚えている状態になる。つまり、30回は読みなさい、ということ。
英語の力がそこそこあって、且つ基本に忠実な、そして慣習化できている生徒なら、30回も読めばほぼ完璧に、本文が暗記できていますよ。しかし、そこまでの道程は長い。教科書の音読以外に、文法の演習を中心とするさまざまな英語に関わる学習と、さらに根元を観れば、国語の力如何にもかなり影響を受けているわけですが、その総合ですからね。
でも目のすぐ下、足元を見れば、とにかく始めねばならない。それだけは確かにいえる。3ヶ月続けて、定期テストの点数が、50点から70点になれば、それは大正解といえる。63点にもなれば、いい結果が出たということであろう。上記生徒Aは、わたしの中では例外に入るのだが、半年ぐらいかかって70点台に突入しましたから。まったく骨が折れた。しかしその後の80点台は、割合と早かったかな。もちろんこの音読だけではなく、文法演習があったからこそであることは、誤解なきよう。
最後に、このアドバイスは、何も50点そこそこの生徒だけに語っているわけではありません。頭だけで勉強して、普段は一見よくわかっている、差し障りなくついていけてる生徒に見えて、蓋を開けたら結果70点台しか取れない生徒、非常にこのゾーンは多いわけですが、わたしの目から瞰れば、まったく実力もついておらず、中途半端な学力と理解しかしていない生徒ですが、その落差の10点を埋める学習にも、役立つであろうことは十分にいえます。
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